第8話 君は君

 夕日の沈む公園。

 私は一人、ベンチに座り、呆然と前を見つめていた。


 分かってた。浮かれてた。


 私の落ち度だ。これは。


 自己嫌悪が止まらない。私は調子に乗った。


「……はぁ」


 思わず溜息が漏れてしまう。

 全ての始まりはカイトが私に授業後に日傘を買いに行くと誘ってくれた所からだ。

 それは凄く、嬉しかった。飛び上がるくらいに嬉しかった。

 授業後、誰かと遊びに行くなんて事は殆どしてこなかったし、私は周りから距離を取ろうとしていたから。

 

 私には仲が良い、と言える友人は居ない。というよりも、作ろうとはしなかった。


 それは一重に私が『吸血鬼』だから。


 吸血鬼だから、人間とは分かり合えないとずっとずっと思っていたから。

 でも、希望を見出した。それが彼、カイトだった。


 カイトはありのままの私を受け入れてくれるってそう思った。思ってしまった。

 彼とちょっと特別な関係になって、それが嬉しくて。恋心に現を抜かして、私がずっと封じ込めていた感情を表に出してしまった。


「……何してるのよ、本当に」


 私は頭を抱える。

 彼が近付いた時。私は彼を突き飛ばした。あれが、私の過去を思い出させた。

 私の……決して人間とは相容れないという現実を思い出させた。


 吸血鬼と人間は違う。


 吸血鬼は太陽の下で生活がしにくくなる代わりに人間を遥かに超える絶大な力を持つ。

 腕力、魔力。この世のモノではない力を扱う事も出来、やろうと思えば、人間を支配する事だって容易い。

 しかし、人間にはそうした特殊な力を持たない。

 この差、というのは皆が想像するよりも大きいのだ。


 ほんの少し。ほんの少しだけ、私が力を込めるだけで人は簡単に壊れてしまう。


 あの――サンドバックのように。


「アリス、ほれ。クレープ、買ってきたぞ」

「……カイト?」

「ん? 食べないのか?」


 ふと下げていた視線を上げると、制服姿のカイトが両手にクレープを持ち、一つを渡してくる。

 別に、いらないのに……。

 私が視線を逸らすと、カイトは一つ息を吐いてから、笑い始める。


「アハハハ、しかし、えらい目にあったな」

「…………」

「でも、機械を変える前で本当に良かったぜ。後は店長さんの温情に感謝だな」

「……どうして」

「あ?」

「何で、一言も私のせいって言わなかったの?」


 クレープをもそもそ食べているカイトに尋ねる。

 そう、あのゲームセンターでカイトは一度も私の事を話さなかった。

 パンチグローブを付けていたのに口八丁で、適当な事を並べて、ずっと私を庇っていた。

 それが理解できなかった。そんな事をする意味なんて無かったから。

 私が言い出そうとしても、彼は無理矢理遮ってまで、全部自分のせいにしていた。


「そりゃ、アリスのせいにしたら、吸血鬼の事だってバレるかもしれないだろ? そうなると、余計に面倒くさいし。それにさ、焚き付けたのは俺だ。だったら、責任は俺が取るべきだろ?」

「……貴方、本当に変。訳が分からない。そもそも、どうしていきなりゲームセンターなのよ。そこで私に力を使わせたのはどうして?」

「…………」


 私の問いにカイトは押し黙り、ずっと前だけを見据えている。

 それからクレープに齧り付き、唇周りについたクリームを舌で舐めとる。


「……アリスはさ。自分の事、好きか?」

「今はそれ、関係ないでしょ?」

「俺は大嫌いだった。昔な、俺、虐められてたんだよ」

「え?」


 唐突な言葉に私が目を丸くすると、カイトは想起するように言葉を紡ぐ。


「昔な、それこそ小学校低学年の時、俺、まるまるっと太ってたんだよ。その姿まぁ、豚に良く似ててな。周りから『豚』だの『デブ』だの言われまくって……滅茶苦茶傷ついた。

 そりゃもうとんでもないくらいに傷ついた。学校に行きたくないって思うくらいにはな」

「貴方が?」


 何だか物凄く意外だった。

 今の彼は痩せ型で昔、太っていたといわれても首を傾げてしまうくらいスタイルは良いと思う。

 

「そんな時にな。俺を助けてくれた奴が居たんだよ。そいつはな、クラスの奴等からサルって呼ばれててさ……なのに、アイツ、猿真似ばっかりするんだよな。

 それで皆を笑わせてさ、すげー奴だなって思った。まぁ、陰鬱だった俺とは正反対だったわけ」

「サルって、貴方の前の席の?」

「そうそう、あいつ。あいつがな、俺に言ったんだよ。見た目なんて気にするな。大事なのは中身だってな。それだけじゃないぞ。あいつはな、お前は虐められて絶対にやり返さない、優しい奴なんだなって」


 くくく、と楽しげに笑いながらカイトは言葉を続ける。


「目から鱗だったよ。見た目ばっかりに気を取られて、本当に大事なもんを見失ってた。人ってのは残酷でさ、見た目や肩書きでその人の多くを勝手に決めちまう。

 それはきっと、君が良く知っているだろう?」

「…………」


 私は思わず口を閉ざしてしまう。

 それはある意味、私が一番良く分かっていた。

 海外のトップモデルとして活躍していても、いつだって私は最高のトップモデルとしての立ち居振る舞いが求められていた。

 それだけじゃない。学校でもその美貌と私自身の立ち振る舞いから女王なんて呼ばれるようになって、私自身、いつしかそうあるべきだと思うようになっていた。


 でも、そう思う事で、そう演じる事で。私はあえて『高嶺の花』になって、私は周りを遠ざけた。

 普通の人間ではない、天上の人となる事で。


 人間とは違うと一線を引く事で。私は私を守り続けてきた。


「それでそういうふうに見てしまうのはある意味しょうがないんだとも思う。サルも君をそう見てるからな。でも……俺は絶対にそういう見方をしない。

 言っただろ? 俺は君が知りたいって。その言葉に嘘も偽りもねぇ。そして、君が吸血鬼だからって理由で俺は君から離れたりしねぇよ」

「…………」


 彼の言葉を聞いた時、私は目頭が一気に熱くなるのを感じた。

 ぎゅっと思わずスカートの裾を掴んでしまって、皺になる。それでも私は涙を堪える。

 泣きたくなかった。

 私は女王だから。ここで泣いたら、私の築き上げてきたもの全てが崩れそうだったから。

 

「……俺を突き飛ばした時。あの時、君は恐怖していた」


 彼がどれだけの言葉を紡いだとしても。


「あの時、もし、俺が壁にありえない速度でぶつかって、壊れていたかもしれないって思ったから」


 彼がどれだけ私の心を言い当てたとしても。


「当たり前だ。サンドバックをぶち抜ける腕力……普通にやったら人間なんて即死だ」


 彼がどれだけの笑顔を私に見せてきたとしても。


「それでも、君はあの時、力加減が出来ていた。それは間違いなく君が優しい奴だからだ。どれだけの力を持っていたとしても、君は決してそれを人には振るわない。

 それが俺は理解できた。あのゲームセンターで。どれだけの力を持っていたとしても、君は人を傷つけない優しい子だって」


 私は。

 俯く私の前に一つのクレープが差し出される。

 顔を上げると、そこにはカイトの笑顔があった。


「だから、何も怖がるな。気にするな。俺は君を知りたいんだから。君は君で良いんだよ、アリス」

「…………」

「俺たちはまだ知り合ったばかり。互いに知らない事なんて沢山ある。だからこそ、知っていこうぜ。二人の事を二人でさ。それで友達になろう」

「…………」


 ニカっと笑う彼の笑顔を見て、私は確信した。


 ああ、そうか。


 どうして、私が彼にこんなにも強く強く惹かれるのは。


 彼は私を、アリスを誰よりも真っ直ぐ見てくれるから。

 その優しくて、暖かい。吸血鬼が最も嫌う太陽のように……優しい光で。

 吸血鬼は太陽に嫌われる……。でも、誰よりも太陽を欲している。

 夜という冷たい空気の中で生き続ける事を宿命付けられる。


 でも、本当は誰よりも太陽を愛しているんだ。


 太陽を得られないからこそ、太陽に惹かれる――。


 その時、私はお母さんの言葉を思い出した。


『ねぇ、お母さん。お母さんはどうしてお父さんとケッコンしたの?』

『あら、そんな事気になっちゃう? そうねぇ、お父さんはね、太陽みたいな人なの。全部をあったかく包み込んでくれる、そんな人。アリスもね、そんな人を旦那さんにするのよ?

 吸血鬼はね、大変なの。人とは違う事も多くて、その現実に打ちのめされる事もある。

 でもね、必ずそれを全部理解して、包み込んでくれる人が現れるから。

 お母さんにとってのお父さんのようにね――』


 私はカイトの手からクレープを受け取る。


「……な、生意気よ」

「何が生意気なんだよ」

「わ、私は女王って呼ばれてるんだから。そんな事でビビる訳ないでしょ?」

「そうか。それもそうだな。心配して損したよ。何かそんな風に見えたからさ」


 アハハ、と笑いながらカイトはクレープを頬張る。

 きっと、彼は深く入り込まないだけで分かっているんだろう、私の気持ちが。


「……ねぇ、カイト」

「何だ?」

「私と友達になりたいの?」

「ん? そりゃな。女王と食糧係ってのも何かヘンじゃないか? だったら、友達の方がまだ健全だし。それにダチは多い方が面白いからな」

「そう……じゃ、じゃあ、友達になるわ」


 ゆくゆくは恋人に、なんて頭の片隅で考えてしまうけれど。

 私は顔が熱くなる感覚を覚えながらも言う。すると、カイトは笑い、私の肩を叩く。


「アハハハ、じゃあ、宜しくな、アリス」

「ちょ、ちょっと。あんまり肩、叩かないで。クレープが落ちちゃうから」

「お? それは悪いな。そうだ、日傘、買いに行くか?」

「買いに行くわよ。でも、ちょっと待って、クレープ食べたい」


 もぐっと私はクレープに齧り付く。

 口の中にフルーツの酸味と生クリームの甘さの調和が取れていて、非常に美味しい。

 と、私がクレープを食べていると、カイトが言う。


「そういや、そっちの味、俺気になってたんだよ。くれ」


 そんな言葉と同時にカイトは私が口を付けた部分に丸かじりし、クレープを頬張る。


 え? ちょ、ちょっと待って!? こ、こここ、これってかかかかか、間接ききき、キス!?


「ん!? そっちの味もなかなかだな。アリスも俺の奴食べろよ、ほら」

「……っ!?」


 食べかけのクレープを私に差し出してくるカイト。

 いや、ちょっと待って!? これって所謂、食べさせ合いって奴じゃないの!?

 こ、こう、カップル同士がやるっていう!?


 え!? 私、友達を飛び越えてカップルになったの!?


 え? でも、これってチャンス!? 


 わ、私もカイトのクレープを食べれば、互いにキスをしたって考えられない!?

 こ、これは……覚悟を決めるのよ、私!!


 互いのクレープを食べたんだから、これは実質的なキスよ!!


 私は思わずごくり、と喉を鳴らしてしまう。そう、食べる……食べるのよ、私!!


 私が口を開け、クレープを食べようとした瞬間。

 カイトが何かを思い出したようにクレープを下げる。


「あ、でも、これ、間接キスになっちゃうか。流石にそれはまずいよな。ごめんごめん」

「…………帰る」

「え? あ、アリスさん!? 何か怒ってる!?」

「別に」

「お、怒ってるよね!! アリスさん!! ちょっとなんで急に!!」

「うるさい!! バカ!!」


 私は徐に立ち上がり、家へと足を進める。

 

 せ、せっかく覚悟を決めたのに!! 今のドキドキ全部返してよ!! 


 カイトのバカ!!


「ちょ、ちょっとアリスさん!! 日傘!! 日傘買わないの!? ねぇ、アリスさーん!?」


 ……でも、ありがと。カイト。


 君の言葉で私は救われてる。だから、今日だけなんだから。許してあげるのは。


「……じゃあ、早く買いに行きましょう」

「ふぅ……良かった」

「その代わり、高いやつにしましょう」

「え!? お、お手柔らかにお願いします」


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