第6話 お弁当

 4限の終わりがけ。

 俺は時計を見つめ、考え事をしていた。

 

――そういや、昼飯。どこで食べよう?


 俺はアリスの食糧係になった。

 俺はちらりと隣を見た。アリスは今、物凄く真剣に授業を聞いている。

 真面目なもんだな、と思いつつも、これは話し合わなければならない。

 

 俺とアリスの距離としては1mも無い。

 ここからなら、書いた文字も多分見えるだろう。


 俺はノートの端っこに文字を書き、アリス側の机を軽く叩く。


 コンコン、と叩いた事に気付いたのか、アリスが俺へと視線を向ける。


『昼飯なんだけど、吸血するんなら、人目の無いところじゃないとまずいよな? あの角と羽は絶対に出てくるのか?』


 書いてある文字に気付いたのか、アリスはノートの端を凝視してから、小さく頷き、文字を書く。

 ノートを机からあえて垂らすように移動させ、そこに書かれている文字を見る。

 その文字は達筆だった。


『出てくる。でも、何処か良い所ってある? 空き教室を使う訳にもいかないでしょう?』


 そうだよな、空き教室はバレると面倒くさい。

 ウチの学校は昼時は基本的には二択。

 教室でお弁当を食べるか、食堂に行って学食を食べるか。

 無論、お弁当を持った人も学食を利用する事が出来る。その場所は1階だ。


 となると、一番目立たなくて、バレにくい場所。

 俺はその場所を思いつき書く。


『屋上ってどうだ?』


 それを見たアリスは首を傾げる。


『入れるの? 屋上って鍵が掛かってなかったっけ?』

『前にサルと一緒に遊びでピッキングしてたんだよ。俺ならスムーズに開けれる』


 こんな所で去年やっていた遊びが役に立つなんて思わなかった。

 昨年、俺とサルは脱獄ドラマに嵌っていた。その時に是非ともピッキングを習得したいと思い、学校の屋上にある鍵のピッキングをひたすら練習していた。

 今では簡単に開ける事が出来るし、これは誰かに話していることではない。


 一応、サルが知っているが。こいつは信頼の出来る男。


 何か万が一があったとしても、事情を理解し、黙ってくれるはずだ。


『分かったわ』

『じゃあ、弁当を俺に渡してから、上で待っててくれ。すぐに行く』


 俺の文字を見てからアリスは小さく頷く。

 すると、聞き慣れたチャイムの音が鳴り響く。昼食の時間だ。


 アリスは何処か優雅さを感じる所作で立ち上がり、カバンの中から一つの包みを俺の机の上に置く。


「はい」

「あんがと」


 出来るだけ怪しまれず、短い会話だけをしてからアリスは教室を後にする。

 包みの大きさからして二段弁当か。これは楽しみだな。

 でも、食べるのはまだ後。ちゃんとアリスの前で食べて、お礼と味の感想を言わないとな。

 そんな事を考えていた時、サルが俺に羨望の眼差しを向けてくる。


「こ、これが……女王様の弁当か!! くぅ~!! 良いなぁ!! カイト!! 俺にも一口……」

「周りの視線が痛いから外で食ってくるわ。んじゃ」


 周囲から晒される羨望と怨嗟の眼差しから逃げるように俺は廊下に出る。

 廊下でも生徒達の声が聞こえた。


『今の女王だよね。本当に美人……』

『ウットリしちゃうよねぇ……あーあ、お近付きになれないかな……』

『あんな美人とご飯食べたらいいよなぁ』

『そんな夢みたいなこと言ってないで、食堂行こうぜ』


 そんな生徒達の声が聞こえるが、俺は気にせず廊下を突き進む。

 俺達2年生のフロアは2階だ。学校は3階建て。

 俺は急いで階段を駆け上がっていく。


 たまたま誰にも会う事はなく、俺は屋上へ続く扉の前に到着する。

 そこには既にアリスが屋上の扉の前で顎に手を当てて、鍵穴を見ていた。


「こ、これをピッキング?」

「アリス」


 びくっ!? と肩を震わせたアリスが俺へと視線を向けると、一つ咳払いをする。


「カイト……待っていたわ」

「? ああ。待たせて悪いな。んじゃ、開けようかな」


 俺は胸ポケットの中に入れておいた針金を取り出し、鍵穴に差し込む。


「それで、開けられるの?」

「ああ。これでな、こうして……」


 俺は集中して屋上へ続く扉を開ける為に針金を動かす。

 カチャカチャ、という音が響き渡る。もうちょい、だな。


「…………」

「なぁ……」

「…………」


 何だろうか。集中できない。それは何故か。

 俺の顔をじーっと穴が開くほど見つめてくるのだ、アリスが。

 

「……俺の顔が気になるか?」

「……へ!? べ、別に見てないわよ?」

「いや、見てたじゃん」

「み、見てない。言いがかりはやめてくださる?」


 バサっと艶のある黒髪を靡かせ、堂々と胸を張る。

 ほんのり頬が紅いのは気のせいか?

 俺は作業に戻り、カチャ、という気持ちの良い音と同時に扉を開ける。


「ほら、開いた」

「へぇ……凄いわね」

「だろ? これ、出来るようになるのに半年掛かったんだぜ?」

「そういえば、貴方、前の男の子に不器用って言われてたわよね」

「ああ。だから、サルは1ヶ月でマスターしやがって……」


 そんな会話をしながら俺達は屋上に出る。

 今日は晴天。澄み渡る青空が広がり、太陽が最も高い位置にいる。

 燦々と照りつける太陽。

 確か、吸血鬼って太陽が苦手だったよな。


 俺は周囲を確認する。屋上はただ広いだけで何もない。


 と、屋上の隅っこに『黒い傘』が置いてあった。


 俺はそれを拾い上げ、広げる。これは無いよりはマシか。

 俺が傘を拾っている間にアリスは外に出ていて、眩しそうに手で顔を覆う。


「ん、眩しいわね。相変わらず……」

「……太陽の下でも大丈夫なのか?」

「あんまり大丈夫ではないけれど……耐えられないほどじゃないわ」

「…………」


 それは大丈夫じゃないんと思う。

 俺は傘を広げ、アリスに掛かる日光の量を出来るだけ減らす。


「これで、どうだ? 多少は楽になるだろ?」

「…………べ、別にいいのに」

「体調が悪くなってもしょうがないしな。まぁ、今後、対策を考えていこうぜ」


 この傘とかをうまく使って、日陰を作る事は出来ないだろうか。

 俺が腰を落ち着かせると、アリスも俺の隣に腰を落とす。しかし、身体がほんの僅かに日向に当たっている。

 俺は出来るだけ傘をアリスのほうへと向け、全身が被さるようにする。


「これで、大丈夫だな」

「…………」

「アリス?」

「へ!? な、何でもない!! そ、それよりも、その、それで、どうやってお弁当食べるの?」

「え? あ……」


 俺はそこで気付く。片手でアリスに傘を差していたら、お弁当が食べられないじゃないか。

 すると、アリスが俺の手から傘を奪い、口を開いた。


「自分で差すから、貴方は食べなさい。私の血はその後でも良いわ」

「本当か? 悪いな。んじゃ、早速……」


 お弁当の包みを開けると、中から出てきたのは二段弁当。

 上にある蓋を開けると、綺麗に区分けされた料理の数々が姿を現す。

 ほうれんそうのソテーやこれはレバニラ炒めだろうか。それだけではなく、型崩れのしていない綺麗な卵焼きに数分の狂いのないタコさんウインナーもある。

 これは、相当クオリティが高いんじゃないだろうか。


「これ、アリスが作ったのか?」

「え、ええ。そうよ。す、少し……子どもっぽかったかしら?」

「いや、ぜんっぜん!! むしろ、すげーよ」

「そ、その……妹のお弁当も作ってるから……な、慣れてるのよ」


 くるくる、と黒髪を手で遊びながらそっぽを向きながら恥ずかしそうに答えるアリス。

 俺は箸を手に取り、手を合わせる。


「んじゃ、いただきます。何かオススメとかあるか?」

「オススメ? そのレバニラ炒め。それ、お母さんがお父さんに良く作ってるものだから。我が家の味と言えば味、だと思う」

「そうか。じゃあ、それから」


 レバーって確か鉄分豊富だった気がする。

 これから血を失う事になるんだし、鉄分が補給できるのは有り難い話だ。

 俺はレバーとニラを箸で取り、口に運ぶ。

 数度咀嚼すると、口の中にレバーの独特の味とニラの旨味が広がると同時に、それらを包むようにタレの美味しさが口いっぱいに広がる。

 レバーの生臭さとか、ニラの苦味が殆どなく、物凄く食べやすいし。タレもご飯に合う。


「これ……滅茶苦茶美味いな!!」

「ほ、本当?」

「ああ。多分、レバーとかニラが苦手な人でも食べれるだろ」

「そうなの。お母さんがお父さんに食べさせる為に作ったものなの」

「んじゃ、お父さんも俺と同じ境遇なのか?」

「そうね。いっつもお母さんに吸われてるわ」


 なるほどな。

 このレバニラはアリスの母が父の為にと作ったものだったのか。

 道理で何だか優しい味がすると思った。

 俺は卵焼きやタコさんウインナーを食べ、口を開く。


「どれも美味いな。ホント、アリス。良いお嫁さんになるんじゃないか?」

「え?」

「んまっ!!!」


 俺は一心不乱に箸を進め、アリスの作ってくれたお弁当をあっという間に平らげる。

 それから腹を軽く摩る。


「はぁ~……お腹いっぱい。御馳走様でした。アリス、美味かったよ」

「…………」

「アリス?」

「はっ!? お、おおお、美味しかったなら、それで良いのよ……」


 何だろうか、今、一瞬反応が無かったような。

 まぁ、気にせず。俺は右腕の袖を捲くる。


「んじゃ、次はアリスだな。ほれ。吸え」

「ほ、本当に、良いの?」

「良いって。俺がそう決めたんだし。それにお前も腹減ってるだろ?」

「ええ……じゃ、じゃあ、遠慮なく……」


 俺の腕にアリスが手を添える。何だろう、物凄くドキドキする。

 緊張か、何なのか分からないが、アリスは一つ息を吐いてから、俺の腕に噛み付く。

 しかし、腕に痛みが無い。


「あれ?」


 疑問が浮かんだ瞬間、ペロリ、と腕と口の間で何かが蠢いた。

 それは舌だ。ザラリとした舌の感触が腕を這い回り、俺は目を丸くする。


「ちょちょちょ!! 何で舐めるの!? 噛むんじゃないの!?」

「あ。そういえば、説明していなかったわね。吸血鬼の唾液には麻酔効果があってね。噛み付いた時の痛みを和らげてくれるのよ。だから、舐めたんだけど……いや、だった?」

「いや、ちょっと吃驚しただけ。あ、あれか。注射前の消毒みたいなもんか」


 俺の言葉に小さく頷いてからアリスは再度、俺の腕を舐め回す。

 それと同時にビリビリとした痺れなのか、腕の感覚が遠ざかっていく不思議な感覚を覚える。

 すると、アリスが呟いた。


「噛むわね」

「あ、ああ」


 かぷり、と可愛らしく噛み付くアリス。しかし、腕には痛みがなく、ちゅーっと何かが吸われるような感覚があるだけ。

 この感覚、何処かで。あ、そうか。採血か。

 採血の感覚に近いんだ。そう自分の中で納得していると、アリスの頭からは角、背中からは羽が生えてくる。

 パサパサ、と動く羽に目を奪われながらも、ちゅーっと血を吸われていく。


 それから数分後。アリスが腕から口を離し、口元を軽く舌なめずりする。


「はぁ……本当に美味しい……」

「そうか。それは良かった」

「……体調悪いとか、無い? 大丈夫?」

「問題ないよ。貧血とかそういうのも無いし」


 確かに血を奪われたけれど、貧血のような症状は一切無い。

 もしかして、俺は血が多いんだろうか。

 そんな疑問を考えていると、アリスは一つ息を吐き、口を開いた。


「そう。なら、良いけど。私ももう満足だわ」

「あんまり吸ってないけど、良いのか?」

「良いのよ。あんまり吸いすぎても身体に悪いしね。何事も程ほどよ」

「そっか。んじゃ、後はアリスの角と翼が無くなるまで待てばいいんだな」

「ええ、そうね」


 バサバサと動く翼。

 それに目線を奪われながらも、俺は立ち上がる。

 あんまり長居して変に疑われてもしょうがない。


「俺は教室に戻るよ」

「戻るの?」

「ああ。女王と一緒にいるってバレるとクラスで面倒くさいからな」

「……気にしなくてもいいのに」

「気にするよ。いちいち、相手にするのも面倒くさい」


 俺は肩を竦めてから、アリスの肩の上に手を置く。


「弁当、マジで美味かった。また、作ってくれよ」

「……え、ええ。考えとく」

「考えといてくれ。因みに、俺の好物はハンバーグな」

「……そう」

「んじゃな。もし、遅れそうなら体調悪くしてるから保健室って伝えとく」


 俺はその言葉を最後に屋上を後にする。

 しかし、本当に弁当が美味かったな。俺は歩きながら顎に手を当てる。


「ありゃ、将来の旦那が羨ましいぜ。さって、サルに言い訳するためにさっさと戻るか」


 そう思いながら、俺は教室へと戻った――。







 カイトが居なくなった後の屋上にて。


 私は悶絶していた。


「お、おおお、お嫁さん!? お嫁さんって何!?」


 カイトが言ってくれた。私が良いお嫁さんになるって!!

 し、しかも、お、お弁当凄く美味しいって言ってくれた!!

 ドロシーちゃんが言ってくれる美味しいよりも、100万倍嬉しい!!


 心が飛び上がり、嬉しさで爆発してしまいそうになる。

 それだけじゃない。


『これで、どうだ? 多少は楽になるだろ?』


 わ、私の身体を気遣って、太陽を遮るために傘まで差してくれた!!

 私はカイトの行動一つ一つに胸キュンしながら、その場で転げまわる。


「何!? 何なの!? カイトは私をキュン死させるつもりなの!?」


 優しさを感じる事は多くあったけれど、それとはまるで違う嬉しさが胸いっぱいに広がる。

 それはきっと、彼が『私の為』にやってくれたから。


 そう!! 私の為に!!!


「はぁ~~~~~、本当に好き。何で私、こんなにカイトの事、好きになってるの? 私、私が怖い……」


 彼の一挙手一投足でこんなにも心が掻き乱されて、キュンキュンするなんて。

 凄く胸が苦しいはずなのに、嬉しくて堪らない。


「彼の好物はハンバーグ……ふふ、今度作ってあげよう。それとドロシーちゃんにもお礼しないと」


 ドロシーちゃんが教えてくれた。

 お弁当を作るのなら、まずは家庭の味を知ってもらおう、と。

 それが好感触なら、味覚が似ているから。将来で困る事は無い、と。

 かなり未来を見通した話をしていたが、流石は私の妹である。


「ふふ……また明日も作ってあげよ」


 しばらく、私はカイトが言ってくれた言葉、やってくれた事を思い返しながら悶絶していた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る