第5話 新たな日常

「…………」


 私は今、悩んでいる。

 早朝。いつもよりも早めに起き、私はキッチンに立つ。

 目の前に並べられた家にあった食材たち。その脇に置かれたスマートフォン。

 

 いつもならば出際良く料理の手を進め、私と妹の分のお弁当を作るところ。

 妹はいつも通り、可愛らしいキャラ弁当で良いと思うのだが……彼に対する考えが無い。


「……お姉ちゃん、今日は早いね」

「あら? ドロシーちゃん、おはよう」

「んにゅ……」


 こしこしと目元をパジャマで擦り、キッチンに姿を現したのは私の可愛い妹であるドロシー。

 ドロシーは私と似て、艶やかな黒髪を持っているが、今は寝癖でボサボサだ。

 寝ぼけ眼のままドロシーは私へと歩み寄り、優しく抱きついて来る。


「ん~、おねぇちゃん……」

「こら。顔洗ったり、着替えたりしなくちゃダメでしょ?」

「ん。お姉ちゃんパワーが欲しい……」

「全く」


 一体、この子はいつになったらお姉ちゃん離れをしてくれるのか。

 優しく手櫛をしながらそんな事を思っていると、ドロシーが机の上に置かれた物に気付いたのか、首を傾げる。


「あれ? お姉ちゃん、今日は何だか食材が多いね」

「ええ。ちょっともう一人作らなくちゃいけなくなって……あ、そうだ。ドロシーちゃん」

「何~?」


 しっかりと背中に手を回したまま顔だけを上げ、首を傾げるドロシーちゃんの頭を撫でながら私は尋ねる。


「男の子ってどんなお弁当が好みかな?」

「……え?」


 ドロシーちゃん、覚醒。

 と言わんばかりに目を見開き、私から大きく距離を取る。


「お、おおお、お姉ちゃんが!! 男の人にお弁当を作る!? え!? え!? トップモデルで活躍しているあんな人やこんな人にも全く靡かなかったお姉ちゃんが!? 男の人に!! お弁当!?」

「え? そ、そんなに意外?」


 私だって女の子。恋くらいする。まぁ……カイトが私の初恋だけれど。

 それは置いといて、私は溜息を吐く。


「お、お姉ちゃんだってそういうものよ? そ、それでねドロシーちゃん……」

「任せて!! 私はいつだってお姉ちゃんの味方なんだから!! それに、お姉ちゃん!! お弁当だからって侮るなかれ!! だよ!!」

「どういう事かしら?」

「女は男の胃袋を掴めって言うくらいに大事な事なんだから!!」

「胃袋を……掴む……」


 その理論で行くと、胃袋を掴まれてしまっているのは私では?

 私は思わずカイトのくれた血を思い出し、思わず頬に手を当ててしまう。


「っ!? はぁ……」

「お、お姉ちゃん? ど、どうしたの……ん? 待って……ははぁ~ん、なるほどなるほど……」


 私の様子を見て何かを察したのか、ドロシーちゃんはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。


「お姉ちゃん、その人の事、好きなんだ」

「なっ!? ち、違うわ!! ぜ、ぜぜぜぜぜ、全然違う!!」

「えぇ~、もう、その反応が答えなんだけど。でも、それなら余計に頑張らないと!! 任せてお姉ちゃん!! 恋愛よわよわお姉ちゃんを私が何とかしてあげる!!」

「れ、恋愛っていう意味じゃないって」

「はいはい」

「ちょっと、聞いてる? ドロシーちゃん」

「私、顔洗ってくる!!」


 私の話なんて聞かないで、ドロシーちゃんが洗面所へと逃げて行く。

 私はその遠くなっていく背中を見つめながら呟いた。


「そ、そんなに分かりやすいかしら……が、学校じゃ気をつけないと……」


 好き、だなんて気持ちがカイトにバレたら恥ずかしい。

 が、学校ではいつも通り、私は女王で居ないと。


 そんな決意をしながら私はドロシーちゃんを待った――。







「……なんで学校ってあるんだろうな」

「どうした? サル。いきなり意味の分からない事言い出して」


 学校に来て早々、サルがおかしな事を言い始めた。

 まぁ、こいつに限ってはこういう事を言うのは何もおかしくない、所謂、発作みたいなもんだ。


「だってよ、始業式翌日からみっちり勉強なんておかしくないか? 俺、まだ身体が出来上がってねぇよ」

「スポーツもやってないのに何言ってんだ、お前」

「オメーはめんどくさくないのかよ」

「別に? ぼーっとしてりゃ時間なんて過ぎていくだろ?」


 そりゃ勉強は面倒くさい。

 特に高校で勉強する事なんて今後何の役に立つんだ、と声を大にして言いたい所ではあるが、俺としては別に時間が経てば終わるんだから、そんなに苦ではない。

 しかし、サルはそうではないらしく、俺の腕をがっちりと掴む。


「お前は良いよなぁ、ぼーっと出来る人間でさ……」

「ああ、お前はサルだから。じっとできないのか……」

「サルは関係ねぇだろう!?」

「じゃあ、寝れば良いじゃん」

「寝たら、オメー、ずっと背中をくすぐってくるじゃん!!」

「だって、授業中寝るのはダメだろ」

「コイツ、マジで……」


 ワナワナと怒りに打ち震えるサル。

 そう、俺はこいつの後ろの席になる事が多く、絶対にこいつを寝かせない、という謎のポリシーを持っている。

 こいつが寝そうになれば、背中をすーっとフェザータッチで撫で上げ、くすぐりで起こす。

 それを毎回のように繰り返していたら、いつしかサルが寝てくれなくなった。


 面白くない。


「結局、頑張って起きて、授業受けような。サルくん」

「あーあ。何か授業で楽しい事でも起きないかな~!!」


 と、サルがありもしない事を声高に言っていると、教室の扉が開かれる。

 それと同時にクラスから黄色い声援が湧く。


『きゃーっ!! 女王よ。お、おはようございます!!』

「おはよう。あら?」


 女子生徒の一人が挨拶をすると、何かに気付いたのかアリスが女子生徒へと近付く。

 それから優しくリボンを整え、微笑んだ。


「リボンが曲がっているわ。ほら、これで。良し。フフ、綺麗になったわね」

『あっ♡(即堕ち)』

『だ、大丈夫!?』


 まるで絵画の如き美しき微笑みに女子生徒が撃沈し、男子生徒達もアリスの微笑みに目を奪われている。

 それは俺の前にいるサルも同じで――。


「くぅああああッ!! 何だよ、今の優しい笑顔は!! クールさの中にあんな優しさがあるなんて!! 無敵か!! 無敵なのか!! なぁ、どう思う!! カイト!!」


 ぐるん、とすぐさま俺に視線を向けてくるサル。

 アリスは人々の注目を集めるかのようにゆっくりと歩みを進め、席に辿り着く。

 それからすぐに俺を見て、口を開いた。


「……お、おはよう」

「ああ、おはよう。体調はどうだ?」

「へ? あっ、え、ええ……問題ないわ」

「それは良かった」


 俺がニコリと優しく笑うと、アリスが俺から視線を外し、若干慌てた様子に椅子に座る。

 すると、サルが俺の腕を鷲掴みし、ぎゅっと力強く握った。


「おい……てめぇ、何和やかなに会話してんだよ、チクショウ……」

「いや。だから、サルだって話しかけたらいいじゃん」

「ど、どう話しかければ良いんだよ!!」

「簡単だって。アリスー」


 俺がそう呼んだ瞬間。

 クラスの中に空気が――変わった。


『あ、アリス……だと? 神埼さんを呼び捨て!?』

『あ、あんな冴えない奴が何故……そういえば、アイツ、昨日女王様といなくなってたよなぁ……』

『じょ、女王様に付く悪い虫は私達は払わないと、そうよ!! そうに決まってる!!』


 おいおい。

 何だ、この空気。俺が一気に悪者みたいじゃないか。

 だが、そんなもの関係ない。俺はアリスに声を掛ける。


「アリス、何無視してんだよ」

「む、無視なんかしてないわ。色々、考え事をしていただけ」

「考え事? 何だ、何か悩んでたのか? 言ってみろよ、話くらいは聞いてやるぜ?」

「…………」


 俺の問いかけにアリスはしばし悩んでから、顔だけを俺に向けてくる。

 それからいつも通り、クールな雰囲気のまま口を開いた。


「あ、貴方……お昼ご飯はいつも何を食べているの?」

「昼? 学食だけど」

「……学食ってお金が掛かるわよね?」

「まぁ、格安だけどな」

「そう」


 そう言いながら、何だろうか。ほんのりとアリスの頬が紅い気がする。

 こいつ、大丈夫か?

 俺はゆっくりと手を伸ばし、アリスの頬に手を添える。


 クラスの中に激震が走ったような気がしたし、ビクン、とアリスも震えるが気にせず尋ねる。


「アリス。大丈夫か? 顔、紅いぞ?」

「~~~~っ!! だ、大丈夫よ!!」


 パシン、と俺の手を払い、アリスは言う。


「そ、それより!! きょ、今日から貴方のお昼ご飯は私がお弁当をつ、作ってきたから!!」

「え? マジで!? 助かるぅうあっ!?」


 アリスが昼飯を!?

 それはお金も浮くし非常に有り難いと思った瞬間、俺の胸倉をサルに掴まれていた。


 サルは俺に視線を向けると同時にその両目から滝のような涙を流す。


「お、オメー……何で、女王様とそんなに親しげなんだよ!! 昼ごはんを作ってもらう!? オメー、それは大罪だろ!! オメーらだってそう思うよなぁ!!」

『そうだ、そうだ!! おかしいだろ!!』

『女王様は皆のものよ!! 独占を禁ずるわ!!』

『そうだぞ!! 俺だって作ってもらいたーい!!』

『どさくさに紛れてんじゃねぇぞ!! 俺だってなぁ!!』


 クラスメイトの怨嗟の声が聞こえてくる。

 何でお前が扇動してんだよ。

 ていうか、女王人気高すぎだろ。俺は助けを求めるようにアリスを見た。


 周りがヒートアップする中、アリスはただ両手で頬を添えて、ボソボソと何を言っているのか分からないが、どうやら助けてもらえる状況ではないらしい。


 俺は一つ息を吐き、サルの手を振り解く。


 こういう時は――。


「逃げるに限るぜ!!」

「てめっ!! 待ちやがれ!! 根掘り葉掘り、聞かせてもらうぞー!!」


 それから俺の逃走劇は先生が来るまで続いた――。





「か、カイトにさ、触られちゃった……ほ、ほっぺ、キスするときみたいに添えて。あっ♡」


 逃げていったカイトの遠く離れていく背中を見つめながら、私はずっと顔が熱くなるのを感じていた。

 もう、本当にいや。

 カイトの一挙手一投足、声、表情。

 その全部が私の心を掻き乱して、こんなに熱くしてくる。

 

 お、お弁当もあんなに喜んでくれて……。


 わ、私、美味しいなんていわれちゃったらどうなっちゃうんだろう……。


 でも、そ、そうやって言って欲しいな……。


「うふふ……お昼ご飯が楽しみ」


 私は騒がしくなったクラスの中で誰にも聞こえない小さな声でそう呟く。

 やっぱり、私の気持ちは一日経っても変わってない……。


 やっぱり、君が好き♡。 



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