第26話 親友 サル

「はぁ……何してんだ、俺は」


 俺は自分自身に嫌悪しながら屋上の扉を開ける。

 何やってんだ、本当に俺は。

 自分自身が嫌になる。あんな言い方をした事を今更になって後悔してきた。

 俺は頭を抱える。


「あんなん、俺が当たり散らしただけじゃねぇか……」


 自分の醜い感情を盾にアリスに八つ当たりしただけ。

 ただの最低クズ野郎。俺の自己嫌悪は別の方向性へと変化していく。

 今までは自分自身の感情に嫌悪していたのに、それがアリスを傷つけた自分自身の不甲斐無さへと変わっていく。

 俺はアリスにあんな顔をさせたいが為に、そんな事を言ったのか。

 

 そんな訳無いだろ……。


 俺は心の中で叫ぶ。

 そんな訳が無い。俺がアリスにそんな感情を抱くはずが無い。

 俺はただ、自分自身の感情が……。

 俺がそんな事を考えながら、階段に足を踏み入れようとした時だった。


「おい、カイト!!」

「……さ、サル?」


 突然、目の前から聞こえたサルの声に困惑する。

 何でサルがここに?

 俺がそんな疑問を抱くよりも前にサルが猛然と迫る。

 勢いそのままにサルは右拳を作り、俺の右頬を貫いた。

 

 あまりに唐突な一撃に俺は思わず後ろに倒れ、屋上の扉に背中をぶつける。


「いっ……何しやがんだ!!」

「それはこっちの台詞だ!! クソ野郎!!」


 サルは怒りの形相をしたまま叫ぶ。


「お前、女王様になんてこと言ってんだ!!」

「……聞いてたのか?」

「当たり前だ。オメー等ずっとギクシャクしてたからな!! でも、そんな事、今はどうでもいいんだよ!! オメー、今、滅茶苦茶最低な男だ!!」

「…………」


 俺はズボンに点いた埃を払い、立ち上がる。

 そんな事はサルに言わなくても分かっている。

 自分自身が今、滅茶苦茶最低な事なんて。

 でも、そんな最低が自分がアリスから離れれば、それで良いじゃないか。


 俺のこんな、クソみたいな感情を抱くような人間とは離れれば。


「……ああ、そうだ。最低な人間だよ。俺はアリスを傷つけた挙句、気持ち悪い感情を抱いてるんだからな」

「気持ち悪い感情? 何だ、それ?」

「…………」


 サルの問いに俺は押し黙る。

 こんな感情を親友に話す事すら憚られる。

 俺は何も言わずに去ろうとすると、サルが俺の腕を掴んだ。


「おい、俺の質問に答えろ!! 気持ち悪い感情ってのは何だ!?」

「てめぇに言うつもりはねぇし、言いたくもない」

「……女王様を独り占めしたい、とかか?」


 サルの投げかけた言葉に俺は心臓をぎゅっと鷲掴みにされる感覚を覚える。

 何で、俺の感情がこいつに分かるのか。

 俺の心の中に疑念が浮かぶと同時に、サルは目を見開く。


「……え!? オメー、マジで……」

「あ? ち、ちげーよ!!」

「…………はぁああああああああ……」


 サルは毒気を抜くかのようにクソデカ溜息を吐く。

 それから俺の腕を掴んだまま、頬に掴んでいない手で頬を突いてくる。


「オメー、マジで最低だな!!」

「……んだよ、今、そういう気分じゃねぇんだよ」

「だろうな。でもな、オメー、少しは自分の気持ちに素直になったらどうだ?」

「素直に? 俺は最初から素直だろうが」

「いいや、素直じゃねぇな」


 サルは真剣な顔で俺を見ながら言葉を続ける。


「お前は今、女王様を自分のものにしたいって本気で思ってる」

「んな訳……」

「ねぇとは言わせねぇな。お前はそう思ってる」

「…………ちっ」


 俺は舌打ちをする。

 サルは絶対に俺から目線を外そうとはしない。

 俺の全てを見透かしているような目を絶対にやめない。

 こいつの事を俺が分かってるように、こいつだって俺の事を良く分かってる。

 

「それは独占欲みてーなもんで、オメーはそれを嫌悪してる。それは誰かを特別として見る事になるからだ。それはオメーの仁義から遠く離れてるもんな?」

「……ああ、そうだよ」


 俺が観念すると、サルが俺の腕から手を離す。


「俺はアリスを自分のモノにしたいって思ってる。多分、俺は今、アリスを特別だって思ってみてるんだよ。でも、この感情が、俺は気持ち悪くてしょうがない。

 そうだろ? 勝手にてめぇのモンだって思ってよ」

「……オメーは綺麗に生きようとしすぎだ。良いじゃねぇか、女王様を自分のもんにしたいって思ったってよ」


 サルはそう言いながら、俺の肩を叩く。


「オメーの心がそう言ってるんだろ? 女王様は特別だって。なら、その気持ちに素直になれ。お前は女王様の事、どう思ってんだ?」


 サルの問いを俺は考える。

 アリスの事、俺はどう思っているのか。

 そんな事、簡単だ。

 俺はアリスと一緒に居たいと思ってる。

 嫌ではあるが、独り占めしたいとも思ってる。

 彼女を悲しませたいなんて全く思っていない、むしろ、アリスにはいつまでも美しく、そして、気高く、何よりも、笑顔で居てほしいと思ってる。

 そう思ってる奴は他にも居る。目の前に居るサルだってそうだ。


 けれど、違うんだ。


 サルに抱く感情とアリスに対して抱く感情は。


 アリスは、俺にとってアリスは。


 絶対に失いたくない大事な人。 



「俺はアリスの事……誰にも渡したくないし、傷つくのだって嫌だ。ましてや、アリスが悲しむ顔なんて見たくない……。俺は……俺にとってアリスは……特別だ。

 絶対に絶対に失いたくない人だ」

「……絶対に失いたくないなら、お前のすべき事はもう決まってんだろ?」

「でも……こんな気持ちをアリスに伝えて、嫌われないのか? 俺はアリスに嫌われるのだって……滅茶苦茶、怖い」


 俺は素直な気持ちを吐露する。

 すると、サルはふっとニヒルに笑った。


「大丈夫だっての。オメーは変なところでビビリだな。大丈夫だ、女王様はオメーを絶対に嫌ったりしねぇよ。俺が保障してやる。それに、もうオメーは最低値をたたき出してる。

 これ以上、下がることはねぇさ。だから、ちゃんと女王様と向き合いな。オメーは女王様のこと、好きなんだろ?」


 好きなんだろ?

 サルにそう言われて、俺はハッとする。

 好き。

 その言葉がなぜだかしっくり来た。

 そうだ、俺はアリスの事が好き。俺にとってアリスは特別な存在で、決して失いたくない。

 それでいて、好きだと思っている人。

 

 そこで気づく。やっと、気づいた。


 そうか。

 この独占欲、アリスを失いたくないって気持ちも、アリスに笑っていてほしいって気持ちも。

 全部、全部、俺がアリスを好きって証。恋心なんだ。

 確かにそれは醜いものかもしれない。

 アリスを自分のもの、独占したいって気持ちは消えた訳じゃない。

 でも、それ以上に今はアリスを傷つけてしまった自分が情けなくて、悔しくて。

 そんな事をさせてしまった自分が許せなくて、ただただ、アリスに謝りたい。


 そして、この気持ちを彼女に伝えたい。伝えなくちゃいけない。


 酷い事をしてごめんなさい、と。


 それを伝えなくちゃいけない。俺はポケットからスマホを取り出し、アリスに連絡する。

 ワンコール、ツーコール、スマホは鳴るけれど、出ない。

 

「くっそ、悪い、サル!!! 早退するって伝えてくれないか!!」

「ん? おう!! ちゃんと伝えてこいよ」


 サルの声を背に俺は走り出す。

 アリスにちゃんと俺の気持ちを伝えるんだ、伝えなくちゃいけないんだ――。

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