サブ2「ドール王国の操り人形」


「あっ、お姫さまが手を振ってくれたぞ!」


 4歳上の、兄のような存在である幼馴染の少年の笑顔を見た。無邪気に笑う彼の横顔になぜか怒りが湧いてきて、その感情を理解しないままに少女は兄のような彼の手をぎゅっと握った。

 爪を立てたのは無意識だった――「いたたっ!? ちょっ、クイン!?」


「なに」

「爪、痛いよ……どうしたの。お腹でも空いたのか?」

「いつも空腹系女子じゃないんだけど」


 今日はここ【ドール王国】のお姫さま「タウナさま」の誕生日だった。

 彼女はクインのひとつ上の10歳である。そんな小さい子に手を振られてデレデレしている兄のような彼もどうかとは思うが……「こっち見てよ」と袖を引くクインも、兄のような彼に純粋な兄妹愛を求めているわけではない。……年の差を非難しているわけではなかったのだ。


 お姫さまが綺麗なのは当然だ。

 パレードという名目で町中を馬に乗って闊歩する彼女は、笑顔を振りまいていた。

 ひとりひとり、国民に手を振っている……なので彼だけに振られたわけではないし、そこに特別な想いはないけれど……「俺に振ってくれたんだっ!」「いいや俺だけに!!」と喧嘩をしている少年たちを見ていると、男というのはすぐに勘違いをする生き物であることを実感した。

 手を振られて嬉しいのだろうか……、クインは小さな手を振ってみる。体をくっつけているほど近くで、自分よりも高い身長を持つ兄のような彼へ――


「ギルにぃ」

「ん?」

「ふりふり」

「んー、うん、ほら」


 彼も振り返してくれた。妹のようなクインへ、『よく分からないけどこれは振り返した方がいいんだろうなあ』という期待に応えた結果だろう……。

 彼女の思惑に気づいていない少年は、クインが欲しい感情が乗らないまま振り返しているだけだった。それでも、クインは満足そうに顔が緩み切っていた。

 不満はあるけど、それでも満足だったらしい。


 お姫さまを連れた行列は短時間で遠くへいってしまった。ただの誕生日なのに豪勢なお祭りだ。前年はここまで豪華ではなかったけれど……、10歳という節目だから、いつもよりも盛大に祝ったのかもしれない。

 来年はこうはならないだろう……お祭り自体はするとは思うけど……。


「ギルにぃ、お腹空いた」

「空腹系女子じゃないか」


「さっきは空いていなかっただけ。今は空いてる。出店、いこう」

「はいはい。はぐれるなよ? 手を繋いでいるから大丈夫だとは思うけど……」


 クインが少年の腕に抱き着いた。目線を合わせたいからか、しがみついているような体勢だ。

 おかげでクインの両足が浮いてしまっている。


「重いんだけど……」

「文句はダメ」

「はいはい」


 出店を回る。多くはないお小遣いでたくさんのものを食べた。中央地方からやってきたお店もあるけど、そっちは行列だったので諦めた。珍しいけれど……、向こうで流行っているだけで、見た目が良いだけだ。

 味だけを見れば、ここ【アカッパナー地方】で獲れた食材の方が何倍も美味しい。舌が肥えてしまうと、人の手が多く入った中央地方の食材はあまり良くは思えなかったのだ。

 不味いわけではないけれど……薬臭さが少し感じてしまうように……。


 田舎が都市に勝る部分である。

 結局、毎年食べる出店ばかりを回って――だけどそれで満足だったのだ。


 だって隣には兄のような存在の幼馴染がいる。そして少女クインの想い人だ。


 それが兄としてなのか、異性としてなのか――

 その好きの種類に、クインは自覚していなかったけれど。




「オレ、騎士団に入るんだ」

「え?」


 と、驚いてはみたが、分かってはいた。

 数年前から彼が見ているのは、王城の中にいるお姫さまなのだから。


 タウナ姫は表舞台に立つ機会がなければ滅多に姿を見せない。プライベートの時間は身内しか知らないのだ。

 ……王城の敷地内に入れる者しか、舞台以外を歩くタウナ姫を見ることはない。彼も、今よりも姫さまを多く見るために騎士団に入団することを決めたのだろう。

 まあ当然、姫さまを守りたいからだとは思うけど……。


 10歳の誕生日から2年……タウナ姫も12歳だ。


 ギルは15歳。クインは――11歳。体格差は、まだ埋まらなかった。


「やめときなよ、ギルにぃ、才能ないよ」


「そうかな? まあ、入ってみないと分からないからね。入って、訓練についていけなかったら向いていないんだろうと思うけどね。でも、入らないで才能があるかないか決めるのは、難しいと思う。やってみてから、決めるよ――」


 続けるか、辞めるか。きっと彼は続けるだろうと、クインは分かっていた。

 才能がないくらいで諦める人じゃない。そんな人を、好きになったわけじゃない。


「…………ばか」

「え、なんでよ……っ」

「いかないでよって、言えないから……」


 それを言ってしまえば本音を言っているようなものだったが……わざわざそれを指摘するギルではなかった。彼はまだ小さな『妹のような』クインの頭を優しく撫でる。


「今みたいに会えなくなるけど、でも一生じゃないんだから。……向いてなければ戻ってくるよ。そうしたらまたこうやって遊ぼう。このままオレが騎士になって大人になったら――お酒でも飲んでお互いに愚痴でも言い合おうよ。

 ……って、まだ11歳の子になにを言ってるんだオレは……」


 連日連夜、大人たちの酒の場に同席しているので感覚が狂っていた。将来、クインがお酒を飲むとは限らないし、飲みの席にいったとして、愚痴を言うとも限らないのだ。

 クインは、真っ直ぐ育ってほしい……。真っ直ぐ? が、どういう人生なのか、ギルには答えがなかったけれど……少なくとも悪い道に走らなければそれでいいのだ。


「自分が後悔しない生き方が正解だと思うんだよな……」


 ギルにとって後悔しない生き方が、騎士団に入団することだった。

 タウナ姫に近づきたいわけではない。いや、それがないわけではないけれど……、王族である彼女とただの一般人である自分が『そういう仲』になれるわけではないと自覚している。

 だから、気持ちは伝えられなくても、せめて守りたいと思ったのだ。この手で。彼女が向けてくれる笑顔を守るために。


 一番近くで盾になる。


 それが、騎士なのだから。




「じゃあな、クイン、いってくる」


 家を出て、城の近くの寮で暮らすことになったギル。遊びにいける距離ではあるが、訓練の邪魔をしてはいけないだろうし、スケジュールが安定しない職業だ。昼夜逆転もあり得る。

 訪ねても部屋がもぬけの殻だったりも充分にあり得るのだ。しばらくは、ギルとは会えない……、覚悟はしていたつもりだったけど……。


「さびしい……」


 クインが呟いた。そこで泣き喚いてわがままを言う子供でなかったのは、彼女は年齢に似合わず大人びていたからだ。

 ギルと共に行動しているおかげで年上と接することも多かった。大人を見て学ぶ。だからクインは、彼にまた近づく方法を知っていた――ギルが騎士になるなら、クインは…………。

 さらに近く、お姫さまに近づける役職がある。


 侍女だ。


 厳しい見習い時代を味わうことになるけれど、ギルと会うためなら――がまんできる。




 一年後の12歳。クインは侍女見習いとして王城に入ることが許された。

 先輩に厳しく教えられながら、仕事を覚えていく。することは雑用だけれど、こういう積み重ねが王族の助けになるのだ。

 先輩たちの手際の良さと咄嗟の判断力……、そのあたりがカッコよく見えたのが良かったのだろう。厳しい訓練にも堪えられたのは、ああいう侍女になりたい、という目標ができたからだった。


 同時に戦闘訓練もおこなう。

 騎士がいるのだから必要ないかもしれないが、自衛くらいはできなければ頼りない。それに、騎士がいない中で王族を守るのは侍女だ。

 盾になるのは当たり前だが、最低限、王族を逃がす時間は稼がなければならない……騎士ほどの強さは求められないが、まったく動けないのでは困るのだ。


 クインは、想い人であるギルと同じことを学んでいることが、嬉しかった――だから同世代の侍女の中では頭ひとつ分は抜けていたし、タフだった。

 厳しい中で残ったのは、クインだけだったのだ。


 そしてある日、クインは先輩に呼ばれて、タウナ姫の部屋へ連れていかれた――メイクを見学しろ、とのことらしい。


「メイク?」


「タウナ様を衆目に見せる用のメイクよ。……知らないのも当然だと思うけど、表舞台に立つタウナ様は全て作りものなの。タウナ様の素を利用して外側を私たちで作り上げた……あの方も大変なのよ。素の自分とはまったく違う別人格のような『タウナ姫』を演じなければいけない。容姿で人を惹きつけなければいけないから、メイクも大がかりになるし……、イメージと違うとは思うけど、ガッカリしないであげてくれる?」


 と、先輩から言われて、「はあ」と答えるクイン。

 色々と言われて事情があるのは理解できたが、見てみなければ分からない。なのでガッカリはするかもしれないけど……、そもそもタウナ姫は、クインから想い人を奪った――ようなものなので、良い印象は抱いていない。

 それで彼女の寝込みを襲う気は毛頭ないし、仕事もきちんとするけれど、根っこの部分ではやっぱりまだ認められない想いがあったのだ……――あった、のだけど。


 それがひっくり返った。


 部屋を開ければ、黒髪で小柄な少女がいた。13歳であれば平均だろうから、小柄という言い方はおかしいかもしれない。

 確かに、表舞台に立っている彼女とはまったく違う。髪は金髪で、もっと長いし、身長もこんなものではなかった。

 底上げされた靴を履いているのだろうし、髪はウィッグ、か……。胸も詰め物で大きくしているのか……。今までおかしいとは思っていなかったけど、確かに13歳であのビジュアルは、ちょっと盛り過ぎている。


 発育が早いだろう。それに違和感を感じなかったのは、王族という血を引いているという先入観か。王族は他人よりも飛び抜けているから……、自分たちとは違うのだからという思い込みで、異変を異変と捉えられなかった。

 だがこうして蓋を開けてみれば、なんてことはない――タウナ姫は王族であっても13歳の女の子で、平均に並ぶ見た目なのだ。


「うわ、またメイク……」

「文句を言わないでください」

「はいはい。さっさとやっちゃってー……どうせ私はお父様とお母様のお人形さんなんだから」


 ぶつくさと文句を垂れ流すタウナ姫である。黙ってメイクを受けられないのか? と思ってしまったが、さすがに口には出さない。

 クインは、いつも見る『タウナ姫』が出来上がっていくのを後ろで見学していただけだった。同じことをしてタウナ姫を整えろ、と言われてすぐにできるわけではないが、いずれ、クインもこの役目を任されるのだろう。


「タウナ様、同年代の侍女見習いです……ほら、クイン、きなさい」

「はい」


 先輩に呼ばれて、タウナ姫の横へ。

 いつも見る、舞台上で愛想を振りまくタウナ姫だが、気持ちはまだ素なのだろう。


「タウナさま、はじめまして、クインと言います。いずれはタウナさまの侍女をやらせてもらうと思いますので、よろしくお願いします」


「うん。その時はよろしくね。口うるさい今の侍女を反面教師にしてくれると嬉しいな」


「誰が口うるさい侍女ですか」


 傍にいた年上の侍女が声を上げた。口うるさいのはタウナ様のためだが、当の本人はその厚意を感謝していない。まるで、いじわるされている、という認識だ…………報われない。

 裏ではきちんと感謝している様子でもないし……これがタウナ姫の素なのだ。


 お世話をしてもらうことが当たり前で、感謝の言葉も言わないなんて――許せなかった。

 だけどそれ以上に、「勝った……」と思ったのだ。


 口に出していたけど。


「え、なに?」

「いえ、なんでもありません。タウナさまをお世話する日を楽しみにしていますね」

「あっそう」


 ――もしもギルが、タウナ姫の素を見れば、きっと失望する……いや、絶対に失望するはずだ。百年の恋も冷めるというものだ。

 その時にこそ、クインが手を出せる。

 横取りではない。あんな女よりも自分の方が全ての魅力で勝っていることを証明する。妹のように、小さい頃から懐いていた自分とは違うと見せつけるのだ。


 勝てる勝負だ。

 あとは、時間が過ぎてタイミングがくれば――クインは、欲しいものを手に入れられる。



「タウナ様、完成です。こちらへどうぞ――」

「はあ。また外に……、国民に顔を見せるだけなのも大変だよね」


「あ――タウナさま」


 クインの声に振り向いたタウナ姫。

 少しでも出発を遅らせたいだけなのだろう。

 振り返ったことにそれ以上の意味はなさそうだった。


「すっごく魅力的ですので、タウナさまはそのままで大丈夫ですよ」


 心の底から、だった。

 あなたが変わってしまえば、ギルは心変わりしなくなってしまう……、許された変化は悪化だけだ。だから――、反省なんて、しないでほしい。


 クインは背中を押すように、タウナ姫を褒める。

 それで良い気にならないところは、タウナ姫も自覚があるのだろうか。


「……このままでいいわけ、ないでしょ」

「え」


「でもま、ありがと。どういう意味でも、素を見て評価してくれたところは嬉しいよ。……うん、あなたにも問題はありそうだけど、次の侍女はあなたがいいかな――クイン」


 ……問題。

 引っ掛かったけれど、聞き返す余裕はなかった。


 タウナ姫が外に出る。

 バルコニーから見下ろすと、多くの国民がタウナ姫を見上げていて――


 その人々の熱量には、毎回、圧倒されている。

 カラクリを知ってしまえば、踊らされている国民を哀れに思ってしまうが……。


 以前まで、自分はそっち側だったことを思い出すと不快な気分になるけれど……当時の気持ちを否定するわけではなかった。

 夢を見させてもらった。

 それが醒めた今、見るべきは現実だ――もう子供じゃない。大人になろう。


「ドール王国の、操り人形……ですか」


 糸に吊るされているタウナ姫は、いつ、その糸を切って自分の足で歩くのだろう。


 それが気になった。


 見届けるためには、傍にいる必要がある――侍女である必要が。



 表舞台のタウナ姫のことは、想い人を盗られて嫌いだったけど、素を知って、その態度にもっと嫌いになって……だけど、以前よりは関わりたい存在になっていた。


 彼女に穴が多過ぎて自覚的に見下している分、余裕が出てきたのかもしれないけど……人としては、こっちの方が魅力があるのかもしれない。

 少なくとも、クインはそう感じたのだ。


 彼女のことは嫌いだ。

 嫌い、大嫌い。

 だけど、だけど、だった――。



「面白い人」



 好きじゃないし、嫌いだけど――


 とっても気になる人に、なっていた。




 …了

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