第23話 嫌悪感

 お昼休み前の授業中。

 俺はずっと悩んでいた。

 最近、ずっとおかしい。


 サルにも話をしたが、自分の心がしっかりと定着していないというか、ふわふわしていると言った方がいいかもしれない。

 何だか心が定まっていない不思議な感覚に陥っている。

 

 今までこんな感覚になる事なんて殆ど無かった。

 だから、この感覚の意味が分からず、俺はサルに相談した。


 すると、サルはこれを『恋』だと言った。


 そんなバカな。


 俺は自問自答する。これが恋な訳がない。


 俺の考えている恋は下心を持った人間の気持ちだ。

 前に聞いた事がある。

 愛は真心、恋は下心と。

 つまり、恋という感情を俺はそんな素晴らしい感情だとは到底思えない。

 むしろ、人間が持つべきではない感情だとも思っている。

 

 サルは言った。


 お前以外に人間からアリスが血を貰ったらどう思うか、と。


 俺の心はそれを拒絶した。

 アリスが俺以外の人間から血を貰うだなんて事、想像したくもなかった。

 これは良くない感情だ。一種の独占欲だ。


 俺をこれを嫌悪する。

 人を独占して何になるというのか。

 アリスは何も俺のモノの訳がない。アリスはアリスだ。彼女を独占する事なんて誰にも出来るはずが無い。


 なのに、そんな邪な感情を抱く自分に嫌悪する。

 ふと、俺は隣に居るアリスを見た。


 今は集中して授業を受けている。俺の視線にも気付いていないらしい。


 いつからだろうか。アリスの顔をあまり良く見る事が出来なくなったのは。

 前まではそんな事無かった。アリスの顔がどれだけ美しかろうとも、マジマジと見る事が出来ていたはずなのに。

 今はそれすらもする事が出来ない。

 

 最近の俺は妙にアリスを気にしすぎている。

 アリスの一挙手一投足から目を離す事が出来ず、まるでブラックホールのように勝手に視線を吸い寄せられ、見ている自分が居る。


 それだけじゃない。


 もしも、アリスが他の男子と話していても、何だか心に陰りが生まれる。


――何、お前がアリスと話してるんだ?


 そんな誰かが咎める事なんて絶対に出来ないはずの感情が芽生え、その度に俺は自己嫌悪に陥る。

 そんな感情をアリスに抱く自分自身が、気持ち悪すぎて。


 誰かを特別視なんて絶対にしない。全ての人間をフラットに見つめるようにすると決めている人間が、誰かと関わる事を強制しようと、あまつには独占欲まで抱こうとしているなんて。


 気持ち悪くてしょうがない。


 俺は一つ息を吐く。


 こんな状態じゃ、アリスに会う事なんてもう出来ない。

 アリスは俺の事を『食糧係』としてしか見ていないはずだ。

 そんな食糧係が意志を持って、アリスそのもの、つまりは女王様を独占しようとしているなんて、彼女からしても傍迷惑な話だろう。

 そもそもの話。

 

 この関係は最初から吸血鬼であるアリスと食糧係である俺、というのは不変のはずだ。

 そこから変わる事が無ければ、変わる必要なんてなかった。

 変わってしまって、仲良くなってきたからこそ、俺はこんな邪な感情を抱いてしまったのかもしれない。


 俺はこんな感情をアリスに向けたくない。

 

 アリスは気高く美しい。

 誰かが独占していい存在ではなく、ただ一人、頂点に君臨する女王様だ。

 そんな彼女を独占? ふざけた事は大概にしろ。


「……カイト、カイト」


 俺のような食糧係が、アリスの側で独占なんて下らない。


「カイト……」

「あ?」

「当てられてる」

「え?」


 いきなり、アリスに呼ばれて、俺は目を丸くする。

 すると、教卓に立っている先生が溜息を吐いた。


「大丈夫ですか? 先ほどからずっとぼーっとしていますが……」

「ああ、すいません」


 思考に没頭しすぎて、授業を聞いてなかった。

 これは反省しなくちゃいけないけれど、俺は心の中で一つ息を吐く。

 

 一度、思考を変えよう。じゃあ、俺にとってアリスって何だ?

 吸血鬼であり、ただの一般女子生徒であり、ただの女の子のアリスを、俺はどう思っている?


 人間的に好意は持っている。

 当たり前だ。そうじゃなくちゃ一緒にいる訳が無い。

 じゃあ、命を懸けてでも守りたいと思える程の存在なのか?

 この問いに対して俺は首を傾げる。


 そもそも、アリスは守る必要なんて無いから。


 アリスは一人で生きていける。俺が居なくても。

 何でも出来るアリスならば。

 女王のように気高く生きていけるアリスならば。


 ……そうか。


 俺の頭の中で答えが浮かび上がってくる。

 

 俺は所詮、食糧係。それ以上でも以下でもない。

 だったら、簡単な話だ。俺はアリスと必要以上に関わる事を辞めれば良い。

 

 こんな薄汚れた、気持ち悪い感情を抱く俺がアリスの側に居なければ良い。

 ただ、ただ、血を与え続けるだけの存在になればそれで良いじゃないか。


『大丈夫?』


 俺の視界にノートの隅が入り込んでくる。

 そこには見慣れたアリスの字。心配してくれているのか。


 こんなにも気持ちの悪い俺の事を。


 本当に、優しい子だ。


 優しいからこそ、俺は相応しくない。 

 俺はノートに書く。


『何でもない』


 ただ、それだけ。

 

 ああ、それだけで良い。俺はアリスの食糧係。


 それ以上でもそれ以下でもないんだから――。

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