第4話 アリスの心
カイトが居なくなった後。
ドクン、ドクンと高鳴る心臓を抑え、私は一つ息を吐いた。
さっきからずっと変だ。
「私、どうしちゃったのかしら?」
耳元まで聞こえてきそうなほどに騒がしい胸の鼓動。
全身が熱を帯びているのか火照りが止まらない。
初めて生きた人間の血を飲んだ影響?
それはあまり関係ない気がする。
私達の家で用意されている輸血パックは健康体の人間から頂いたものを使っている。
つまり、直接ではなくとも、あれもまた生きた人間の血液に他ならない。
じゃあ、何だ、この胸の高鳴りとほんの少しばかり苦しくなる胸は。
『君の事を俺は知りたいと思った』
彼の、カイトの言葉が頭の中で反芻される。
こういう甘言を言う人間は何人も見てきた。
私は生まれながらに多くの物を手にしていた。
生まれながらに吸血鬼として、人間よりも遥かに高い能力を持ち、吸血鬼という正体を隠しながらも、それらを有益に利用して、地位や名声を手にしてきた。
この学校でもそうだ。
私は多くの人に賛辞され、褒め称えられてきた。
こう言うのも憚られるが、私は見た目も他の女性よりは美しいと思っている。
だから、言い寄られる事も多いから、甘い言葉を囁いて、我が物にしようと企む者も多く見てきた。
見てきたからこそ、私はそうした機微には聡い方だと思っているし、言われ慣れているはず……。
けれど。
「……何か、本当に変」
そわそわ、と何処か落ち着かない。
彼の言葉がずっと頭の中をグルグルと回っていて、耳から全く離れそうにない。
『アリスは保健室で休んでるって言っとくわ』
アリス。彼は私をそう呼んでくれた。
アリス、アリス、アリス。
多くの者が私をそう呼ぶのに、どうしてか分からないけれど。
『アリス』
彼にそう呼ばれると、何だか嬉しくもあり、恥ずかしくもあり。顔が急激に熱くなるのを感じる。
「……ほ、本当に私どうしちゃったの? ち、血? やっぱり、あの極上の血を飲んだから? そ、それとも彼には何か不思議な魅力が……」
今思えば、彼は物分りが良すぎていた気がする。
私が言える立場ではないが、吸血鬼なんてのは本来、物語や空想の中でしか存在しないとされている生命体だ。
しかも、吸血鬼というのは血を吸う為に人間への被害を出す。
人によっては『夜の王』と呼ばれ、恐れられる存在だ。
なのに、彼は何一つ気にせずに言い放った。
『お前はお前だろ』
吸血鬼。女王。そうした名ではなく、神埼アリスとして彼は私をずっと見ていた。
だから、彼にとって私が吸血鬼である事は些細な問題なのか?
彼の事を考えれば考える程分からなくなり、胸がざわざわとざわつき始め、ドクン、ドクン、とより強く脈動する。
「ほ、本当にどうしちゃったの? ……え? これってもしかして、ドロシーちゃんが言ってたけど……」
少し前、可愛い妹であるドロシーが言っていた言葉を思い出す。
『お姉ちゃんって好きな人とか居ないの? ほら、お姉ちゃんの美貌なら引く手数多でしょ?』
『考えた事もないわね……ドロシーちゃんは?』
『私? 私は恋したことあるよ』
『そうなの? それってどんな感じ?』
『そうだねぇ~。こう相手の事を考えるとね、胸が苦しくなって、心臓がドクンドクンって高鳴るの。それでね、頭の中でその人の事ばっかりになるんだ』
『へぇ……そう考えると恐ろしいわね』
『どうして?』
『だって、その人に洗脳されるんでしょう? そんなの怖いじゃない』
『いや、そういうんじゃないけど……ていうか、吸血鬼が洗脳を怖がるの? かける側なのに?』
そんなやり取りを最近していたのを思い出す。
胸が苦しくなって、心臓がドクンドクンって高鳴って。頭の中が彼に支配される……。
私は思わずベッドにあった枕に顔を埋めてしまう。
ち、違う!! 違う!! 違う!!
そそ、そんなんじゃない。
パタパタ、と私は思わず両足を動かしてしまい、悶絶する。
「す、すすす、好きだなんて。ち、違うわ!! だだだ、だって、吸血鬼は夜の王なのよ!? なのに、そんな彼にれ、れれれ、恋愛感情を、い、抱くなんて……」
ボン、と一気に顔が紅くなり、私はまたしても枕に顔を埋める。
すると、頭の中に変な妄想が湧き上がってきた。
『……アリス。俺の血、飲むか?』
『は、はい。ぜ、是非……』
『ほら、首筋に噛み付け』
『は、はぁっ♡!?』
バンバンバンバン。
彼の健康的なうなじから首筋に掛けてのラインを勝手に妄想し、悶絶する。
そ、そんなのあるはずが無い。ていうか、どんな妄想をしているのよ、私は!!
これじゃあ、まるで、食糧係である彼に王が支配されているようなものじゃないか。
「し、支配……彼に、支配……」
あ、悪くない♡。
そう思った瞬間。私は思わず吸血鬼の力を使ってしまい、ベッドを瓦割りのように叩き割る。
「ち、違う!! お、おおお、落ち着きなさい!! アリス!!」
私は女王。クールで完璧な淑女よ。
私は胸元に手を当て、一つ深呼吸をする。それからうん、と一つ頷き、自己暗示をする。
「そうよ。何を言っているの? アリス。貴女は女王。彼は食糧係。つまり、彼は私に血をくれるだけの友達よ。そう、これは新しい友達が出来ただけ。その関係が少し変わってるだけよ」
そうだ。そうに決まっている。
友達って言った瞬間、何故だか、強烈に胸が痛くなったけれど、それは些事だ。
私はいつも通りのクールな心を取り戻し、息を吐く。
「ふぅ、ようやく落ち着いたわ。そろそろ教室に戻らないと」
私は冷静さを取り戻し、保健室の扉に手を掛ける。
ベッドはまぁ、見なかった事にしておこう。
それから私はゆっくりと廊下を歩いていく。もう既に始業時間は過ぎている。
きっと彼が伝えてくれているに違いない。
「早く戻らないと」
進級初日からあまり面倒事は起こしたくない。
私は女王。皆の模範となり、多くの者を導く存在。
皆が私をそう呼ぶように、私も皆にとっての女王でありたい。
私はそう心の中で呟き、自身のクラス入口前に到着する。
それからゆっくりと扉を開けると、先生の姿があった。
「あ、神埼さん。大丈夫ですか?」
「……ええ。少々、体調を崩してしまいましたが、もう大丈夫です」
「そうでしたか。では、席に戻ってください」
「ええ」
私は軽く一礼をしてから自分の席へと戻る。
その途中、周りからのヒソヒソ話が聞こえてきた。
『本当に大丈夫なのかな?』
『大丈夫なんじゃないかな? ていうか、近くで見ると本当に綺麗……』
『美しい、それ以上の言葉が見つからない……』
「皆さん、ご心配ありがとう。本当に大丈夫ですよ」
ひそひそと話している子たちに向けて、私はニコリと柔らかく微笑む。
心配してくれるのは本当に有り難い事だ。私が笑顔を見せると、その子たちは顔を赤らめる。
ふふ、可愛い反応。
私は自分の席に戻り、椅子に腰を落ち着かせる。
ふぅ、これでようやく――。
「アリス」
びくん、私の身体が震えそうになるが、それを堪え、隣を見た。
隣には件の男、カイトがいる。
カイトはニコリと柔らかな笑みを浮かべ、言った。
「大丈夫そうだな、良かったぜ」
――あ、好き♡(即堕ち)
この日、私、神埼アリスは新道カイトに恋をした――。
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