第11話 角と羽の秘密

「んくっ……んくっ……」


 喉を鳴らしながら血を啜るアリス。

 もう、これにもだいぶ慣れて来た。

 俺は左手で日傘を差しながら、アリスを見つめる。


 腕に噛み付くアリスから黒い角と翼が生えてくる。

 これにもだいぶ見慣れてきた。


 見慣れてきてはいるが、ずっと気にはなっている。

 人間にはない吸血鬼独自の人体器官。


 アリスは俺の腕から口を離し、舌なめずりをする。


「ふぅ……いつもありがとう、カイト」

「いいえ」


 俺は軽く腕を回し、痛みや痺れなどの異常が無いかを確認する。

 今の所、毎日のように血をあげているが、そのような異常は見られていない。

 血を抜かれる事による貧血なども起きていないし、身体は絶好調だ。


 きっと、毎日、作ってくれるアリスの鉄分たっぷり弁当が効いているのかもしれない。

 俺が腕を確認していると、俺の手から真っ白の日傘を受け取り、影で全身を覆うアリス。


「けれど。私ももう慣れたものね」

「てか、不慣れだったのか?」

「そうよ。これでも人から吸うのなんて初めてだったんだから」

「ふぅん。そういうもんか。じゃあ、一生人から血を吸わずに居る吸血鬼ってのは居るのか?」


 俺の問いにアリスは小さく頷く。


「そうね。あくまでも人からの直接的な摂取が無いって子がいる、という話は聞いた事があるわ。ただ、時々、人間から直接摂取するのが楽しくなっちゃって、見境なくなる子も居るみたい」

「そうなると、なかなか難儀な話になってくるな」

「ええ。でも、最近は減ってるみたいよ。より新鮮なままで血を入手する事が出来るようになってきたから」


 まさか、科学の進歩が吸血鬼の吸血衝動を抑えるのにまで役立っているとは。

 しかし、そういう進歩があれば、吸血鬼も人間社会の中で生活しやすくなっていく、という事だろう。俺は軽く腕を回しながら、口を開く。


「そういうもんか。なぁ、アリス」

「何かしら?」

「ずっと気になってたんだけどさ」

「ええ」

「その角と羽、触っていい?」

「……え?」


 俺の問いにアリスは目を丸くする。

 そんなに意外だったか。俺はじーっと角と羽を見つめる。


「いや、ずっと気になってたんだよ。だって、それ、人間には無いし」

「……そうだけど。え? 触りたいの?」

「ああ、触ってみたい。ダメか?」


 単純な知的好奇心である。

 それにアリスは考え込むような素振りを見せる。

 

 あ、もしかして嫌だったか?


 俺は軽く手を振る。


「あ、嫌だったら別に無理に触ろうとかじゃないんだ。ただ、本当に気になるだけだからさ」

「触りたいの? そんなに?」


 俺の顔を伺うように覗き込んでくるアリス。

 その頬が若干赤みを帯びているのは気のせいだろうか。

 しかし、俺の中にある知的好奇心が抑えられず、俺は小さく頷く。


「あ、ああ。触ってみたい」

「そ、そう……なら、良いわよ。ほら」


 そう言いながら、ほんのり頬を朱に染めて、意を決した表情になるアリス。

 そんなに気合を入れなくちゃダメなところなのか?


 そこで俺は思い出す。


 そういえば、ファンタジー的な作品におけるこうした角や羽というのは割りと敏感な部位でラッキースケベ的な展開になる、というのがお約束……。

 そんな事を考えると、何だか触るのが憚られる……。


 急激に俺の好奇心が申し訳なさに変わっていき、触るのを躊躇ってしまう。

 果たして、本当に触って良いのだろうか。

 俺がマゴマゴしていると、アリスが角を見せ付けた状態、つまり、上目遣いのまま尋ねる。


「何、触らないの?」

「え!? えっと、つかぬ事を聞くんだけどさ……角や羽が敏感で~みたいな話は無いよね?」

「……どういう事? そんなのある訳ないじゃない。ほら」

「じゃあ、触るぞ」


 アリスに急かされるように俺は角に触れる。

 角の表面はツルツルしているのに、芯がしっかりしていて、とても折れそうにない。

 それに先端も鋭く尖っていて、触ると刺さってしまいそうだ。

 こう、子どもが間違って触るとハンドルだと勘違いしてしまいそうな角だ。


 さわさわ、と俺は触ったり握ったりしていると、アリスが言う。


「ね、ねぇ、そんなに楽しい?」

「楽しいっていうか、不思議な手触り? これって感覚ってあるのか?」

「あんまり無いわね。何か触られてるってくらいしか分からないわ」

「そうか。ふぅ~ん……じゃあ、次は羽な」

「はい、どうぞ」


 そう言いながら、アリスは触りやすいようにこちらに背を向けてくれる。

 バサバサっと二度、翼を動いてから、俺は触ってみる。

 翼膜を支える骨子は何というか、触感としては耳に近い。骨が一本、羽を支える為に入っているようだ。しかし、翼膜は本当に薄い膜でありながらも、柔軟性と弾力性を持ち合わせている不思議な感覚。


「これって空飛べるのか?」

「勿論よ。空くらい、簡単に飛べるわ」

「良いよな。学校に行くのに羽使うとか一瞬だろ」

「私は使わないわよ。ていうか、それ飛んでたらすぐにバレるじゃない」

「……それもそうか」


 羽の骨子を撫で、翼膜を触る。

 何というか、角も羽も人間には無いものであるからか、どちらもこの世のモノとは思えない不思議なものだというのが一番の感想である。

 

 俺が満足すると、角と羽が雲散霧消し、消え去る。


「おぉ、ちょうど時間だったか」

「そうみたいね。どうだった?」

「不思議なもんだったな。やっぱり、人間には無い独特のものだったからかもしれないが……う~ん、不思議だ」

「そう? 私としては小さい頃から当たり前にあったものだから、感覚の違いでしょうね」

「だろうな~。いや、良いものを触らせてもらったよ。ありがとう!!」

「……ええ。それじゃあ、私は戻ろうかしら」


 そう言いながら、アリスはお弁当の包みを手に取り、日傘を差したまま立ち上がる。


「じゃあ、また後で」

「あいよ。俺は少し寝てくよ」

「ええ、それじゃ」


 そう言ってから、アリスは屋上から去っていく。

 その背中を見つめ、思う。


――吸血鬼って不思議だな~。と。








 

 屋上の扉を開け、私は一つ息を吐いてから、両手で顔を覆う。

 ぷしゅ~……っと、急激に顔が熱くなるのを感じ、上せそうになる。


 あ、あんなに角と羽を滅茶苦茶に触るなんて……。


 私は彼が触った角と羽の感覚を思い出す。

 別に敏感で、感じたとかそういう話ではない。


 これは吸血鬼の中で言われているお話。


『吸血鬼にとって角と羽は命の次に大事な部位。それを他者に触らせるという事はその他者に全てを曝け出す事と同じ。つまり、貴女がこの世で最も心を許した人以外には触らせるべきではない』と。

 これはつまり、友人ならば唯一無二の友。

 そして、異性ならば――結婚相手。

 そういう事である。


「……きゅ、吸血鬼の常識なんてカイトは知らないだろうけど……い、いきなり触らせて欲しいだなんて!! こ、こっちにも心の準備っていうのがあるのに!!」


 私は顔が熱くなるのを感じながら、階段を下りていく。

 

 吸血鬼にとって角と羽を触らせるのは恥部を晒している事と同じ。

 それはつまり、貴方に服従している、という証でもあり、愛情の証でもある。


 私はそれを考え、悶々とする。


「……それとも彼は分かっていたの? わ、私の角と羽を触る意味が……い、いえ、それは多分無いと思う。ローカルルールみたいなものだし……」


 私は自問自答を繰り返しながら、歩みを進め、心の中で頭を抱える。


 もう、どうしていつもいつも私がこんなにもドギマギしなくちゃいけないのよ!!

 でも、それが悪くないと感じている自分が居るのもまた事実。


 トクン、トクンと高鳴る胸を抑えながら、私は屋上に向かう階段を見上げる。


「……いつか絶対、私をこんなに夢中にさせた責任を取ってもらうんだから。もう、それだけの場所を触らせたんだからね――


 ――えっち」



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