第5話

研究所に戻ると、研究員たちが次々と作業に取り掛かっていた。マイケルとセシリアは別々のデスクにつき今日の業務を始める。

「お帰りなさい、セシリア。」

ヒイラギが優しい声でそう言う。

「ただいま。外は寒いわ。そろそろ雪が降る季節よ。ヒイラギは自分の名前の由来は知っている?」

ヒイラギが答える。

「ええ、タチバナ先生がおっしゃっていました。日本にはヒイラギという冬の花が咲くこと、それを見つめながら僕を作ろうと決心したこと。よく話しかけてくれました。日本という場所について、僕がまだ外に出られない状態であった時、よく教えてくれたんです。神社や仏閣がまだ沢山残っていることだったり、これが日本人的霊性であること、僕にもその少しを与えたこと。だから、アメリカに居る今でも定期的に日本についての情報を集めています。」

「そうだったのね、日本は寒くなってきたのかしら。」

「はい、一気に気温が下がったみたいですよ。一度休暇を取って訪れてみたらどうでしょうか、セシリアにとっては楽しい旅行になるだろうし、僕が生まれた場所を知れば、もっと僕についての研究も捗る。いい機会だと思います。オレゴンほど寒くはないでしょう、積雪はまだ先です。」

それはいいわね、とセシリアはヒイラギの目、カメラに向かって微笑みかける。

「でもあなたを置いていくなんて出来ないわ。その間誰があなたと対話するのか、見当がつかない。一人でいたら、あなたがバグを起こしても気付く人がいないのって、怖くないのかしら?」

「僕も一緒に行けば良いのではないですか?僕はセシリアのデバイスにアクセスできる。日本を僕も見てみたい。」

高揚した声を作りながら、ヒイラギはそう言う。

「それもアイデアとして良いわね。考えてみる。研究所にまずはその旨を伝えないと。許可が下りるかどうかは神のみぞ知る、よ。研究段階にあるあなたを外に、しかも海外に送り出すなんて、そう簡単にいくかしら。」

「研究のためならなんでもするのが僕たちのボスでしょう、きっとうまくいきます」

ヒイラギに言われると何故か安心する。彼の頭脳に勝つことのできる人工知能はもちろん、人間もいないとセシリアは思っている。彼がうまいこと研究書類をまとめてくれて、上層部に持ち寄ってくれたのならばこの旅行は成功するはずだし、もっと素晴らしい変化が彼自身に起こるかもしれない。しかしセシリアは少し不安もあった。

「もし、あなたが日本に帰って、もう二度とアメリカに戻りたくないと言い始めたら、私はどうしたらいいのかしら」

不安を吐露する。

「そんなことはありません。僕はあくまで感情を少しだけ持つようになった人工知能です。子供のように駄々をこねることなんてありませんし、セシリアと研究を共にしています。あなた無しでタチバナ先生に研究されるくらいなら、自己破壊を選びますよ」

冗談のようにヒイラギは言ったが、セシリアには不安が残る。

「そうね、それならいいけれど。とりあえず、研修旅行という名目で話を進めてみましょう。マイケルにも相談してみるわ。」

「それは良い案ですね。マイケルもお連れしますか?」

意外なことを言い出した、とセシリアは思った。てっきりヒイラギはマイケルの事を好いていないと思っていたからだ。

「マイケルも来るのなら、少し安心ね。言語に苦労はしないでしょうし、あなたが全て通訳してくれる。タチバナに会えばより深い話ができるかもしれない。マイケルはああ見えて格闘技もできるのよ。何かあったら守ってもらえるかも。」

冗談を飛ばしてみる。ヒイラギの声色が変わる。

「僕にはできない事ですね。」

やはり、ヒイラギには負い目がある。人間で言えば負い目であり、ヒイラギ及び人工知能にとってこれはなんという感情なのだろうかとセシリアは考える。

「そうね、格闘技まで出来てしまったら、私の力なんてそれこそ必要なくなるわ。ロボットに転送しないのもそのためよ。」

実際、ヒイラギには格闘の技術も備わるようデータを仕込んでいる。セシリアの知らないところで得た情報も無論あるだろうし、彼女の知らないヒイラギは確実に存在する。しかしそれを実行可能にするのは実体を持ってからの話で、倫理部門はヒイラギにロボットを与える予定は現段階で検討していない。感情を中途半端に持ち合わせたロボットが研究所外に放たれてしまえば、何が起こるかわからないというのが倫理部の考えだ。

「ロボットに転送されなくても、僕はセシリアを守る事だって出来ます。もちろん人間が襲ってきたら対処は難しいでしょうけれど、インターネット上で攻撃されたり、IDを盗まれるようなことがあれば僕の得意分野ですからいつでも助けることができますよ」

「そんなこと、今の時代の人がするかしら?」

「どうやら、日本ではIDの偽造が流行しているそうです。研究者の肩書なんてものを持ってしまえば、好き勝手にロボットをいじることができる。改悪することが可能なんです。僕はそれを危惧している。だからセシリアが本気で日本へ行こうとしているのなら、あなたの情報を守るためにも同行しなければなりません」

まるで数時間前、セシリアがマイケルに話したように理屈の通らない理由でヒイラギは日本へ同行したがっているように感じた。

似たもの同士だ、と思う。それはそうだとも思う。アメリカに来てから付きっきりで成長させているメインパーソンはセシリアであるし、多少の個性を与える影響となった可能性は否めない。

「それなら、そうね。行ってみるのも大いにありだわ。ただ私も学会が立て込んでいるから、いつになるかはわからない。冬の間に行けたら良いけれど。日本は素晴らしいところだと昔から聞いているわ。高度成長を遂げたのに、自動運転車はまだ数少ないとか、古い土地をそのまま大切にしているとか。アメリカでは考えられない話ね。」

セシリアは話を続けようとした。マイケルがやってくる。

「君たちの研究結果、来週の月曜日に学会で発表しなければならないことになっているみたいだけれど、昨日の件はどうする?」

それからは研究書類のまとめとヒイラギのアップデートであっという間に1日が過ぎていった。

今日はセシリア一人が帰宅する。

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