長編「お姫さまは魔王城でレベルアップ!」サブエピソード集/【王国シリーズ】

サブ1「王の勝手な休暇と王殺しの漂流者」


 王冠を放り投げ、無精ひげを生やした不健康そうな男は、城から最も離れた海岸に足を運んでいた。


 諸々の仕事も王冠と一緒に放り投げてきたので、今頃、城では部下たちがてんやわんやだろう。……いや、意外と慣れた手順で彼を連れ戻そうと行動するかもしれない。

 それとも王の目がないのを良いことに、小休憩か?


 それならそれでも構わない……、王の業務をサボっている身で部下を叱責する資格はないのだから。

 その男は釣り竿を持ち、波が打ち上がっている岩場に腰を置く。

 一歩足を踏み外せば滑り落ちてしまいそうな危険地帯だが、子供の頃から自分の庭のように歩いている彼からすれば滑り落ちてもなんとかなるのだ。

 自然は友達。悪天候との付き合いも長いのだから。


 国王メリジオ――紛うことなく、この島国の国王である。


「お、でけえなこれ」


 釣り竿が大きくしなっている。引く力も強い……、本気の相手に、座っている場合ではないと国王が重い腰を上げた。

 滅多なことでは椅子から立ち上がらない王が、だ――(それはただの面倒くさがりだからだ)。両足で踏ん張り、負けないように竿を引く。細い糸が千切れそうになるも、メリジオの技術でなんとか千切れることは避けている……だが、危険水域であることは変わらない。


 ギリギリの攻防戦が続き――やがて、水面から黒い影が出てくる。

 何度も大物を釣り上げたことがあるメリジオは、苦戦はしたが負ける気はしていなかった。「うぉあッッ!!」という気合の叫び声と共に、釣り竿を引き切る――と。


 糸の先には大物だった。


 それは三メートルに届く…………大男だった。




 まるで岩のようだった。

 焼けた褐色の肌。長い黒い髪。鍛え抜かれた膨らんだ筋肉。それがより、その大男を大きく見せているのだろう。

 彼は傷だらけだった。海中で肉食の魚にでも噛まれたのかもしれない……あちこちから血が出ている。中には野生生物につけられたとは思えない深い傷もあったが……、訳アリであることは聞かなくとも分かった。


 彼の下半身には、まだ衣服が残っていた。他は剥ぎ取られたか、破れたり燃えたりしたのかは分からないが、下半身だけが残ったのは屈強な上半身のおかげか。


 上半身の筋肉を盾の代わりにすれば、下半身へは攻撃が届かないだろう。


 おかげで、分かった。

 彼の素性が……素性というか、所属が。


「中央地方の国だな……」


 ここから遥か北西にある都市だ。田舎を代表する、ここ島国とは別世界と言える。

 中央地方の諸国から多くの支援を受けている身なので、知らない仲ではないが、物理的にも精神的にも距離がある。

 向こうからすればこんな田舎で小さな国など、搾り取れるだけ搾り取れ、としか見ていないのだろう。どう思われていようがそれで救われているのは事実なので、怒る理由もないのだが。


「よお、お前さん、なにをしでかしたんだ?」


「…………なぜ、そう思った……」


 大男は意識を失ってはいなかった。

 横になる彼に、メリジオが話しかける。


「お前さんが握ってるそれは折れた剣だ。手離すべきそれを手離さなかったのは、なぜだ? その剣に誇りが乗っているからじゃないのか? 形見……という線もあるか。なんにせよ、中央地方の、諸国の騎士様がこんな場所まで流れついてくるなんてな……事情は知らないが、まあ訳アリなんだろ?」


「……新聞は……」


「見てねえ。部下は見てると思うがな……それをあとで聞けばいいと思ってんだよ」


 文字がたくさん並んでいると眩暈がするのだ。

 理解するのも時間がかかる……なので情報を噛み砕き、それをまとめて教えてもらう、というのが最も楽だと考えた。


 楽をするためなら頭が働くのは、この王ならではだ。


「……あんたは……王か?」


「おお、よく分かったな。こんな身なりじゃあ、ただの釣り好きのおっさんにしか見えねえはずだろ」


「確かにな……だが、分かるさ。王の立場につく人間は、どれだけクズでも、どれだけ人格破綻者でも、どれだけ遊び人でも――必ず、信念がある。あんたからそれを感じ取れた。なら、あんたは王だ。王でなければ、王になるべき器であることは確かだな――」


「言うねえ。オレが王でなかった場合のことも考えてんのか? お前さんはただのパワーバカってわけでもないらしいな……それともその筋肉はついでで、実は頭脳派か?」


「最低限の頭はある」

「そりゃあいい」


 釣り竿が揺れる。

 獲物がかかったらしい。


「飛び込んで捕まえた方が早いだろ……、いや、そういうことでもないのか。不便という制限をつけて結果を出すことに意味がある……そういう遊びか」


「お前さんみたいに飛び込んで捕まえる技術がねえ奴は、こうやって頭を使うんだよ」


 引きが弱く、メリジオは腰を下ろしたまま、釣り竿を引いた。――釣れたのは大物ではないが、それでも美味い魚だ。あとで焼いて食べよう、と、持ってきていたバケツに入れる。


「お前さんの分も今から釣ってやるから、そこで待ってろ」

「自分で獲れるぞ」


「怪我……は、緊急性はねえか。だが、傷、癒えてねえだろ。そこで休んでろ。満足する量は無理だが、まあ空腹を紛らわせる分は釣れるだろ。この島周辺にしかいねえ魚だぜ? こっちは特産品をアピールしてぇんだ、遠慮なく食ってほしいもんだぜ」


「……あんた、どうして『よそ者』の俺を、もてなす。いや、保護……ってことでもないのか。放っておいてもいいだろう……もしくは危険人物を殺すくらいの手は打つべきだ。王だろ。なのに、まるで俺を抱え込むように……なにを企んでる……?」


「なにも」


 メリジオが言った。

 視線は海に向いたままだ。


「企んでることなんかねえよ。ただ、これはオレの――信念の問題だ」

「信念……」


「そうだ、お前さんがオレを王と判断した理由だろ?」

「そうか……」


 大男は緊張を解いた。

 いつ自分が殺されるか、身構えていたのだろう。

 それは反撃するためのものではなく、殺されるための、覚悟だったのだ。

 まだ動けるにもかかわらず、殺されかけても無抵抗を意識していたのは、される理由があるからか――。


 脱力した大男のおかげで、周囲の空気が軽くなった気がした。

 メリジオは「やっと警戒を解いてくれたか」と、肩の荷が下りたようだった。


「お前さん、名前は? オレはメリジオ……ここ、フーセン王国の王だ、よろしく」

「……タイテイ、だ……」


「タイテイか。オレのことを王だと思わなくていいぜ、お前さんは国民じゃなく、友人だ。国にいるならルールを守ってもらう必要はあるが、忠誠は必要ねえ。好きなだけ国にいろよ」


「……なぜだ? なぜ――……いや、それが、あんたの……メリジオの信念なのか……?」


「誰からも必要とされず、誰からも受け入れられなくなった者の『受け皿』になりたかった。味方がいるってのはいいもんだ。それが長続きしなくとも、一瞬、腰を置くだけでも構わねえ。ここを出発点としてくれればそれでいいんだ……、見返りが欲しいわけじゃねえぜ? んなもんを期待していたらこんなことなんか続かねえからな。

 動機? 語るほどのことなんかねえよ――単純に、オレには味方がいなかった、だからオレが、味方になってやりたかった……」


 こんな大人がいてくれたら……。

 そんな願いが、自分の足を動かしたのだ。


「オレが王になったんだから、オレの好きなようにするぜ――文句あるか? ある奴は力で黙らせる。オレは別に平和主義者じゃねえからな――力が必要であれば遠慮なく使う。それで解決できる問題があるなら――聖人君子になるつもりはねえしな」


 竿が引く。

 魚が食いついたのだ。


「……立派、だと思うぞ」


「そうか? エゴだと思うけどな……、群れからはぐれて、どこにも戻れない仲間外れを集めて救いたいというオレのわがままなんだけどな……」


「それで救われる人間は、必ずいる――事実、ここにひとり、いるんだからな……」


「カカッ、お前さんが救われた? そんなタマじゃねえだろ。お前さんは救う側だ――そういう信念を感じるぜ」

「…………」

「奪った者の裏で救われた人間がいる。救った人間を否定しちゃあ、いけねえだろ」


「メリジオ、あんた……。まあいい……それよりも、オレの過ちを、知っているのか……?」

「知らねえ。過ち? オレは知らねえな」


 法に触れても、誰かに非難されても、自分が正しいと思えばそれは正義だ。

 当然、それを迷惑に思う者もいるだろうが、他者の評価を気にしていたら矛盾する。良し悪しの評価など人によって変わるのだから、誰かに依存して決めても正解ではない。


 自分が信じた道こそ、正解でなくとも間違いではない。


「オレは……王殺しだ」

「だから?」

「王を殺して、逃げてきた……逃げて、逃げて……ここまで辿り着いたッ」

「それで?」


「オレは追われている。オレを抱え込めば、メリジオは……犯罪者を匿うことになる――」


 一緒に裁かれることになる、と、タイテイは警告した。

 だが、それを言われて引くメリジオではない。それはタイテイも予測できたことだが……だからこそ、「お前さん、内心では助けてほしいと思ってんじゃねえか」


「……そんなことはない」


「だったら言わなければ良かった。オレの信念を聞いた後でその言い方は、受け皿になってくれと言ってるようなもんだ――誤魔化せねえぞ?」


「…………」


 タイテイの顔には戸惑いがあった。

 自分の言葉を疑ったのだ……。

 本当に、そのつもりはなかったようだ。


「……メリジオに迷惑をかけるぞ……ッ!」


「そんな言葉で引くならオレはこの信念を早々に捨ててるさ……だから安心しろ。オレは絶対の味方ではねえが、受け皿であり続ける覚悟はある。困ってんならうちにこい、仕事を振ってやることくらいはできるぜ。お前さんが再出発できるまで、面倒を見てやる」


 カカッ、と笑ったメリジオ。

 竿が引く。獲物がかかった。


「……再出発するまで、か……」

「なんだよ、文句があんのか? まさか島を出た後も助けてくれって言うんじゃねえだろうな? そういうのは要相談だぜ?」


「それでも即答で否定はしないんだな……あんたは、心配になる……」

「なんでだよ……」

「味方は多いが敵も多いだろ……仕方のないお人だ……」

「ん?」


 タイテイが跪いた。メリジオが嫌な顔をする。

 そういう関係性を嫌い、友人として作り上げてきたのだが……、こうして忠誠を誓われてしまえば、いつも通りになってしまう。メリジオは人の上に立ちたいわけではなく、人と向かい合って楽しくお喋りをしたかっただけなのだ。


 向き合って話せるのは息子くらいなものだが……あれは友人ではなく、子だ。また違う。

 もっとくだらなく、男同士でしか話せないようなディープな話をしたかったのだが、部下になってしまえば、そういう気軽な会話もできなくなってしまう……。

 タイテイにそれを期待していたが、それは叶わない夢になりそうだった。


「王殺しのオレを、部下にする気はあるか、メリジオ」


「する気はねえが、拒否はしねえ。お前さんがそうしたいならそうすればいい――ただ途中参加は下っ端からだぜ? お前さん、それに堪えられるか? 前の国では偉い立場にいたんだろう?」


「それなりには。だが……今から下っ端生活というのも、悪くはないな」

「……止めても無駄だろう?」


「どうしてもやめろと言うのであればやめる。王には逆らえないからな」

「王殺しがなにを言ってやがる」


 クク、とタイテイが笑い、

 カカ、とメリジオが噴き出した。


「好きにしろ、話は通しておく……軍にいる人間は全員がどこかの国から追放された外れ者たちだ。気が合うんじゃねえか? だが、クセがある奴ばかりだ。喧嘩はいいが、あんまり仲間を殺してくれるなよ?」


「相手次第だな」

「そりゃそうだ」


 メリジオの言い方は、できるだけ避けろ、それでもそうなってしまったら仕方がない、と言っているようなものだった。

 無法地帯というわけではない……それでも、ある程度のことには寛容だということだ。


「……仲間外れの受け皿、か……」

「気になることでも?」


「いいや。国に残るのは秀才だ。追放されるのは天才か奇才か鬼才ってのが相場だな。それと異常者だ。ようは人格には問題があるが、実力は折り紙付きの存在がこの国に集まるようになっているってことだろう……狙っていたのか?」


「そんなわけあるか。人材を選んで囲うつもりはねえよ」


「そうか……だが、事実、そういう人間が集まることになる。いずれ、この国は世界を脅かす存在になるかもしれんな――」


「いずれ、な……その時は、オレの息子にでも任せるさ――その時は頼むぜ、タイテイ」


「あんたがいなくなればオレもいない可能性も高いんだが……というか、オレはこの国に骨を埋めるつもりで滞在しなくちゃいけないんじゃないか……?」


「嫌なら断ってもいいぜ」

「ふざけるな。あんたのお願いを、無下にできるか」


 部下としてではなく、友人として――恩人として。

 大切な人の願いを、叶えたいと思うのは普通のことだろう?


「あんたについていこう……メリジオ」


「ああついてこい。そろそろ城へ戻る。話してる間に魚も充分に釣ったからな……戻る前に上で焼いて食うか」


 メリジオとタイテイが、岩場を軽快に移動した。

 そして広場で火を起こし、魚を焼く。――まだ昼間だ。

 のんびりと、まったりとした時間が流れていく……。


「ほれ、食え」

「……いただく」


 焼き上がった魚に、二人でかぶりつく。

 王冠を放り投げた王様と、三メートルに届く大男だ。


 二度見してしまうような光景だが、二人の表情は柔らかく、ずっと見ていられる。


 それほどの安心感を与えてくれる、二人の談笑だった。




 …了

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