第27話 吸血鬼 ドロシー

「……そりゃそうだよな」


 夜、俺は絶望していた。

 あれからアリスに連絡をしたが出る訳もなく、ただ一人公園で佇んでいる。

 話したくなくて当然だ。

 俺はそれだけの事をしたんだから。


 いつだってそうだ。


 後悔は後からやってくる。

 こんな事になるなら、と、ほんの少し前の自分をぶん殴りたくなる。

 俺は天を仰いだ。

 今日は満月。

 まん丸な月と星々がきらめく幻想的な空。なのに、俺のテンションは地の底を這っている。


「ホント……何してんだ、俺は」


 アリスの家にも一度だけ行った。

 インターホンは一度しか押す事が出来なかったけど、ちゃんと向き合わなくちゃいけないって思って。でも、出なかった。

 当たり前だ。それだけの事をしたんだから。


「……どうする、どうすればいい? 俺は……」


 ずっとずっと考えている。

 アリスと仲直りする為には会うしかない。でも、アリスが何処に居るか分からない。

 学校で謝る? それも頭の中に過ぎったけれど、今、謝らないといけない。

 俺はアリスを傷つけた。アリスに酷い事を言った、アリスを泣かせた。

 そうであるのなら、俺の通すべき筋は一つだけ。


「考えろ……吸血鬼の夜は長い……睡眠はそんなに必要ないって言ってた……だったら、夜どこかに行く可能性だってあるはずだ。俺も……探し続けるしかない」


 家に居ようが、万が一警察に捕まって補導されようが、関係ない。

 俺は何が何でも今、アリスを見つけなくちゃいけない。

 アリスと話しをしなくちゃいけない。

 アリスを傷つけたままではいられない。

 俺は座っていた公園のベンチから立ち上がり、駆け出そうとしたその時だった。


 びゅん!!


 と、何かが過ぎ去るような音が聞こえた。

 それは飛行機の音のような。

 それを理解した瞬間、俺の腹部に強烈な圧迫感を覚えた。


「これがお姉ちゃんの恨みぃ!!」

「ぐはっ!?」


 俺の腹部を貫く何かを知覚するよりも前に俺は視界がぐるぐると周り始める。

 それだけじゃない。

 何度も地面に打ち付けられ、全身がビリビリと痛む。

 俺は地面に倒れ、痛む全身に鞭をうち、立ち上がる。


「な、何だ……ゴホッ……口ん中……切った……」


 口の中に不快な鉄の味が広がり、一瞬の間に俺の制服が砂埃で汚れる。

 俺が前を向いた時、そこに居たのはキャンディを咥えたドロシーちゃんだ。

 ドロシーちゃんはシュッ!! シュッ!! と言いながらシャドーボクシングをし、口を開く。


「さって、次はオバカさんにどういう一撃を食らわせよっかな~」

「ど、ドロシーちゃん?」

「うん、そだよ。最低最悪のクズ野郎☆」


 ニコっと笑うドロシーちゃんに俺は背筋が寒くなるのを感じた。

 ドロシーちゃんはにこやかに笑ったまま、その背中に生えた翼を大きく開く。


「だって、そうだよね? お姉ちゃんを泣かしたんだもん☆ 流石に仏のドロシーちゃんと呼ばれた私でも、お姉ちゃん泣かされちゃったらね……。

 ブチ殺したくなっちゃう☆」


 ゾク……。

 初めて吸血鬼の殺意を感じた。

 今までアリスからも絶対に感じる事は無かった明確なまでの種族の差。

 俺は一瞬、心が全て恐怖に支配されそうになるが、すぐさま踏みとどまる。

 ダメだ、恐怖に負けるな。

 ドロシーちゃんは分かってる。間違いなく、アリスから事情は聞いてるんだ。

 だったら、俺が聞かなくちゃいけない事はただ一つ。


「ドロシーちゃん、アリスは何処?」

「えぇ~、教えるのぉ? やだな~。だって、カイトさんにとってお姉ちゃんはどうでもいいんでしょ? そんな人に今更何で会うの?」

「謝りたい」

「何を?」

「アリスに酷い事を言った事……それと、ちゃんと……その伝えたい言葉があるんだ」

「ふぅん……」


 俺の言葉にドロシーちゃんは含みのある顔をしてから、ゆっくりと飛翔する。

 そして、ジャングルジムの頂上に立ち、口を開いた。


「都合良過ぎじゃない? 自分の身勝手でお姉ちゃんを傷つけてさ。今更謝るから許して欲しいって事?」

「それは……」


 過去は取り戻せない。

 俺の言った言葉は決して取り消す事は出来ない。

 クズと罵られてもしょうがないし、それは受け入れなければならない。それだけの事をしたんだから。だからこそ、謝らないといけない。

 許されなくても謝り続けるしかない。それでも拒絶されるのなら……。


「許してもらえなくてもいい」

「へぇ……」

「許して欲しいなんて思わない。でも、話しだけはしたいんだ。俺はまだちゃんとアリスと向き合ってないから」


 そう、俺はまだアリスとちゃんと向き合ってない。

 世の中の全てをフラットに見る。それは言えば、聞こえは良いかもしれない。

 でも、それは同時に『誰とも深く足を踏み入れない』という自衛の考えでもある。

 傷つく事が怖いから、人の深くに入り込まず、フラットに見ているつもりで上辺の付き合いしかしない。それは全部、俺自身が傷つく事を恐れていたから。

 物事をフラットに見て、表面だけで相手を知った気になって、上辺だけの付き合いを続ける。

 誰かを特別視すれば、必ず傷ついてしまうから。


 俺は体の良い言い訳をしていただけで、その実アリスと本当の意味で向き合った事は無い。

 だからこそ。俺は拳を力強く握る。


「だからこそ、俺は今度こそ向き合いたいんだ。アリスに。許して欲しい訳じゃない、ただ、話しがしたい、だけなんだ。そしたら、俺は……君たちの前から消えるよ」

「……それを決めるのはアンタじゃない。お姉ちゃんだ」

「そう……だな……」

「ふん……なるほどね。多少は……気づいたかな」


 ブツブツ、とドロシーちゃんがそんな事を呟き、ジャングルジムの頂上から降りて来る。


「お姉ちゃんの居場所、教えよっか?」

「ほ、本当か!?」

「うん。でもね、一つだけ忠告。今、お姉ちゃんが居る場所は人間にとってはとっても厳しい所なの。分かる?」

「厳しい……所?」


 俺が目を丸くすると、ドロシーちゃんは指差した。

 それは暗くて分からないけれど、ここから東の方角。


「あそこに山があるの知ってる? 登山道の所」

「ああ、知ってる」

「あそこの頂上ね」

「え……」

「お姉ちゃんは、時々夜になるとあそこで月光浴してるの。今日は特にいやな事があったから、整理したくて月光浴してると思うんだよね。あそこが一番、月が良く見える場所だし」


 つまり、この暗がりの中、山登りをしなければならない、という事か。

 俺は人間。吸血鬼のように空を飛ぶ事が出来ない。そして、ここでドロシーちゃんに連れて行ってくれなんて言える訳も無い。

 登山道は間違いなく明かりもなく、一歩間違えば命を落とす。

 ドロシーちゃんは淡々と無機質に言う。


「お姉ちゃんに会いたいんでしょ? あれだけ酷い事したんだから、自分の命くらい天秤にかけられるよね」

「……当たり前だ」

「じゃあ、いってらっしゃい。健闘を祈ってるよ~」


 暢気なドロシーちゃんの声に背を押され、俺は駆け出す。

 命がどうとか今更言ってられない。アリスに会うくらいなら、俺の命くらい懸けてやる!!










 東の方向へと走っていくカイトさんの背中を見て、私は後ろで手を組む。


「ニヒヒ、お姉ちゃん、本当に愛されてるねぇ」


 あれから私はお姉ちゃんと一緒に過ごしてた。

 その中で、何度もお姉ちゃんのスマホに連絡が来ていたけど、それは全部私の念力で弾き飛ばしていた。

 吸血鬼ともなれば文明の利器だって操作出来ちゃうんだから。

 それからお姉ちゃんはすぐに自分のお気に入りの場所に向かった。

 それがさっきカイトさんに教えた場所。きっと、今でも居ると思う。

 

 私たち吸血鬼だったら、行くのは簡単。

 ちょっと空を飛んで、ばびゅーん、と行けばすぐだ。

 でも、人間は違う。この夜の闇が落ちている中で、足場の悪い道を進む。

 最悪命だって落とす事になるし、警察のお世話にだってなるかもしれない。


 でもね。


 お姉ちゃんはそれだけ傷ついたんだよ?


 大好きな人に酷い事を言われて、それが辛くない訳ない。

 なのにね、お姉ちゃんは君の事を待ってる。


 本当はね、あの時、君の腹を貫きたかった。

 お姉ちゃんを泣かせた奴は今だって許せない。


 でも、君は少しだけ変わってた。

 ちゃんとお姉ちゃんと向き合おうとしていた。だから、今回だけだから。


 もしも、次。同じような事があったら、絶対に許さないから。


「だから、ちゃんとお姉ちゃんを見てあげてよ、人間さん。ふふ、さって。私はか~えろ!! お姉ちゃん居ないし、ゲームでもやろっと!!」


 私は地をけり、空へと浮かび、東にある山を見つめる。


 お幸せに。


 そう思い、私は自宅に向かって飛び立った――。

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