第13話 雨の日

『ほらほら、早く行こう!!』

『このくらいなら大丈夫だろ!!!』


 ある日の下校時間。 

 下駄箱の方からそんな声が聞こえてくる。俺は廊下の窓から外を確認した。


「うわ、降ってきたな」


 どうやら雨が降ってきたらしい。

 朝の天気予報で言っていた。今日は通り雨があるかもしれない、と。

 それを見越して俺は傘を持ってきていて、正解だったらしい。


「おい、カイト。早く帰ろうぜ。雨が強くなる前にさ!!」

「だな」


 廊下でサルに急かされ、俺は下駄箱へと足を進める。

 多くの生徒達がカバンを傘代わりにして、帰り道へと進んでいく。

 確かにそんなに強くもないし、駆け抜ければ問題はないのかもしれない。

 と、俺が下駄箱で靴を変えていると、袖を引っ張られる。


「おい、カイト」

「どうした、サル」

「あれ」


 そう言いながらサルが指差した先にはアリスが居た。

 相変わらず、何処に居ても絵になるな……。

 物憂げに天気を見つめるその立ち姿は気品に溢れ、1枚の絵画のようだ。

 すると、サルは俺に肘を当てながら、ニヤニヤする。


「お前、声掛けてやれよ」

「え?」

「良いから。んじゃな、俺は先に帰るからよ!!」


 そう言いながら、サルは駆け出していく。


「あ、おい!!」


 ったく……。

 俺は心の中でそう呟き、アリスを見た。

 そういえば。俺は思い出す。

 吸血鬼って流れる水が苦手、だという話を見た事がある。

 何でも流水というのは万物に流れるモノであり、根源的な考えがあるらしく、吸血鬼などの正道から外れた存在を滅する力があるとかないとか……。


 とてつもない眉唾に感じる話ではあるが、多分、今アリスは困っているんだろう。


 俺はアリスの隣に近付き、声を掛ける。


「アリス。帰らないのか?」

「カイト……雨が降っているからね。止むのを待ってるのよ」

「ああ、なるほど」


 そう言いながらじーっとアリスは天を見上げる。

 どんよりとした雲が広がり、しとしとと雨が降り注いでいる。

 どうにもしばらくは止みそうにない。しょうがないか。


「アリス、傘、貸そうか?」

「え? それだと貴方が濡れるじゃない」

「いや……俺は別に良いよ。ほら」

「…………」


 カバンの中から折り畳み傘を取り出し、アリスに渡そうとする。

 けれど、アリスは受け取る素振りは一切見せずに首を横に振る。


「ダメよ。それは貴方が使いなさい」

「……でも、しばらくは止まないぜ? 学校から借りたりは出来ないのか?」

「今は傘が余ってないそうよ」


 どうやら既に手は打っていたらしい。その上での立ち往生か。

 なら、方法は一つだけだな。

 俺は傘を開き、一歩前に出る。それから、傘を少しだけアリスの方へと向ける。

 アリスは目をパチクリとさせる。


「え? え?」

「だから、入れって。家まで送るよ」

「…………」


 ポカーン、としばしアリスが固まる。

 そんなに困るもんかな? 俺が首を傾げると、アリスは一つ咳払いをした。


「んんっ……わ、分かったわ。幸い、家はそんなに遠くないから……」

「そうか。なら、入って来いよ」

「え、ええ……」


 何処か緊張した面持ちでアリスが傘の中に入る。

 う~ん、これは所謂相合傘、という奴になるが、俺は一度も気を抜けない。

 しかも、これがバレたらどうせ、アリスが気にしちゃうし。

 俺は出来るだけ気付かれないように、アリスに雨が当たらないよう傘を差す。


 俺とアリスはゆっくりと歩みを進め、門を抜ける。

 徐々に雨足が強くなっていき、ポタポタと傘に水の当たる音が響く。


「だいぶ強くなってきたな」

「……そ、そうね」

「何でこっち見ないでそっち見てんだよ」


 アリスは俺の方ではなくそっぽを向いて会話をしている。

 

「お~い、アリスさ~ん」

「う、うう、うるさいわよ!! ま、全く!!」

「何もうるさくしてないんだけど……」


 とりあえずアリスが落ち着くまで待つか。

 そんな事を考えながら、出来るだけアリスのペースに合わせて足を進めていく。

 そんな時だった。アリスがポツリと口を開いた。


「雨は好きじゃないわ」

「……どうした急に」

「吸血鬼にとって雨は好みじゃないのよ。肌に当たると痛いし、ずっとチクチク針で刺されるような感覚になるの」

「はぁ……それはアレか。やっぱり根源的な……」

「ふふ、何それ」


 くすくすと笑うアリスは言葉を続ける。


「そういう事ではなくて、純粋に種族として弱点が多すぎるのよ。普通の人間が平気なものが苦手だったりね。そういうのが時々、人間と吸血鬼っていう明確な差を感じさせるから。

 雨が好きじゃないのよ」

「なるほどな」

「ほら、良く雨の中を走るなんてシチュエーションがあるじゃない? あれ、吸血鬼には出来ない事なのよ。だから、そういうのに憧れるのと全く同じね」

「いや、人間も濡れたくないけどな。風邪引くし」


 人間だって別に好き好んで雨に打たれるわけじゃない。

 あんまりびしょぬれになると、風邪を引いて後に触るし。

 そんな事を考えていると、アリスは笑う。


「それも人間の特権よ」

「そっか。そういうもんか。難しいな」

「ええ、難しいと思うわ」

「でも、それが君と俺が違うという理由にはならないけどな」


 俺がそう言うと、アリスは一瞬だけ目を丸くしてから柔らかな笑みを浮かべる。


「私は私だから?」

「そ。そういうのは上手く付き合っていけば良いだけだろ? 吸血鬼にだって良い所はあるし」

「例えば?」

「ま、魔法が使えるとか? あ、あと、あの怪力!! あれ、便利だよな。後、空も飛べるし!! 空を飛べたら通学もラクじゃね?」

「確かにそうかもしれないわね」

「なぁ、言って思ったんだけどさ。雨を魔法とかでどうにかできないのか?」


 前にサラリと言っていたが、アリスは魔法が使えるという話をしていた気がする。

 だったら、その便利能力で雨を避けるなんて事が出来そうだが。

 その疑念にアリスは頷く。


「ええ、出来るわよ。でも、吸血鬼の特徴が出ちゃうから」

「あー……なるほど。それはダメだな」

「でしょ? だから、使えないの」

「そうか。いつか見たいな、アリスが魔法使う所」


 いつの日か見てみたい気持ちはある。

 一体、アリスがどんな魔法を使うのか。それにアリスはクスっと笑う。


「いつかね」

「おう、じゃあ、約束な」


 俺とアリスがそんな話をしながら足を進めていると、車が走る道路に出る。

 う~ん、確か、この辺りってアレだよな。

 車がビュンビュン走っていくんだよな。

 雨が強く、水溜りも割りと見える。これは車道側を歩かせられないな。

 

 俺はアリスに気付かれないように車道側に立ってから口を開く。


「アリスの家は後どのくらいだ?」

「そんなに掛からないわ。それと、今、貴方車道側に立った?」

「え? そうだけど……だって、この辺りって車、結構スピード出して、水が跳ねるだろ? それでアリスが汚れないようにしたんだけど、余計なお世話だったか?」

「……いいえ。別に。それよりもずっと気になってるんだけど」

「何?」


 気になってる? 一体なんだろうか。

 俺が首を傾げると、アリスは傘の位置をほんの少しだけ俺の方へとずらす。


「貴方、左半分が濡れすぎよ。私にばかり傘、差してるでしょ?」

「え……あ、あー、バレてた?」

「バレてるわよ……そ、そういう所も好きなんだけど……」

「あぶね!!」


 何かをアリスが言ったのだが、それと同時にかなりの速度で車が駆けていく。

 そのエンジン音、そして、水溜りをタイヤが駆けた勢いで水が大きく跳ねる。

 それに驚いた俺は思わずアリスの方へと身を寄せてしまい、アリスもあまりに突然な事に体勢を崩す。

 そのままアリスは民家の壁に背中から当たり、俺はそれに覆いかぶさるようになり、壁に手を付く。


「うわ、ビックリしたな。マジで。ご、ごめん!! アリス、大丈夫……」

「……ふえ?」


 あー、これはあれか。壁ドンって奴か。知ってる知ってる。

 アレだよな。女の子の憧れのシチュエーション的な。ただしイケメンに限るけれど。

 それをどうやら事故の拍子でやってしまったらしい。

 これは怒られてもしょうがない。


「あ、アリス!? 顔真っ赤だぞ!? ど、どうした!?」

「~~~~~っ!? は、離れて!!」

「ごめんごめん」


 俺はすぐさまアリスから離れるが、その時ふと、あ……というアリスの呟きが聞こえた気がした。

 しかし、俺はアリスが濡れないように傘を差し、口を開く。


「いや~ビックリした。マジで」

「わ、私もビックリしたわよ、い、いきなり……あんな……」

「ごめんて」


 あはは、と俺が取り繕うように笑う。

 すると、アリスはじっと、俺のズボンを見た。


「貴方、避け切れてないわよ」

「え? あ……本当だ……」


 今まで気付かなかったが、足元がぐっしょりと濡れていた。

 うわ、これは面倒くさい。それに上半身もアリスを守っていたおかげでびしょ濡れだ。

 そう思うと、何故だろうか。鼻がムズムズしてきた。


「は、はっくしょん!!」

「……少し冷えたかしら?」

「どうだろ? たまたまだろ?」


 アリスに余計な心配は掛けたくない。

 俺は出来るだけ平気な様子を見せるが、アリスは軽く髪を撫で、ほんのり頬を紅くしながら言う。


「あ、貴方……家は何処なの?」

「全く逆だけど……」

「ぎゃ、逆!?」


 そう、俺の家は今向かっている方向とは正反対。

 ここからだとそれなりに距離はあるが、まぁ、送っていくと決めた以上はしょうがない事だ。

 しかし、アリスは俺に詰め寄り、声を上げる。


「あ、貴方、もっと自分を大事にしなさい。わ、私の為にこんな事までしなくても……」

「俺がしたいからしただけだって。アリスが気にするような事じゃないから。それに、詰め寄ったら濡れるって」

「……もぅ!! こんな時も私の心配!? ちょっと、こっちに来なさい」

「え?」


 アリスが歩き出したのを見てから慌てて、俺は歩き出す。

 アリスを濡らしたくないから。それを利用して、アリスはずんずんと足を進めていく。


「ちょっ!! アリス!! 何か怒ってる?」

「怒ってるわ。だから、貴方。家に来なさい」

「え?」

「雨が止むまで家で休んでいきなさい。これは女王としての命令よ!!」


 そう言いながら、ずんずん進んでいくアリスの後を俺はついていく事しか出来なかった――。

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