飛鳥と化け猫≪キャスパリーグ≫…後編
完全に夜の帳が下りた頃、息を切らした姉とばったりと出会った。
「飛鳥……」
「
「今、何時だと思ってるの……っ?」
スマホを見る。
夜の九時を過ぎていたけど、町中を走り回って探すほど、切迫した時間ではない気がする。これまでだって日付が変わる時間まで帰ってこなかったこともあるんだから……今更だ。
「学校で問題を起こして、おじいちゃんが迎えにいったらいなくなってて……っ、自暴自棄になって家出したかと思ったでしょ!?」
「…………」
そう言えばそうだった。
合わせる顔がなくて時間を潰していたら、さらに心配をかけてしまっていた……最悪だな。
帰ってくるんじゃなかった。
いや、そんなことをしたら雛菊は自分のことを犠牲にして、あたしを探し続けるだろう……そんなことになるくらいなら、帰った方がいい。
もっと言えば更生できたらいいけど、そうもいかないのが、あたしの体質なのだから。
「それ……手、怪我してるじゃない……」
手の甲には赤い血がついていた。
あたしのではなく、殴った相手の血だろう……返り血だ。
「あたしの怪我じゃないから大丈夫だ」
「……帰ったら全身、隈なくチェックするからね!」
雛菊があたしの手を取り、家まで連行する。絶対に逃がさないと言わんばかりで……――先行する姉は怒りよりも安心が勝っているのだろう。だから説教に勢いがないのだ。
「雛菊」
「……なに?」
「更生施設……、やっぱりあたしは、そういうところで過ごした方がいいと思うんだよ。じゃないと、迷惑をかけるばかりで……」
「飛鳥のせいじゃないの。頑張って、勉強もして、優しくて、気遣いもできて……そんな子をただの体質を理由に施設に預けるなんてこと、できるわけがない……っ。家族が『育てられない』と白旗を上げるのは嫌だから」
「でもさ……」
「迷惑なんて思わない」
「雛菊はいいだろうけどさ、
「それは……」
さすがの雛菊も、自分のわがままで弟と妹を危険に晒すことはできないときちんと理解しているようだった……、そこは安心だ。目的に固執して、視野が狭まっているわけではない。
「考えておいてくれ。あたしはいつでも、家を出られるからな」
「…………」
選ばないとしても、選択肢の中に入れておくのは無駄ではないはずだ。
最悪、その一手も使えることが分かっていれば、雛菊の負担も減るだろうから――。
帰宅後、居間に通されると、おじいちゃんがメガネの手入れをしていた。
「おぉ……おかえり、飛鳥」
「……おじいちゃん……その、」
「分かっているから座りなさい。雛菊、飛鳥に温かいお茶でも用意してあげてくれ」
「うん、ちょっと待ってね」
海外で仕事をしている父と母に連絡は……されていてもすぐにアクションがくるわけではないか。両親が不在の今、おじいちゃんがあたしたちの保護者なのだ。
外野からなにを言われても、最終決定権はおじいちゃんにある。
「はい、これ」
温かいお茶を出されたけど……あたしが猫舌だってことを知っていながら熱いお茶を出したよな? 少しぬるくしてくれるいつもの配慮がなかった。
「なに、文句あるの?」
平気そうな顔して、雛菊は内心、怒っているようだ……当たり前だ。
「ないよ。飲むから大丈夫……」
ちょっと冷めるまで待とうか。
「飛鳥、しばらくは停学、とのことだ。怪我をした相手も自分が悪かったと認めているようだしな。儂にも謝ってきた……謝ればいい、とは言えんが、既に飛鳥に殴られているなら儂がするべきことはない。後は大人の話し合いだな」
そうなれば、おじいちゃんが強いのは分かり切っていた。
「おじいちゃん、あのさ、あたし――」
「その衝動はいずれ安定するが、まだ暴発しやすい時期だろう。できるだけ人と会わない方がいい。停学はちょうどいいダウンタイムになるんじゃないか?」
「…………なんなの? あたしは、どうしちゃったの……?」
「お前の遠い前世が持っていた特別な力が、この時代のお前の中から溢れ出ている、と説明する他ないが……安心せい、治らない病気ではない。成長するにつれて使い方も分かっていくさ……これはそういうものだ」
おじいちゃんがメガネを拭き終えた。丁寧にメガネをケースに入れて、
「今日はもう寝なさい。明日、ゆっくりと話をしよう……」
和服のおじいちゃんが寝室に向かう。
部屋を覗いていた雛菊とおばあちゃんが慌てて顔を引っ込めた……いや、ばれてるから。
残されたあたしは、寝る前に体を洗いたくて……大浴場へ向かった。
家にいながら、まるで旅館のように広い浴場だ。
シャワーで血を洗い流して……鏡で確認しても傷はなさそうだった。
湯に入る。
のぼせないように気をつけて――すると、背後で扉が開いた。
雛菊か? と思えば、湯に飛び込んできたのは…………こいつ……。
――弟だった。
「陽壱……」
「帰ってくるの遅かったじゃん、飛鳥」
「飛鳥『お姉ちゃん』をつけろって言ったろーが。あと、普通に裸で入ってくるんじゃねえよ男女だぞ」
「でも姉弟だ」
なに恥ずかしがってんだよ、と言われた気分だった。
こいつはそう言っているのだろうけど……確かに、見られて悲鳴を上げる関係性じゃない。そもそもこいつの小せぇちんちんなんて昔から見てるしな。
「……停学になったあたしを笑いにきたのか?」
「停学になったの?」
「おいおい、なんも知らねえのかよ……」
興味がない? それはそれでショックだけどな……。
「学校、大変だったんじゃないか?」
「それなりに。上級生がざわざわしてたけど、おれらはあんまり関係ないからなあ……、対岸の火事だよ。野次馬になりかけたやつもいたけど、やっぱり上級生の教室は辿り着くまでに色々と高いハードルがあったから……」
ふたつ下の陽壱は、今年「中学一年」だ。ちなみにあたしは三年で――あたしの悪評のせいで弟によくない噂が立つのは避けたいんだが……、人の口に戸が立てられない以上は、今後のなりゆきに任せるしかないか。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
湯気があって視界が遮られることが多いのが救いだった。
今、弟とふたりきりになってもなにを話せばいいのか分からない。
ごめん、とは、言いたくなかったから。
変なプライドがある。弟の前では、勝気で頼れる姉でいたかった。
「飛鳥」
「『姉ちゃん』をつけろ」
「嫌だ」
弟に飛びかかって関節技を決めてやる。
湯の中なので限界を示すタップもゆっくりだった。
「あ、飛鳥、……『ねーちゃん』……これでいいのかよ」
「まあ、いいか」
どうせこれが長く続かないことは分かってる。こだわりはなかった。
「飛鳥」
「だからさ……いや、やっぱいい。なんだよ?」
わざわざあたしが入っている最中に風呂に突撃してきたのだ、話したいことでもあったのだろう。一応、あたしのことを心配してくれて、か? かわいいやつじゃん。
これで関係ない相談だったらぶん殴ってやる。
「飛鳥の体質のこと聞いたよ。舞衣と似たようなものだって……だからさ」
陽壱が近づいてくる。
弟の手があたしに伸びて――むぎゅ、と。
あたしのふたつの胸を、鷲掴みにした。
「………………は?」
「おっ、やわらけー」
「ッッ、このッ、クソガキッッ!!」
握り拳が弟に突き刺さっていた――水飛沫を上げて倒れる陽壱を、あたしは追撃していた。
何度も何度も、殴っては湯に沈めて。
のぼせたような感覚の後、気づいたあたしが見たのは真っ赤な湯だった。
陽壱は…………?
顔の骨格が歪んでいる弟が、湯から飛び出て倒れていた。
「っ、――陽壱!!」
弟の元に駆け付ける。
呼びかけても反応しない……してくれない!
これは……ちょっとまずいかも……?
「――雛菊! すぐにきてくれっ、お願い……っ、陽壱が!!」
自分でこんな風にしておいて、どんな口で助けを求めるんだと言われるかもしれないけど……あたしじゃない。
この怒りで湧き上がる破壊衝動は、あたしではないまったく違う別の誰かの意思を持った、『なにか』なのだから――。
治療を受けた陽壱は翌日、なんてことない顔で居間にいた。
「……え?」
「死んだヤツが見えたみたいな顔してるけど……失礼だな、おれは飛鳥にボコボコにされたくらいで死ぬような脆い体なんかしてないぞ?」
陽壱は赤ん坊の頃から受けているから慣れている、と言ったけど……、あれだけ血が出て顔も骨から歪んで…………なのに、その全てがなかったことのように無傷でいるのは、慣れとかではない気がするけど……?
「雛菊!」
「……うーん、実際、陽ちゃんはこうしてぴんぴんしてるし……回復が早いのかもねえ」
そんなことで片づけていいのか……?
助けを求めるようにじいちゃんを見ると、
「お前と同じだよ、飛鳥」
「同じ……」
「陽壱も、そういう体質なんだろう」
まだはっきりとは分からず、これから明確になっていくことだ。
いずれ、安定していくだろうけど……、それにしても陽壱まで……。
舞衣がそうなら蝶々も……雛菊だって。
あたしのように苦しんでいるのかもしれない。
あたしだけじゃない、と思えたのは、ちょっとは気が楽になった……が。
なんだか人の不幸を見て笑っているようで、気持ちの良いものではなかった。
自分に抱いた嫌悪感――
それがスイッチになったようで、視界が端から真っ赤になっていく中で……、
「飛鳥」
陽壱が、昨日と同じようにあたしの胸を鷲掴みにした。
視界が一気に真っ赤になって、再びなにも見えなくなり――
あとは繰り返しだった。
再びボコボコになった陽壱が庭に倒れている。
「……もしかして、あたしのために、矛先を誘ったのか……?」
「飛鳥。お前のその衝動を、陽壱にぶつけてみなさい。あいつなら大丈夫そうだ……、それに、陽壱相手ならお前も無意識に手加減できるだろう?」
「それは……分からない、けど……」
「もうできてるから、心配はいらん。陽壱を使って破壊衝動も小出しにしていけば、外で事件を起こすこともないだろう……、弟に頼るのは、嫌か?」
本音を言えば嫌だけど、そんなことを言っている場合でもなかった。
「陽壱を上手く使いなさい。――陽壱だから、耐えられるはずだろう」
庭で倒れていた陽壱が、「いたた、」と頬を擦りながら起き上がる。
……その程度で済むわけがないのだけど……それがあいつの体質なのだ。
あたしのような破壊衝動と同じく。
打たれ強さこそ、陽壱の専売特許だとすれば。
「…………でも、損な体質じゃないか……?」
それはまるで――
あたしたちのストッパー役になるためだけの存在……にも見えた。
…了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます