第3話 女王は吸血鬼

 何が起きている。

 俺は自分の身に起きた事が良く分からなかった。

 指から血を流したら、何故か保健室に連れ込まれ、ベッドに押し倒されている。

 両腕でぎゅっと拘束され、動かせそうにない。

 そして、目の前に居るのはウットリとした恍惚な表情を浮かべる神埼アリスの姿。

 

「ま、待て!! 一旦、落ち着けって!!」

「お、落ち着け!? そ、そんな極上の血を流しておいて、落ち着けって……どの口が言ってるのよ!!」

「だから、何でそんなに血を求めてるんだよ!! ていうか、腕を離せ!!」

「離さない!! 私は今、貴方の血が欲しいの!!」

「ったく、どういう事だよ、マジで!!」


 頭でぶん殴るか。

 それは出来ない。それは両親から常々叩き込まれてきた。

 女性に手を上げた瞬間、お前の人間の品位は一気に地の底にまで叩き付けられる、と。


 だから、彼女を殴ってどかす事は出来ない。


 なら、イチカバチカ。俺は頷く。


「わ、分かった。分かったから!! 血ならいくらでも渡す!! だから、手を離せ!!」

「本当?」

「本当ッ!! だから、そろそろいてぇんだよ!!」


 俺の言葉に神埼は馬乗り状態だった俺から離れる。

 俺はとりあえず起き上がり、右手を確認する。まだ、血は流れてるな。なら。


「おい、神埼」

「な――むぐっ!!」


 神埼が返事すると同時に俺は自分も右手人差し指を口の中に突っ込んだ。

 それと同時にトロン、と目が落ち始め、チュー、チューとまるで赤ん坊のように指を吸い始める。

 それからゴクン、ゴクンと血を飲んでいく神埼アリス。

 

「え?」


 俺は目を疑った。

 突然、神埼の頭から二本の悪魔のような角。背中からは人には絶対にありえない悪魔の如き翼が生えていた。

 しかも、その翼はパタパタと嬉しそうに動いている。

 

 神埼アリスは一体、何者なんだ?


 そんな疑問が俺の頭の上に浮かんでから、すぐさま神埼は俺の指から口を離す。

 すると、徐々に先ほどのような女王が如き、凛々しい雰囲気が帰ってくる。


「……あれ? 私」

「神埼? お前、何者なんだ?」

「……え? え? あ……」


 神埼は自分の身に起きた変化に気づいたのか、頭の上に手を置き、角を軽く撫でる。

 それから背中から生えた翼をバサバサと確認してから、パクパク、と半ば放心状態になり、口を動かす。

 どうやら言葉が出ないらしい。


 これはとりあえず、話を聞くしかないか。


 俺は神埼の手を取る。


「ほら、とりあえずこっち」

「え……え?」

「ほら、ここに座れ。ここなら、ちょうど入口からも死角になって見えないから」


 入口とベッドにあるカーテンで死角になる場所に混乱状態の神埼を座らせる。

 いや、混乱したいのはこっちなんだが、と思うのだが、神埼の顔に見えるのはただただ、困惑している様だった。

 それからようやく頭が働いたのか、すぐさま頭を下げる。


「ご、ごごご、ごめんなさい!! そ、その、えっと……そう、君の血を見てから、すっごく美味しそうで、今までそんな事も無くて……でも、そんなの見せられたら全然我慢できなくて……」

「ああ、落ち着けって」


 これはアレだな。

 自分よりも混乱している人間が居ると、何故だか冷静になる、という現象だ。

 俺は神埼の手を握り、口を開く。


「ほら、とりあえず深呼吸。吸って~……」

「…………」


 俺の言葉通りに神埼は大きく息を吸う。

 その動きと連動するように翼がバサっと大きく開かれる。


「吐いて~」

「ふぅ……」


 吸い込んだ酸素を一気に吐き出す神埼。

 すると、表情からも焦りや混乱の色が一気に薄くなる。


「良し。多少は落ち着いてきたな」

「う、うん。落ち着いてきたわ。その……こ、こんなの怖い、わよね?」


 まぁ、驚いたのは事実だが、俺は首を横に振る。


「別にそんなので怖がるかよ。俺はまだお前の事、何も知らないんだぜ? なのに、お前の何を怖がるんだよ。それより、それは本物か?」

「え、ええ。その……私は『吸血鬼』なの」

「吸血鬼……」


 吸血鬼。

 勿論、聞いた事がある。当然、創作の中での話しだが。

 滔々と神埼が言葉を続ける。


「わ、私の一族はね、昔、居た吸血鬼の生き残りなの」

「生き残り?」

「ええ。昔からずっと人の姿に紛れて、人間と共存する為に生きていたの。だから、私もそうやって人間の生活の中に溶け込んで生活していたの」


 昔の事なんて俺には何も分からないが、吸血鬼は実在していて、常に人間社会の中に溶け込んで生きていたという事か。

 

「それが人間に見られたらどうなる、とかあるのか?」

「と、特には。私達は一族の掟で決して人間には手を出さないって定めてるから。だ、だから、人は襲った事なんてないし、血、血だって、その輸血パックとかで何とか……」

「なるほどな……まぁ、状況的に嘘なんか吐いてないよな」

「うん」


 この状況で吸血鬼が嘘だとはとても思えない。

 だとしたら、俺が言えるのはただ一つだな。

 俺は神埼の顔を真っ直ぐ見つめ、口を開いた。


「じゃあ、全部忘れるよ」

「え?」

「だって、お前にとってその方が都合、良いんだろ? だったら、俺はそうする」

「…………君は、変だね」

「そうか?」

「うん」


 小さく頷き、神埼は言葉を続ける。


「吸血鬼は過去から多くの人が恐れおののいてきた存在。私達は歴史の中でそれで傷ついてきた一族だからって、姿を隠してきた……吸血鬼だから、って。私もてっきりそうだと」

「……いや、吸血鬼だからって怖がるとかは特に無いよ。いや、俺以外はそうかもしれんが、俺は違う」


 俺は神埼の若干の戸惑いに揺れる瞳を見つめ、口を開いた。


「お前はお前だろ? さっきのだって別に過ぎた事だ。終わった事をグチグチ言う程、暇でもないしな。ほれ、もう俺は君を忘れる。これで、この話、お~わり」

「……私は忘れられないよ」

「え?」


 若干俯きながらそう言う神埼は俺の腕をぎゅっと掴んだ。


「君の血が……美味しすぎて、忘れられない……多分、その……抑えられなくなる……」

「え? な、何で、俺なの?」

「……わ、私のはじめてを奪ったから、かしら?」

「そういう言い方は良くないと思うな」


 俺は神埼の握る手を振り解こうとするが、力が強すぎて離れない。

 神埼は袖を握ったまま言う。


「……私、忘れられない。君の味が」

「だから……だーもう!! そんな目で見るな!!」


 ずっと、神埼が捨てられた子犬のような眼差しで俺を見てくる。

 本当にやめてくれ、そういう目には弱い事を自覚しているんだから。

 俺は神埼の隣に腰を落ち着かせてから、口を開く。


「ったく……質問するぞ!! お前は吸血鬼として完璧に人間世界に溶け込んでた。そうだろ?」

「ええ、そうよ。ただ、その、君の血を見てから抑えられなくなって。こ、こんな事初めてだったから……あ、い、今は凄く落ち着いてるわ」

「……じゃあ、もう一度聞くけど、何で俺なんだ?」


 俺の問いかけに冷静さを取り戻してきたのか、じっくりと考え、神崎が言う。


「多分、相性が良いのかな? 血って生命の根源だから。その遺伝子的に相性が良いっていうか……」

「……なるほどな。だから、お前は俺の血が物凄く美味そうに見えたって事か?」

「ええ、それはもう極限の空腹状態で極上のステーキを目の前で出されて、煽られるくらいには」

「それは……エグイな」

「でしょう? だから、その抑えられなくなって」

「俺を襲ったと」

「うっ……ひ、否定しづらいわね。まぁ、おおむねそうよ」


 状況は理解できた。

 神埼アリスは吸血鬼として生まれた。それでも多分、両親の教育か何かで人間社会にしっかりと溶け込む事が出来ていた。

 しかし、今日。

 不幸にも俺、という彼女にとって相性の良い『極上の血』を持つ俺と出会ってしまった。

 それが運の尽き。

 彼女の中にある吸血鬼としての本能が目覚めてしまい、襲ってしまった、と。

 そして、それによって、更に俺の血を欲するようになったって事か。


「……だとすると、人間の三大欲求と同じで吸血鬼は四大欲求って事か」

「そう。私達はその吸血衝動を輸血パックとかで賄ってたんだけど……私はそれが崩されたの。貴方の血を吸った影響で……あっ」


 フっと、何事も無かったかのように神埼の角と翼が雲散霧消する。


「吸血鬼としての力が抑えられたようね」

「吸血する事で色濃く出るって事か……なるほどな。これは厄介だな」

「……ごめんなさい」


 申し訳なくなったのか謝る神埼に俺は首を横に振る。


「いや、これはもう事故みたいなもんだろ。しょうがないさ。だから、これからどうするか決めよう」

「……その、無理はしなくてもいいのよ? わ、私が我慢すれば」

「出来るか? 我慢」


 さっきの様子を見て我慢しろ、なんて口が裂けても言えない。

 授業中に襲われでもしたら、それこそ神埼自身が大変な事になる。

 それを理解しているのか、神埼は押し黙る。


「……難しい、かもしれないわ」

「だろ? だったら、協力するしかない」


 だとしても、解決方法なんて一つしかない。


「じゃあ、俺が君の食糧係になるよ」

「え?」

「だから、昼休みで良いか? そん時に毎日、君に血をやるんだよ。そうすれば、一日は耐えられるだろ? それを毎日。俺から血を奪えば良い」

「え、でも、それじゃあ、君に負担が……」


 申し訳なさそうに言う神埼に俺は手で静止する。


「じゃあ、それ以外の代案はあるか? 君が吸血鬼っていう事を隠し通したままで生きていく為に。現代社会で吸血鬼が生きてるなんてなったら、世界中大パニックだぜ? 最悪実験とかまでされるかもしれない……」

「…………」


 俺の言葉に神埼はうっ、と言葉に詰まる。

 多分、両親にも言われてるんだろうな。バレたら、どうなるか。

 俺は肩を竦める。


「だったら、それ以外に道は無いだろ? ほい、じゃあ、決まりな」

「……変よ」

「何が」

「貴方……どうして、こんなにも協力的なの? どうして?」

「……困ってる奴が居て、助けない理由があるのか?」


 俺の返答に神埼は目を丸くする。


「お前は今困ってる。その一端が俺にある。だったら、俺も協力するのが筋ってもんだ。それとも、お前。俺がお前を吸血鬼だって言い触らすか、それを理由に揺するとでも思ってたのか?」

「そ、そこまでは……で、でも、あまりに物分りが良かったから……」

「そうか? 色々混乱してるっちゃしてるけど。分かってる事は単純だからな」


 俺は真っ直ぐ神埼を見て、言う。


「俺はお前の事を知らない。んで、お前は俺の事を知らない。そうだろ? なのに、知られちゃいけない秘密を共有した。だったら、俺達はもう運命共同体なんだよ。

 だから、俺は君に協力する。それに、こうなったのも何かの縁だ。君の事を俺は知りたいと思った」

「貴方、本当に変よ。変すぎて、言葉が出てこないわ」

「まぁ、良く言われる。じゃあ、話は纏まったな。明日から、俺がお前の食糧係な。宜しく。神埼」

「アリスよ」

「え?」


 俺が目を丸くすると、神埼――アリスは俺へと身体ごと向けて、手を差し出す。


「アリスで良いわ。貴方は?」

「あー、そっか。自己紹介してなかったな。俺は新道カイト。カイトでいいよ」

「カイトね。分かったわ」

「良し。じゃあ、俺は絆創膏でも貼って戻ろうかな」


 俺は立ち上がり、棚の中から絆創膏を探す。

 すると、アリスが隣に立ち、絆創膏を先に見つけ、手に取った。


「私が貼るわ」

「え? マジで。助かる」


 俺は椅子に座り、右手の人差し指を出す。

 アリスは絆創膏を1枚手に取り、それを優しく俺の指に巻く。


「はい。これで良いわ」

「サンキュー。っと、そろそろ戻らないと」

「先に行っててちょうだい。私はもう少し、落ち着いてから行くわ」

「了解。じゃあ、先生が来たら、アリスは保健室で休んでるって言っとくわ」

「ええ、ありがとう、カイト」


 そうして、俺は保健室を後にし、扉を閉める。

 それから大きく息を吐いた。


「ふぅ……何かとんでもない事になったな」


 彼女を助ける為とはいえ、とんでもない事を申し出てしまった気がするが、これはしょうがない。

 困っている人を放っておくなんて事は俺には出来ない。


「これから大変だな」


 これから先の未来の事をほんの少しだけ心配しながら俺は教室へと戻った――。

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