ドッペルゲンガーの手も借りたい「後編」


 ……夕方までぐっすりと寝てしまった。

 そういうつもりで休んだのだからいいのだけど、家事をなにもしなかったことへの罪悪感が出てきて飛び起きた。

 居間に入るとまず気になったのが……部屋が綺麗になっていた。掃除がされている……、みんながやってくれたのだろうか。


 洗濯もされている。台所に料理をした痕跡があるので手分けしてやってくれたのかもしれない……そう思って年の近い妹に「今日、色々やってくれたみたいね……ありがと」と言えば、「……はあ?」と呆れられた。


「休むって言いながらいつも通りに家事をしてたの、雛菊だろ」

「…………え?」


「もしかして、記憶がないとか……? ちょっと疲れ過ぎて、やばいんじゃないか?」


 雛菊は昨日の夜から夕方までずっと寝ていたはず……途中で起きてはいるので寝続けていたわけではないが……、いくら疲れているとは言え、そんなに長時間も眠ることができるのか?


 妹の言う通り、体の中で異変が起きているのではないか。


 記憶障害? 疲労が溜まっていたせいであれば、今後はなさそうだが……、確かに寝た割りには疲れが取れていなかった。

 逆に、寝過ぎたことと家事をしなかった罪悪感でより疲れているとも言えた……(家事はしていたみたいだが)。


「……雛菊?」

「え――あ、ううん、大丈夫。なんとかするから、心配しないで」


「……ならいいけどさ……」

「大丈夫だから、ほんとに……」


 不安を煽るような「大丈夫」だったが、妹は追及しなかった。ここで追及しても雛菊は弱味を見せないと知っているからこそ、ここでは引いたのかもしれない。


「不安ならおじいちゃんに聞けよ。おばあちゃんじゃなくてな――あの人はまず病院にいかせるだろうから……それは雛菊も嫌なんだろ?」


「病院はね……大げさだと思って……」


「だからおじいちゃんだ。あの人なら、もう分かってるかもしれないし」

「……?」


 妹の言葉には気になったが、それこそ祖父に聞くべきだった。


 祖父の部屋に向かう前に、弟と下の妹たちの様子を見ておこうと思って広い自宅を散策していると…………いた。

 ボードゲームで遊んでいる弟と、妹ふたりと……そして、雛菊がいた。


「え……?」


 瓜二つのそっくりさんではなく、今の雛菊の生き写しだった。


 ――同一人物。


 鏡の中から出てきたよりも一致しているように。


 ……実際、身内でも違いには気づけないほどの「分身」だった。


「?」


 末っ子の妹が廊下を見た。本物(……今となっては自分が本物かどうかも怪しくなってきた)の雛菊の気配を感じ取ったのだろうか。

 雛菊は咄嗟に身を隠す。

 なんとなく、分身した自分と出会ってはいけないような気がして――


(でも、一度、会ってる気もするんだけど……じゃあやっぱりあれは、幻覚じゃなかった……?)


 会ったら問題が起きるわけではないけれど、妹たちがいる前でふたりの姉を見せることは「良いこと」ではない気がした。……今は「自分」が遠ざかるべきだ。


 廊下を歩く。気づけば速度は小走りから全力疾走になっていて……。


 広い敷地内、使っていない部屋はいくつもあって……そこは倉庫代わりになっていた部屋だった。ひな人形、日本人形、クリスマスツリー……雛菊が昔小学校で作った工作の作品などが置いてある。薄暗い部屋の中で、雛菊は畳に膝をついた。


 ――もうひとりの自分がいた。


 ――まるで、今の自分の立場を乗っ取るように、そこにいて……。


「あれは…………なに……?」



「ドッペルゲンガー、かもしれんな」



「……おじいちゃん」


 足音はなかった。気配も……、気づけばそこにいた。

 雛菊の疲労のせいで分からなかっただけかもしれないが……。


「雛菊……猫の手も借りたいくらいに多忙だったのだろう?」


「……それは、うん……、だっておじいちゃんはなにもしないし」


 家事や教育をお願いしても、一歩動くだけで最後までやり切らない。結局、使い物にならないと分かってお願いすることはなくなったけど……、雛菊の疲労の理由に、働かない祖父の存在は、確実にあるだろう。


「儂にも仕事がな……」

「なんでもいいですけどねえ」

「…………すまん」


 手伝えていないことに自覚があるようだった。

 それが分かっているなら、雛菊がこれ以上なにかを言うことはない。


「ドッペルゲンガー……は、聞いたことがあります」


 もうひとりの自分。……説によれば、過度な運動や過酷な環境で疲労が溜まり、幻覚を見ただけという可能性もあったが……。つまり今の雛菊と同じだ。

 では、ついさっき見たあの偽物を「幻覚だろう」と決めつけるのは、違うだろう……あれは本物だった。


 本物の、ドッペルゲンガーだった。


「『ともかづき』とも呼ばれておるがな……まあどちらでもよいか。少なくとも、今回に限ればあれは害があるものではないと思うぞ」


「……どうしてですか」

「誰にも危害を加えていない。身内にも、お前にも」


 現れたドッペルゲンガーは雛菊の仕事や立場を奪っているだけで、妹や弟を傷つけたわけではない。雛菊の立場にはまろうとしているのだとしても、その場に雛菊が合流すれば、もしかしたらドッペルゲンガーはその場で消えるのではないか……。


 以前、朝食を作ってくれていたドッペルゲンガーは、雛菊と目を合わせて消えたのだ……信憑性はあるだろう。


「雛菊、お前が望んだ三本目の手が、『あれ』なんだろう」


 ドッペルゲンガー。

 多忙がゆえに自分がもうひとりいれば、と思ったことは何度もある。作業がなくなれば、仕事が減れば、ではなく、自分がもうひとりいれば、と願うあたり、雛菊らしいと言えた。

 積まれた仕事は全て妹たちの将来に繋がることだ。なくなればいい、とは思わない……姉として、保護者として……だから手が欲しかった。


 猫の手も借りたい。

 それがまさか、ドッペルゲンガーの手にはなるとは……思ってもみなかった。


「なら、あれは味方なんですか……?」


「そうとも言い切れん」


 祖父は危険性もしっかりと忠告してくれた。


「お前の前世か、もしくはさらに遠い前世が、この時代で『ドッペルゲンガー』と呼ばれるような能力を持っていたのだろう。その力が、今発動しているわけだ。

 前世の記憶と今世の雛菊、お前の人格を混在して、ひとつの肉体に宿しているとすれば…………、ドッペルゲンガーという能力がお前の人格を奪う可能性も出てくる。可能性は低いかもしれんが、警戒はしておいた方がいいかもしれんな」


「警戒って……どうすれば……?」


「と、脅しはしたが、特別なことをする必要はないかもしれんな。……ドッペルゲンガーが雛菊の立場を奪うつもりなら、こっちも奪われた分、取り戻せばいい。神谷雛菊らしくいれば、それでドッペルゲンガーは付け入る隙を失くすはずだ……。お前はお前らしく生きていれば奪われることはないだろう……悪い方へ意識をしないことだな」


 ドッペルゲンガーを意識しない。


 雛菊が猫の手も借りたいと願ったように、実際にやってきたのはドッペルゲンガーの手だが、それを最大限利用してやればいいのだ。

 こっちが怯えれば相手は敵になるが、利用しようと構えてしまえば便利な能力である。多忙な仕事も、ドッペルゲンガーがいればだいぶ楽になる。

 少なくとも、家事手伝いに関して、祖父に頼ることはもうないだろう。


「…………」


「不安に思うことはない。前世の記憶や特別な力が今世で突然表面に出てくることは珍しくもない。それを自覚し操れる人間となれば限られてくる。大半は一度出てきて、だが訳も分からず、二度目がないだけだ……理解した人間が、儂らのような特別な家系として続いているわけだ」


「なら、元々私は、表面に出てきやすかった、ってことですか?」


「無関係ではないがな。まあそれでも、一般人よりは発生しやすいと言った程度だ」


「…………妹たちも……」


「十中八九、発生するだろうな」


 実際、兆候はあるのだ。

 成長し、雛菊のようにはっきりと発生する可能性は充分にある。


「安心せい、雛菊」


 祖父の老木のような手が、雛菊の肩に置かれた。


「それを解決するために、儂がいる。

 家事手伝いができなくとも、儂にしかできないことがあるんだ――儂を頼れ」


「……おじいちゃん…………いや、それでも家事手伝いくらいできるでしょう? この時代に亭主関白は許されませんから。一から教えるので努力してください。今までやってこなかったからこれからもしない――なんて甘えは許さないですからね?」


「い、いやでも、多忙なお前の手を煩わせるわけにはいか、」


「ドッペルゲンガーがいますので」


 襖の向こう側。

 見える人影が、姿が見えていなくとも「もうひとりの雛菊」であると分かった。


 祖父の背中を押して、襖の向こう側へ押し込む。


「待て待てっ、儂にはやることが、」


「集めた骨董品を眺めているだけでしょう。それとも盆栽ですか? ラジオを聞くことですか? 趣味を否定はしませんが、家にいる以上はやるべきことをやってください……、覚えてくださいね? では、お願いね――『ドッペルゲンガー』」


 雛菊とドッペルゲンガーは顔を合わせず、襖越しに、影を見ただけだった。


 祖父が肩を落としながら、襖の向こう側へ。


 影が動き、向こう側にいたドッペルゲンガーが祖父の手を引き別室へ移動したようだ。

 姿だけでなく思考回路も同じなら……祖父を甘やかすこともないだろう。


「ドッペルゲンガーちゃん……だと長いから……『ともかづき』の方がいいかしら」


 雛菊はこれまで感じていた『自分ひとりでみんなを守らなければいけない不安』から、少しだけ、楽になった気がした。

 相手はドッペルゲンガーで、自分自身だけど、肩の荷が下りたのは本当だった。


 自分自身。


 もうひとりの自分が傍にいるだけでこれほど安心できるなんて……、下の子たちが母親がいなくなっても不安がらなかったのも納得だった。


 自覚がなかったけれど、自分は、いるだけでも人をここまで安心させていたなんて……客観視してみないと分からないものだった。



「頼りにしてるからね、ともかづき……」



 だけど、警戒はしておかないといけない。


 雛菊がドッペルゲンガーを頼りにすればするほど、気づけば立場が入れ替わっていた、なんてことがあり得る状況ではあるのだから――――




 …了

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