第30話 別れ

 人気のない昇降用通路、瀬帷暦二三一五年二月四日の空は、那賀川紫が訪れた時と同じ快晴が天蓋に映し出されていた。


「本当にありがとうございました」


 両手に箱と刀、鞄を抱えて、やりにくそうに、紫は深々と頭を下げる。

 両手がいっぱいなのをのぞけば、自分自身の垂れ衣姿に着替えて、今度こそ姫君といった風情だ。抱えた箱には、榛名諒の亡骸が納められている。


「気にしないでいいよ。……お陰で、本当のことが分かったんだし」

「そうそう。これからの方が大変でしょう」


 琥珀に続いて梓が言い、要は苦笑して応じる。


「こちらも色々やってしまいましたが、多分、差し引きゼロになるでしょう」

「ふん、どうでも良い人間からの評価も、昇進なんかにも興味がないわ。けど、ふんぞりかえってるお偉方の鼻を明かせるのはいいかもね。あ、そうだ」

「何です?」

「帰ったらあんみつ食べに行かなきゃ。山橋の期間限定苺白玉クリームあんみつが今日からなのよ」

「はいはい」


 要は苦笑する。この調子だと着いた途端に、紫も連れて食べに行くだろう。その前に上司に報告させる必要がありそうだった。


「んじゃ、あんたもしっかりやんなさいよ。いつまでも、左遷だなんて上の都合のいいようにされてんじゃないの。師匠も心配してたわよ」

「まぁ、善処するよ」

「オトナみたいなこと言ってんじゃないの」


 指先で額を遠慮無く突き刺して、その手を振る。


「たまにはこっちに顔出しなさいよ。じゃ、またね」


 二人が先に列車に乗り込もうとしたとき、一人の男が、通路をゆっくりと歩み寄ってきた。


 ぱちぱちぱち。

 ──静寂に、拍手が響く。


 表情を改めて射るような視線を向ける琥珀、顔をこわばらせる紫、腰に手を当ててにらみつける梓、気まずげな要。

 四人の視線を受けて、彼──藤原路草は四人の前で足を止めた。


「おめでとうございます。晴れて目的を達成といったところですか」


 抑揚のない声で言ってから、視線を紫の持つ箱に注ぐ。


「しかしたかが一体の傀儡などのためにこのような危険を冒されたなど、理解しがたい」

「それを言いに来たんですか?」


 さすがに険を帯びた四人の視線と紫の問いかけに、 


「私を殺しますか? やはり書司というのは、異能の人外だ。黒く染まった竹村君のように」

「お前は……っ」


 利用した人間のあまりの言いように、手を振り上げようとした琥珀を、微笑で制する。「お門違いですよ。彼は自身でそう望んだ。君も分かっているはずだ」


「挑発してどうしようっていうの? 四対一でどうにかできるとでも?」


 梓は狩衣を引き絞ると、自分の髪を結っている組紐の一本を、するりと抜いた。

 長さ三尺ばかりのそれは梓の分類によって針金を仕込まれたようにぴんと張り、立ち上がる。

 一方を手に持ち、一方を引き絞る。つがえるのは自身の髪。


「それが“二藍の射手”の所以ですか」

「射られたくなきゃ、さっさと尻尾巻いて逃げ帰りなさい」

「姐さん、止めてください」


 琥珀は手で制する。


「立場や良心というのは不自由ですね」

「心だけは自分の自由にならないさ。結局俺は、俺たちは、誰かの存在を杖にして、よたよた人生を歩くんだ」


 琥珀は言いながら、要を振り返った。彼は懐から扇型端末を取り出すと、操作して、画像を呼び出す。

 画像は、本棚に納まった本の背表紙を写していた。


「執務室にお邪魔させていただきました」

「それが何か?」

「書司の本業を忘れたか?」


 琥珀が返事する。


「分かり易く解説するよ。貴方の持っている本は、仕事の他、傀儡関係のものが極めて多い。『傀儡制作の理論と実践』なんかの傀儡本体の解説本は、傀儡への理解と構造などの知識を深めるために読んだんだろう。『傀儡の功罪』や『搾取される感情』は社会学・心理学系の本は傀儡批判や人間社会における傀儡の浸透による、人間生活の変遷・影響を考えたものだが、傀儡肯定よりも否定の内容の割合が多い。特に『鯨の糸』の筆者、多々良義基はそっちの筋では名が知れた社会学者で、傀儡批判の講演を精力的に開き、関連著作を五冊は出してるが、そのうち三冊は本棚にあった」


 路草は黙って聞いていたが、その顔は徐々にこわばり始めていた。


「小説では純文学『金糸雀の飼育』。子どもの年齢の傀儡金糸雀と名付けてを飼う老人の頽廃した生活を性倒錯を交えて書かれ、最後は孤独死で終わっている。一般小説の『夏の花火』は、傀儡と知らず恋してしまった男子学生が最後に恋人に殺される。実は『金糸雀の飼育』同作者の別筆名だ。少年向けの『ぼくかの!』まで買ってたのは驚いたな。主人公の“ぼく”と、傀儡の“彼女”が入れ替わって生活するうちに自分の生活を乗っ取られ、別のヒロインと“自分”を奪還する話だ。本棚の本を見れば、興味の傾向は分かる。そして、どれだけ傀儡に執着しているか」


「都で噂を聞きました。藤原殿のお父上が人外に惑わされたと。藤原殿が男色だとも。それで少し調べさせていただいたのですが、お父上は今その傀儡と共に暮らされ、お母上は、お父上が家を出られた頃から、病で家にこもりきりでいらっしゃるとか」


 要が口を挟み、琥珀はこわばった路草の顔に告げた。


「傀儡を憎んだのは、お前の父親が傀儡に心奪われたから、だろう」

「結局、〈月の接吻〉は狂った傀儡の自決、或いは傀儡の反乱による事故。世間ではそういうことになりつつあります。傀儡はより一層の迫害を受ける」


 路草は、苦し紛れといったように、笑った。いびつな笑いだった。


「私の何を調べようと、何を証明しようと、この流れは変わらないでしょう。そうそう、誤解は解いておきますが、私は男色ではないですよ。ただ異性に興味がないだけです」


 その笑いが正しいと証明していた。様々な政治的理由もあるにせよ、この人災を起こした彼の動機が、父を失い家庭を壊す原因となった傀儡への憎しみだということに。


「──いいでしょう。今回は姫君からも成田君からも、手を引きましょう」


 路草は笑いを収めると、力なく首を振った。


「公表するつもりはありませんが」

「今はなくとも、今後は分からないのでね。そうだな、やはり君たちは、もう少しに冷徹に疑い深くなった方がいい」


 彼は踵を返すと、改札口へと歩き出した。


「裏切られて気が狂う前にね」


 背中が小さくなって、見えなくなった頃。

 紫が小さく呟いた。


「……それでも私は信じる」


 あまりにも小さい声で、隣にいた琥珀の耳にしか、それは届かなかった。


「諒も、成田さんも、あなたの、ご両親への思いも」


 


 ──発車ベルが鳴った。


 梓と要の二人が先に列車に乗り込むのを見送って、琥珀は紫に向き直った。


「東吾は……罪に問われるかな」

「近いうちに、今回の件の事情聴取に来てもらうことになりますね。私も一緒に取り調べ受けます」

「そうだな」

「心配いりません。守るって言ったじゃないですか。帰ったらすぐに根回し始めます。一応これでも政治家の端くれですから」

「そっちはお願いするよ。勿論必要以上のことはお願いするつもりはない。ただ、せめてあいつの体が全快するまでは、やったこと以上の責め苦を負わせたくないんだ」

「分かってます」


「ごめん。君をあんな目に遭わせた奴のことなのに」

「気にしないでください。私は私で、私なりのことをするだけですから」

「どうかな。そうやって言ってみたかっただけかもしれない」

「いいんですよ、悪い人ぶらなくても。成田さんが私に言ってたじゃないですか。成田さんの言葉は、私にとってみんな名台詞です」


 情けない顔をして顔をかく琥珀に、紫は笑った。陰りのない、屈託のない笑顔だった。

 その様子に、琥珀も微笑む。


「初めて見た」

「え?」

「君がちゃんと笑うの。前から思ってたんだよね、笑ったら可愛いんじゃないかって」

「……本当に、いつも一言多いんですから」


 紫は手を差し出す。


「約束です。都で会いましょう。今度は書司と利用者としてじゃなく、友人として」

「うん。じゃあ」

「じゃあね、成田『君』」


 ひらりと手を振ると、紫は背を向けて車上の人となった。

 出発のベルが鳴り響き、車体は重たげな体をゆっくりと走らせ始める。

 たった二両の列車は、そのまま速度を増して、開いた外の世界へと続くトンネルに吸い込まれていく。

 トンネルの扉が閉まってから一呼吸の間だけ、琥珀はそのまま立っていた。

 彼女は振り返らなかった。

 琥珀も引き留めはしなかった。手をひらりと振り、唇だけで別れの言葉を告げる。

 もう一度だけ、さよならを。

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