第24話 すれ違い

 最近、カイトの様子がおかしい。

 あれから毎日のようにカイトと過ごしているけれど、明らかに距離を感じている。

 前まではそんな事は一度も無かったのに。


『……悪い。俺、教室に戻ってるな』

『え、ええ……』


 吸血行為が終わった後、前までだったら、色々な話をしていた。

 日常の事や学校生活での事、些細な事まで話していたはずなのに、気付けば何も話さず、一つの仕事を終えたように去っていく。


 当然、私はそれが悲しいと思うし、寂しいとも思う。


 カイトは初めて私を私として見てくれた人。

 そんな人なのに、どうして変わってしまったのか。


「それを今日ちゃんと聞かなくちゃ……」


 もうずっとだ。カイトの元気も無く、ずっとずっと悩んでいる様子だ。

 私が話しかけても、逃げるように何処かへと行ってしまうし、私を避けているようにも感じる。

 それでも私は彼に聞かなくちゃいけない。


 私はいつだって彼に助けてもらっていたから。


 私は屋上で日傘を差し、カイトを待つ。

 

「……遅いわね」


 前まではすぐに来てくれていたのに、今ではなかなか来てくれない。

 お弁当は一応、食べてくれてはいるけれど、それでもただ食べているだけ……。

 本当にいきなりの変化だった。


 何故、彼がこんな変化をしてしまったのか。

 どうして、変わってしまったのか。彼を苦しめているモノは一体何なのか。

 私は忌々しい太陽を見つめ、待ち続ける。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。

 ゆっくりと屋上の扉を開かれ、カイトが姿を見せる。

 やはり、カイトは心ここに在らずといった様子で、私とは目すら合わせようとしない。

 カイトは私からほんの少し、いつもよりも遠い場所に腰を落ち着かせ、右袖を捲くる。


「ほら、アリス」

「…………ねぇ、一つ聞いてもいい?」

「何だ? 時間が無いんだ」

「時間が無くても。話を聞くくらい出来るでしょう?」

「…………なんだ?」


 一つ溜息を吐いてからカイトは言う。

 その態度に私は半ば苛立ちを覚えながらも尋ねる。


「貴方、最近どうしたの? 明らかに様子がおかしいけれど」

「そうか? 普通だろ」


 いつもの優しげな雰囲気とは全然違うぶっきらぼうな態度を全く隠そうともしない。

 そんな彼の態度に私も苛立ちがゆっくりと募っていく。

 どうして、そんな態度をされなくてはいけないのか。


 しかも、それがほぼ毎日。突然、何の説明もなしに。


 それでも私は心の中にある苛立ちを押さえ、カイトに声を掛ける。


「普通じゃないわ。前までの貴方はもっと優しかったわ。それに色んな話だってしてた。なのに、どうして? どうして今は私から逃げようとするの? 私、何か貴方の癇に障るような事したかしら?」

「…………」


 私の問いにカイトは何も言わない。

 ただ、目を閉じて、沈黙を貫くだけ。

 言わなくちゃ、何も分からないのに。


「私は貴方が何か困っているのなら、力になりたい。貴方が苦しんでるなら、助けてあげたい。貴方が私にそうしてくれたように。だから……話して。どうしちゃったの?」

「……お前には関係ない」

「関係ないって……関係あるわよ」

「どこが?」

「…………」


 カイトに言われ、私は押し黙ってしまう。

 そりゃ確かに。彼とは関係はないのかもしれないけれど、私が彼の友人である事には変わりないはずだ。

 私は一つ息を吐く。


「わ、私は……貴方を大切な友人だと思ってる……そ、それに、私は貴方を……」


 ここで言うべきじゃないのかもしれないけれど。

 私の素直な気持ちをカイトに伝えれば、何か変わるような気がした。

 これを伝えれば、きっとカイトだって。

 そう思った時、カイトは大きな溜息を吐いた。


「やめてくれ」

「……え?」

「お前は俺を大切な友人かもしれないが、俺はそうじゃない」

「…………」


 え? 私は言葉を失い、血の気が引くような感覚が生まれた。

 大切な友人じゃない?

 じゃあ、今までの優しさは全部、何だったの? 私の頭の中には疑念が渦巻き、混乱する。


 カイトがそんな事言うはずが無い。

 彼は優しい人、否、でも、それはもしかしたら、全部演技?


 彼もまた、私を変に利用しようとした人間なの?


 私を私ではなく、他の人間たちと同じ……私を私として見てくれないの?


 私の、この気持ちは……何だったの?


「俺は君は所詮、吸血鬼と食糧係だ。それ以上も以下でもないよ」

「……何よ、それ」

「え……」


 私の中で何かが切れた気がした。

 ショックだった。私の心を許した人がまさか、そんな人だったなんて。

 そして、痛感する。やっぱり、私は人間とは仲良くする事が出来ないんだと。


 彼は言った。


 吸血鬼と食糧係だと。

 それは確かにそうかもしれない。でも、私は……カイトと私は友達だと思っていた。

 私のこの心の中で常に燻り、心を暖めてくれる優しい気持ちは『恋』だと思った。

 彼を愛する気持ちは人間であろうとも、吸血鬼であろうとも、何も変わらないって、そう思ってた。


 でも、やっぱり――違うんだ。


 私の見ていた景色と、貴方の見ていた景色はあまりにも違いすぎる。


「貴方は……私がただ、貴方を食糧係としてしか見ていないとそう思っていたの?」

「……ああ、そうだろ。その方が互いにラクだ。変に踏み込まなくても、フラットな関係で居られる。深入りする事が無ければ傷付く事も無い。ただ、君は俺の血を欲して、俺は血を捧げる。

 たった、それだけでいいんだよ。それが一番、誰も傷つかないで済む」

「…………」


 彼の言葉には諦観が込められているような気さえした。

 そうか、もう。彼は私と関わりたくないんだ。

 

 私が彼から感じたのは、今までの優しい、作られた温もりなんかじゃない。


 どこまでも冷たくて、遠ざけようとする。そんな冷たいものを感じた。


 そう。貴方はそう、したいのね。


 私は手に持っていた日傘を見つめる。だったら、もう。

 これも必要、無いわね。


 ぐしゃ、っと私は簡単に日傘を圧し折り、屋上に捨てる。


「そう。分かったわ。貴方の気持ちが」

「…………」

「吸血鬼と食糧係、ええ、そうね、そういう関係だものね。私が勝手に勘違いしてたわ。貴方に私が勝手に幻想を抱いていただけ。

 結局、貴方も有象無象に過ぎないのよ。口先ばっかりで……」

「…………」


 止められない思いが胸の中で爆発して、それが涙となって溢れてくる。


「私を……裏切った……貴方は……私を……」



 「さいっっっっていっっっ!!!!!」


 私はそう叫び、屋上から飛び立つ。

 周りの目なんか気にしてられなかった。気にする余裕なんて無かった。


 初めて、初めて心の底から信頼できる人が現れたと思ったのに。

 それは全部、私が思い上がった勘違いだった。私はただ、彼に踊らされていただけ……。


 大好きだったのに……。

 彼は私を受け入れてくれるって思ったのに……。


 私はずっとずっと一緒に居たかったのに……。


「うぅ……ああ……あああああああッ!!」


 零れ落ちる涙を抑える事なんて出来なくて、私は逃げるように空中を飛びながら、ただただ、声を上げて泣き続けた。

 この胸の中にある恋が完全に打ち破れた事を感じて――。








 俺は屋上の床に落ちた日傘を拾い上げる。

 真ん中からグニャリとへし折れていて、もう使えそうにも無い。

 これで、良かったんだよな。俺は自問自答する。

 

 これが良い。


 ちょっと想定と違ったかもしれないけれど。これで俺はアリスに気持ち悪い感情を向けずに済む。

 アリスはずっと気高く、美しいままであれる。

 今は泣くかもしれないけれど、俺と関わらない事であの子も前にいけるはずだ。


「これで良い……良いん……だよな……」


 これで良い。

 ああ、そうだ。これで良い。

 そう自分は思っているのに、何でこんなにも心がざわつくんだ。


 何でこんなにも、心がいてぇ……。


「くっそ……」


 俺はただただ、この心の痛みが何なのか分からず、ここで呆然とする事しか出来なかった。


 俺は……間違えたのか?

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