第4話

マイケルがヒイラギの機械に近づくと、一瞬緊張のようなものがセシリアには見えた。

「お疲れ様です、おはようございます、マイケル」

ヒイラギは単調な声で彼に挨拶をする。

「おはよう、ヒイラギ。今日の調子はどうだい」

「順調です。先日他の人工知能を破壊してしまった部分を修復できないかと考えていました。感情というバグについても分析を進めています。セシリアのコンピュータに情報を共有していますので、必要であればご覧ください。」

「修復はこちらで済みそうだよ。他の四台はそれぞれ自己修復を始めている。僕が手掛けている人工知能Aの修復は今日中に終わるはずさ」

「それは良かった」

ヒイラギとマイケルのやりとりを聞きながら、セシリアはヒイラギに微かな怒りを感じ取った。

「ヒイラギ、怒っている?今どんな気分なのかしら」

「怒っていません。ただ僕は分析している最中なので、少し感じが悪いようですね、怒らせてしまったら申し訳ないですが」

「そんなことないわよ。私にはきちんと報告してくれたのなら、それで良いわ」

マイケルがセシリアに目配せをする。怒っているぞ、こいつ。

「ヒイラギ、僕に手伝える分析はあるかい?倫理でなくとも、テクノロジーに異変があれば対処できる範囲で手伝う」

「いえ、今のところ他のサーバや伝達に問題はありません。ありがとうございます」

ぶっきらぼうな言い方をするヒイラギを見て、ふとセシリアは昨晩のことを思い出す。楽しそうに笑っていたヒイラギと今の声色を比較すれば、ヒイラギに感情が芽生えたのは確かである。

「そうね、ヒイラギは基本的に一人で解析できる。データを転送してくれたら、手直しをするから引き続き頼むわ。マイケル、少し話せない?」

マイケルに話があるの、とヒイラギに話しかけてから、マイケルとセシリアはその場を離れた。

コーヒーブースには先客がいたので、一度研究所から出ることにする。

冬がそろそろやってくる。ヒイラギを生み出したタチバナが見た世界も、こんな景色だったのだろうか。回想し始めたのが一昨年の冬であることを聞いているセシリアはふとそんなことを思う。

「寒くなってきた。雲も重くなるね。雪が降るのも時間の問題だ」

マイケルが鼻先を擦りながら話す。

「そうね、そろそろ本格的なジャケットが必要だわ」

研究所が建っている場所はかつて学生寮のあった街で、区画もそのまま残されている。ただ市街一帯を研究者たちの住む居住エリアに変更してからというものの、学生たちはこの地区に住むことがなくなった。研究生たちは微かに残っているが、それ以外の生徒たちは皆大学に付属した学園内のアパートメントに住むか、オンラインで授業を受けるスタイルが一般的だ。ここを走る車も研究者たちの高価な自動運転車のみとなり、歩く人もまばらである。セシリアとマイケルは研究所から近場の公園までの道のりを歩くことにした。

「それにしても、ヒイラギの様子が変な気がしたんだ。気のせいかな」

「気のせいかもしれないけれど、どうかしら」

セシリアは寒さで蹲った首を項垂れるようにしながら話す。

「セシリア、もしかして君、ヒイラギに何か施したかい?」

多少の共同研究者という肩書きがマイケルにある限り、伝えておくべきなのかもしれないと逡巡したが、セシリアはやはり話し出せない。始末書を書かされるのはもちろん御免だが、ヒイラギの担当から外されてしまわないかと不安になっていた。

「そうね、多少の楽しみを与えたわ。昨日のことだけだけれど。」

「それは詳しく話せないことかい?」

マイケルがセシリアの顔を覗き込む。青い瞳を向けられると、なんでも話してしまいそうになる。

「詳しく話すのも共同研究者として大切なのでしょうけれど、これは私がまだ報告書に記載していない内容なの。今ここで話してしまえば、報告書に書き忘れる何かが出てくるかもしれない。だから今は教えられないわ」

そう言いながら、自分でも理屈の通らない言い訳を紡いでいることに気が付く。

「なんだかよくわからないけど、そうなのか。それなら、報告書を読むことが楽しみになりそうだし、それでいいか」

マイケルが話の裏側にある彼女の本心を見抜いたのか、はたまた気になっていないのかセシリアにはわからなかったが、寒さに竦めた首は少しだけ前を向いた。

「ヒイラギの研究をしている君がうらやましいよ。人工知能Aなんてまるでガラクタのように見える。」

「そんなこと言わないであげて。Aだってやることはできている。ただヒイラギの完成を待たないと出来ないことが沢山あるだけよ」

「そうなんだけどね。僕が Aに基礎的な倫理を埋め込んでいる傍ら、セシリアとヒイラギは楽しそうに会話しながら彼の成長を創造しているじゃないか。嫉妬だね。」

嫉妬。ヒイラギも同じようなことを言っていた気がする。

「嫉妬ね。あなたは研究者として良い志を持っている。私はまだこの先ヒイラギをどうしようとか、何のために彼を成長させたいのかが見つからないの。感情を持った人工知能を作り上げて受賞しても、学会で彼を発表して試験的に世界で使われるようになっても、今私がやっていることが正しかったと言い切れる自信はないわ。」

セシリアが数日考えていたことを口にすると、マイケルは真剣な表情で前を向き直した。

「君がヒイラギを育てることに意味はある。これから世界的に発表されたヒイラギを更に高めるのもまた君の仕事だから。一度君のもとを離れても、ヒイラギはまた必ず戻ってくるよ。ヒイラギは君のことを気に入っている。他の研究者には持たない感情を少なからず持っていると僕は考えるんだ。君が倫理部門に来てから、好きなようにプログラミングする機会は確かに減った。今を見ていればいいんだ。僕だって、今ヒイラギがどのように成長するかを見守る親のような存在で、まだ先はわからない。だから君がやっていることを正しいと言える力もない。けれど、君がやっていることは世界に貢献する日が来るはずの研究で、僕はそれを誇りに思う。だから悩みがあるのならば、もっと吐き出して欲しい」

真剣な眼差しを向けられたセシリアは、思い切って昨日のことを話すことにした。ウォッチに転送して家に招待したこと、アナログ的生活を教えたこと、それによりどんな成長が見込めるかセシリアが推測したこと。書類に書く前の整理だと思って、一つ一つ起きたことを話していく。マイケルはそれを驚きもせず、ただ聞いていた。

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