妖怪前世紀「後編」


 彼は肩を落としていた。

 この名を言えば驚かれるとでも思ったのかもしれないけど……、残念ながら聞いたこともないわ。遠い昔の前世だとしたら……私が知らなくとも無理はないでしょうし。


「そうか……」


「え、そこまでショックなの?」


 彼の落ち込み具合に悪いことをしてしまった罪悪感が芽生えたので、一応、聞いてみることにした……「凄い人だったの?」


「そりゃ英雄って言われてたからな。悪い妖怪をばったばったとなぎ倒したもんだ」


 言いながら刀を振り回す……危ないんだけど……。


「当時は能力者ばかりだったからな。油断すればすぐに死んでた世界だ。その世界で英雄とまで言われたんだぜ? すげえだろ?」


「そうやって自慢しなければ凄いって思えるけど……」


「仕方ねえだろ、自分から言わねえと伝わらないんだから」


 たとえ凄さが薄まっても、伝えることを優先したらしい。

 知られないよりは、知られていた方がいい……凄さなんて感じ方だ。後々、再評価されるかもしれないと信じて教えているのかもしれなかった。それだけ、彼は褒められたいのだろう。


「英雄になっても…………褒めてくれる人はいなかった……?」


「…………、おい、雪女」


 彼が近づいてくる。内心で呟いたつもりが、口から出てしまっていたようだ。

 今の言葉は彼にとっては、踏んではいけないものだったのかもしれない……。


 今更、訂正はできなかった。


「な、なに……?」


「どうして分かった、おれはお師匠さんのことは話してなかっただろ」


「いや、知らないわよ。自慢を言いふらして褒められたがっているのは、『褒めてほしい人』に褒めてもらえなかったことが関係しているのかなって思って……、偶然よ、当たっちゃっただけなんだからっ……いいから、近いわよ!」


 額がぶつかるほどの距離を突き放す。

 彼は、おっと、とよろけながらも体勢を立て直した。


「言われたくなかったなら、ごめんなさい……もう言わないわ」


「いや……いいけどさ」


 彼は照れて顔を背けた。褒められたい、ということがばれてしまうと、その後で褒められても喜びづらいだろうから…………私は褒めなかった。


「褒めてもいいけど、凄さの証明がないから……難しいわ」

「証明か……どうしろと」

「いや、証明しなくていいから」


 別に、あなたが妖怪で、前世は凄い人だったとしても……興味がない。

 私たちが生きているのは今だ。

 今を生きた上で、残せた功績こそ、信用になる。


「前世のことなんかどうでもいいの」

「冷たい女だ」

「だって私は雪女だし」


 ……少し、吹っ切れたかもしれない。

 これまでは雪女であることを自分の足を引っ張るだけの余計な肩書きだと思っていたけど……私にとっては人にはない要素だ。

 天才でなければ高い地位を持つわけでもない。『私』を説明する時、その他大勢の中のひとりと言えば、私なんて誰の代わりにもなるし、私の代わりはいくらでもいる。

 でも、雪女は、今のところ私しかいないのだ。名は使いよう、なのかもしれない。


「ところで、あなたの名前は?」

「斉天大聖と言っただろう」

「それは前世でしょう? 今の名前を知りたいの」


 彼は悩んだ結果、素直に答えることにしたようだ。


「普通の名前だ。陽士郎ようじろう、だ」


「あら、似合わない名前ね……明るい性格ではなさそうなのに」


「そりゃ第一印象で判断し過ぎだな。雰囲気で言ってるだろ? おれは根は明るい方だぜ? 豚に乗って河童に引かせてたもんだ――」


「それ、明るいってことなのかしら……」

「まあ馬に蹴られて、お師匠さんには言葉責めにされてたが……」


 言葉責め?


「なんか、色々と拘束具があるんだよ……それでおれの動きを封じてたみたいだが……いいか、勘違いするなよ? おれは『封じられてやった』んだよ」


「それ、ただ単に封じられていただけじゃない」


 頑丈さと怪力で誰も手綱を握れない傍若無人なのかと思えば、やはりきちんと彼を操作する人がいたようだ。


 野放しにされていたとしたら『誰かが見ておかなければいけない』、というのは、誰もが思いつくことだろうし……、実際、彼は封じられてしまっていたようだ。

 懐かしむように語る彼の表情を見れば、前世の記憶は嘘ばかりってわけでもなさそうだった。


「色々あったんだ……興味があるなら話すけど……ところで、お前の名前は?」

「前世の? 今の?」

「好きな方でいい」


「じゃあ――――『黒冬くろふゆ』」

「……らしい名前じゃん」

「少なくとも、雪女の私はこう名乗るわ」


 実際、偽名なのだけど、彼は追及してはこなかった。

 ……どうでもいいのだろう。私がどんな名でどんな妖怪だろうと、きっと彼は気にしなかった。斉天大聖とは、きっと昔からそうなのだろう。


 自分が正義で、絶対の王だと思っている。

 自分が動けばなんでも実現できると思い、できないことの方が少ないのだ。

 それが自信に繋がっている。自信があれば、堂々とできる――それが彼の強さだ。


「そうだ、黒冬。さっきおれは、お前の命を救ったよな?」

「…………さあ、なんのことかしら」

「お前の顔面が石によって潰れる前に守ってやったろ。恩に着せる気はないが、ちょっとくらい手を貸してくれてもいいだろ……助け合いじゃねえのか?」


「……打算があって助けたのね……はぁ。で、なによ。さすがに、私にできないことは手を貸せないからね。無茶ぶりはなしだから」


「腹減った」

「は?」


「最近、果物ばっかで飽きてたんだ……米が食いてえ。ねえか?」

「…………あるけど」

「一握りでいい。分けてくれ、頼む……っ!」


 食が絡むと、王のように威張っていた彼が膝をついてお願いした。

「私も生活苦なんだけど」と断ることもできたけど、命を救われたのは事実だ……それに、数少ない妖怪仲間である。

 ここで彼との関係を切るのも、もったいないだろう。


「一握り、ね。おむすびが好きなの?」

「いや特に。選り好みはしない」

「そう。ならこっちの都合で作っちゃうから――――ついてきて、家まで案内するわ」


「え……」

「なんであなたが警戒してるのよ! 家に連れ込んでもなにもしな――って、そういうのは私が警戒することでしょう!?」

「家に入った瞬間に氷漬けにされるってことも――」

「ないわよ! そこまでの力はないって言ったでしょうが!!」


 せいぜい周囲の気温を下げて相手を寒さで震わせるくらい。手先の操作をおぼつかなくさせるだけで、寒さで凍るなんてことはないのだ。

 逆に言えば、それはできない。できないことに警戒するなんて…………疑り深いのかしら。


「……こないならいいわよ、そこで飢え死にすればいい」

「いや、分かった。疑ってすまん……ついていくよ」


 黙って歩く私の後ろを彼がついてくる。


「そもそもあなた、たとえ凍らされても生きていられるでしょ。凍ってもすぐに砕いて出てきそうな気がするわ……」


「だとしても、警戒しない理由にはならねえと思うけどな……」


 凍らされること自体を怖がっている……?

 閉じ込められる、固められることに拭えない恐怖でも…………あ。


「あなた、拘束具に嫌な思い出があるのだったわね?」

「…………」


「傍若無人にも弱点があるのね――いいこと聞いたわ」

「あのな、おれが苦手なのはお師匠さんの拘束具だ、お前のなんか怖くもねえよ」

「なら、凍ってみる?」

「できないくせに」

「あら、本当にそう思うの?」

「…………」


 無言で睨みつけてくる……意外とかわいい人ね。


「斬ってやろうか、雪女」


 腰の刀に手をやった彼だけど……すぐに忘れるのね。

 あなたが欲しいのはなんだったのかしら……このまま空腹で倒れても知らないわよ?


 さっきから彼のお腹は、ぐぅう、としつこいくらいに鳴っている。


「く……っ」

「おむすび」


「くそ……っ」

「いらないなら斬ればいいわ……ほら、どうぞ」


「……ちくしょう……!」


 そして、彼は刀を、鞘から抜くことはなかった。



 後に、陽士郎はこう言った――

「完全に胃袋を掴まれたな……あいつと一緒にいる理由なんて、それくらいのもんだろ」


「…………ふうん。私のことは、飯を作ってくれる『だけ』の人だったのね」

「あ、いや違っ――それだけじゃねえって!」


「出会って一年…………空腹を満たすためだけに私と結婚したのかと思うと……はぁ、なんだかガッカリよねえ」


「話を聞け! さっきのは建前で……人前で家内のことを褒められるかよ!!」

「私はあなたのことを褒められるけど。立派な旦那です――って」


「それは……」

「よく食べてよく寝て仕事をしない元気な子です、って」

「褒めてねえよ!!」


「いつも悪い人から守ってくれてありがとう」

「っ」

「あなたの強さには感謝してるよ……本当に」


 だから……。

 あなたのことを、信じてる。



「――来世でも、守ってね」




 …了

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