第11話 天秤

 亭長から辞表を受け取って、出口へ続く廊下に人影を見つける。いつから立っていたのか、壁により掛かるようにして足を遊ばせている。

 ふとこちらを見て、不機嫌そうに手を突き出した。


「遅い」

 東吾が手に持っているのは、押しつけたままの弁当包みだった。


「俺にも仕事がある。すぐに辞表を取りに来るだろうとこちらで仕事しながら待っていたが、一行に来ない。しびれを切らして宿直所まで言ったが、入れ違いだったと言われてな」

「悪かったよ」

「全く、連絡の一つくらい寄こせ」

「あー、ばたばたして忘れてた」


 弁当を受け取ろうと手を伸ばすが、ひょいと高く持ち上げられて、指先は空を掴んだ。


「もっと反省しろ。せっかくの手作り弁当の存在も忘れるような輩に、おいそれと渡すわけにはいかない」

「……ごめん」

「よし」


 犬に許可を与えるように神妙に頷くと、やっと弁当は手の中に戻ってきた。

 窓から空を見ると、太陽は中天にかかり、腹の虫も早朝から餌がなくて苦しがっている。


「じゃあ、今からお昼ご飯食べながらでも説明するよ。一階の食堂でいいよな?」

「ああ」


 昼休みには遅い時間、人もまばらになった社員食堂の一番奥に席を取る。盆に食事を乗せて戻ってきた東吾の前に、瓶から注いだ水の硝子器グラスを置く。


 自身は二段重ねのステンレスの弁当箱を広げて、いただきますと手を合わせる。子どもの頃は別にして手を合わせるなんて普段はしないが、灯子が毎日作ってくれる弁当だけは特別だ。忘れてきたのに説得力もないけれど。


 ポークチャップ、鶏の唐揚げに卵焼き、インゲンのごま和え、ナッツとクリームチーズ入りのかぼちゃサラダ。植物の毒化が進んでいる昨今、品種改良とのイタチごっこで野菜の値段も上がっているが、あれこれ工夫して彩りよく詰め合わせてある。


「美味そうだな」

「お前のは年寄りくさい。たまには夕食くらい宿直所に来いよ」


 東吾の取ってきた皿は焼き魚と、後は野菜だらけだった。


「一人暮らしの男にしては、健康に気を遣っていると思うが。煮物はかさばる野菜を多く食べられるんだ。自分で作るに越したことはないが、仕事にかまけてなかなか、な」

「俺が働きすぎって、人のこと言えないなぁ」

「実際お前ほどじゃない。一日三食きちんととっているし、寝ている。藤原さんが弁当を作ってくれなければ、餓死するようなのと一緒にして欲しくないな」


 藤原というのは、灯子の名字だ。


 事故前ならいざ知らず、今の生活を灯子に頼り切っている現状は、確かに琥珀こそ、他人のことをとやかく言える筋合いではない。


 唐揚げを一個、焼き鮭の横に乗っけてやる。


「そうそう、明日の夕食の献立、肉じゃがだったな。絶品だから食べに来たらいいよ」

「よく覚えてるな」

「うん……まぁね」


 灯子の家庭料理の腕は、すぐにでも店を開けるくらいだが、それだけではない。


 仕事で忙しくて料理を作れないことの多かった母親は生前、灯子に息子が好きな献立を教えていた。確証はないが、事故後、宿直所に身を寄せてから、好物だけの献立が一週間も続いたらそうとしか思えない。それも、母親と同じ味付けで。


 両親が実験時に避難しなかったのには何か理由があるのか。死の覚悟があったのか。事実が思案の種にもなったが、素直にありがたかった。


「それはそれとして」

 東吾はほうれん草のおひたしをつつきながら、

「辞令は受け取ったんだな」

「ああ。受け取って、しばらくの間は仕事は自分で決めるように言われて、はいおしまい」

「お前は……素直に受け入れたのか? 正直なところ、亭長室から出てこなくてもおかしくないと思ったんだが」


「理由は聞いたよ。亭長も不本意そうだったけど、本亭の偉い人から、直々のお達しだって言ってたよ。それも、栄転扱い。口論する余地がない」

「……そうか」

「新しい亭を作る予定だから、詳細が決まるまで入念に準備を進めるように、だってさ。できるわけないんだけどな」


 箸で卵焼きを二つに割って口に運ぶ。ほんのり甘い半熟が舌の上でほどける。


「けどさ、最初は、今朝東吾から聞いたときは、素直に受け取る気はなかったんだ。でも事情ができた。今の俺には亭長という立場が必要なんだよ。だからごねないことにした」

「事情って、彼か? 利用者の?」

「彼っていうか、彼女」

「女だったのか? いつ気付いたんだ」


 珍しく目を丸くする。水干などという男物の服を着ていたせいもあるだろうが、全く気付いていなかったようだ。


「宿直所に帰ってから。遠目で見てたし地下は暗かったし、すぐには分からなかったけどね。男装だったけど、きっと」


 胸もさらしででも締め付けていたんだろう。と言いかけて、大きくはないが柔らかそうな胸と、風呂場の惨事を思い出してぶんぶん頭をふる。


「顔赤いぞ?」

「そうかな。何でもないって。それより経緯だよ」


 手で口元を押さえて取り繕い、話題を変える。 


「──てことで、とりあえず面倒見ることになった」


 風呂場の一件を除いて説明を終えると、東吾は難しい顔になって、


「桂城女史はどういうつもりで旅券を発行したんだ」

「姐さんの考えてることは分からないな。自分の正義に合致するかどうかだから」

「この状況では、いくら姉弟子の頼みとはいえ、お前が助けるかどうかは別問題だ」

「案内してきたくせによく言うよ」

「まさか浮遊都市が目的だとは思わなかったからだ。彼女の氏名や身分を照合した方がいい」


 焼き鮭の骨を器用に外し、皮をはがして皿の横に除ける。


「榛名諒がどの家にいたかなどすぐ分かる。一体型の傀儡は所在を公にする義務がある」

「必要ないよ。回収されたかどうかさえ分かればいい」

「反対だ」


 鮭の身を食べ終えた東吾は、皿の上に横たわる、きれいにはがされた銀色の皮をご飯の上にのせ、熱いお茶を注ぐ。昇り立つ湯気に、じゅわりと流れる脂。


「あ、美味そう」

「話を変えるな。俺は反対だ」


 難しい顔をますます難しくする。琥珀は口の中のご飯を飲み込んで、


「言うと思った」

「だったらやめてくれないか。深入りして書司の仕事まで失うつもりか。そんな馬鹿げた──」


 続けようとして突如口を閉じる。懐の軽い振動に扇を取り出した。宮中で官人がよく使う、扇形の情報端末だ。一寸(数センチ)ばかり開いた表面に浮かび上がる文字を確認するやいなや、一瞬だけ不快そうに眉をひそめると、ぱしんと閉じ、食器を乗せた盆を持ち上げる。


「悔しいが説教は後だ。夜勤が入った。一旦家に帰る」

「じゃあ、ついでに弁当箱返してきてくれないかな。俺は帰るのは夜になりそうだ」

「呆れたな。反対してる俺に頼むか? 家に帰って大人しくするという選択肢はないのか?」

「残念だけど、ない。もし事故が故意なら俺は」

「故意なら余計だ。事故がなんであろうと、おじさんとおばさんが巻き込まれたのは、事故だ」


 強い口調で言いながら、琥珀の視線を強く見返してくる。先に目をそらしたのは東吾だった。肩を落とし、ため息をつく。


「分かったよ、ついでだから返してきてやる。食器返しに行くから、水でゆすいでおけよ」


 返却口に向かう親友の背中を見送りながら、弁当の残りを胃の中に納める。


 忠告に従って弁当箱を水ですすぐ。几帳面な東吾らしい。最近は生活の面倒を灯子にみてもらっていたから、食べ終えた弁当箱も夜中に流しに置きっぱなし、翌朝の弁当箱は二つめだ。そんな状態だから夜になって返すことに灯子に対しての申し訳なさがあった、というのは、たいした理由じゃない。


 念のため彼女たちが無事か様子を見てきて欲しいというのもあったし、閉架への入り口を強硬突破したのを、本人の口から説明させた方が良かったかとも思ったからだ。謝罪するだろうし、事情を理解してくれなくても、筋を通せば東吾は通報は見逃してくれるだろう。


 思惑は東吾に筒抜けのはずだ。幼なじみって程でもないが、十年来の親友ってヤツだから。


 東吾が心配してくれてるのは自身もよく分かってるつもりだ。だが退くわけにはいかない。両親の死の真相が事故であっても潰されてしまったことに変わりない。親の跡を継ぐことを考えなかった自分の罪滅ぼしも含め、嘘だと分かっているものを信じ続けるわけにはいかない。


 水を切った弁当箱を包み直して東吾に託し、扇を開く。


 一等書司現在八十二人は全て、役職部署関係なく、殆ど全ての情報を閲覧する権限がある。〈分類〉の基盤が情報だからだ。IDとパスワードを入力して、手早く検索し──書司の十八番だ──目的の情報に接続する。


 月の接吻における報告書、傀儡の回収状況。


 傀儡には全て製造番号が付けられ、回収された番号は表示されている。一体型の傀儡の番号は特別ですぐに判別がつく。


 ──ない。上から見て、逆から見て、更にもう一度読み直したが、名前は発見できない。


 記憶をたどるも、確かに一体型の傀儡が回収された覚えはない。自分が掘り出してないのはもちろんだが、忘れてたということもないだろう。さすがに記憶に残るはずだ。


 発掘されてないなら、


地下しただ」 


 結論したとき、初めてでもないが、職務と個人的事情を天秤にかけた。

 立ち入り禁止の場所に一人で行くばかりでなく、既に自分は〈壺菫〉の人間じゃない。それでも部外者を連れて行くか。東吾の言うとおり、行けば書司を続けられなくなる可能性がある。

 しかし危険を冒してまで一人でやってきた彼女を同行させないというのは。

 それに事故が事故でなく故意なら、彼女は鍵を握っている。

 目をつむる。


「俺は人間のせいでひねくれざるをえなかった植物を、元のありのままにしたいと思って植物の研究をしている。俺は好きなように生きた。だからお前も、好きなように生きなさい」


 父さんの声が聞こえたような気がした。子として研究の跡を継ぐべきか、書司として生きるか迷ったときにかけられた言葉だ。それは奇しくも書司の本質でもあった。父さんは研究を誰かに継いで欲しいという思いがどこかにあったはずだ。一番に継げたのは俺のはずだ。


 それを知っていてなお選んだ書司を、もし続けられなくなったら、これから誰も書司として助けられなくなる。


 ──これから誰も? 今が助けるべき時じゃないのか? また同じようなときがあったら、同じような理由で逃げるのか?


 いや、逆に、これは千載一遇の機会だ。事故が故意だった可能性を抱えて、疑いを抱いたまま書司として勤め続けることはできない。だったら真実を暴くだけだ。職を失っても、書司の資格までは失われないのだから。


 彼女と一緒に地下に行こう。それが俺が俺でいるために、必要なことだ。

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