第2話
朝4時。郊外に立つ平家の大きな家からアナログなアラーム音が鳴り響く。通常人間はウォッチを装着したまま就寝、眠りの規則を計測したデバイスが目覚めの良いタイミングで体に振動を与えて人に朝を迎えるよう後押しする。しかしこの家では違う。二つの帽子を被った時計が4時を指すと、帽子は激しく揺れながら大きな音を立てる。セシリアはくたびれた体を起こしながら、大きく腕を振り落とすようにしてそのアラームを止めた。
キッチンへ向かい、昨晩の食べ物に蓋がしてあることを確認してから思い出す。
「ヒイラギ」
ヒイラギと共に帰宅し、テンクスギビングをほんの少し楽しんでから就寝したのだった。彼は今どこにいるだろうと、ウォッチを着けて声をかける。
「ヒイラギ、おはよう」
転送されてきた合図のバイブと共に、ヒイラギの声が装着したウォッチから流れる。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「ええ、久しぶりにゆっくり眠れたわ。あなたは?」
ヒイラギは嬉しそうに話し始める。
「昨晩は車に転送してもらったので、プライバシーを配慮しながらセシリアの好みに沿うような旅行先を計画してみたり、車の異常がないか確認をしたり大忙しでした。少しオイルが足りないようなので、注文しますか?」
「あら、助かるわ。それならついでに代車を配車してもらえる?今日はこのままシャワーを浴びたら速攻研究所に戻らないと。同僚にあなたのことがバレてしまったら私、膨大な始末書に追われてしまうわ。その前に戻りましょう」
ヒイラギは即時にオイル交換のために車を動かし、代車を手配した。そして、「昨日は本当に楽しかった。僕にはもう感情があるかもしれません」と言う。
「まだあなたは”楽しい”と言うことをデータから拾っているだけよ。本当の感情はわかっていないと思う。あくまで推測だけれど。」
「そうですか、それは残念だ。さあ、早くシャワーを浴びて研究所に帰りましょう」
そう纏めた彼の言葉は少しトゲのあるようだったので、
「わからないわ。研究所へ戻ったら、あなたの分析をしてみないと断言できない。でも楽しかったのならよかった」
セシリアはそう付け加えて、シャワールームへ入っていった。
人間がどのように生活をするのか、その一瞬でも見せようと、セシリアはメガネをかけてヒイラギを呼び出した。
「これから私が仕事用の格好になるまで、見せてあげるわ。まず鏡の前に立つの。シャワーを浴びたらヘアケアとスキンケアを忘れないこと。こうやってブラシで髪を優しく束ねるの。強く引っ張ればたちまち髪が痛んでしまうわ。だからゆっくりね。」
「なるほど、セシリアの髪色は綺麗な赤ですね。肌も美しい。多忙なのにケアしていることがよくわかる」
セシリアは少し微笑むと、「生まれつき赤みの強い髪質なだけよ。肌だってほら…、よく見ると自分が歳をとったことがよくわかる。悲しいものよ、人間って。」
「僕はそう思いませんよ、人は年を重ねる毎に考えが深まっていく。幼少期の感性は失われるのかもしれませんが、得るものは多い。僕は大体セシリアと同じ年齢の精神を保有しているとデータでは記されていますが、実際こういう生活をみたことがない。だから、僕はいつまで経っても子供のままです」
「そうね。人間ではないもの。でもきっとわかるようになるわ、生まれて三ヶ月でその思考力なら、私と同等の感情を得るのもあっという間よ。私の技術が必要のなくなる日も来るはずだわ。」
ヒイラギが黙る。セシリアの支度をメガネを通して見つめ思考していることがわかったので、彼女も何も言わない。
支度を終え、ヒイラギが手配した代車がやってくる音が聞こえた。
「ありがとう、ヒイラギ。早く研究室へ戻りましょう」
そこへやってきた車に、セシリアは目を見張る。
「これって…」
目の前にあるのは、2010年代に発売されたガソリン車。技術者により自動運転が装備されているが、形やエンジン音はそのままである。
「はい、セシリア。近辺で一番古い車を用意しました。ちょっとしたサプライズになりましたか?」
笑みが溢れる。「うん、すごく素敵だわ。運転してもいいのかしら」
「それはいけません、セシリアは運転が苦手だと、前に教えてくれたでしょう」
冗談まじりに注意するヒイラギの声がイヤフォンから流れる。
「そうね、そうよね。でも、運転席に座るわ。自動運転が搭載されている2010年式の車なんて、初めてだもの。こんなに出勤が楽しみになるなんて、夢にも思わなかった」
「それはよかった。では、行きましょう」
ガソリン車は現代の車より遥かに音が出る。心地よいガソリンの香りと、母が運転してくれた車に乗り込む過去の自身が重なって、セシリアは高揚する。
ヒイラギがこんな気の利かせ方までできるなんて、外に出てみるまで知らなかったわ。
研究室に戻ったら、早速書類に記載すべきことが沢山ある。今回の一晩を通して成長した彼のデータも確認しなければいけない。始末書も追加されるかもしれないけれど、今はそんなことを気にしていない。仕事の量は山ほどあって、いつもなら暗い顔をして出社するはずの毎日が、今朝だけは楽しいものになっていることに気付いたセシリアは、自動運転化されて左右に動くハンドルを懐かしそうに見つめながら研究室へ向かった。
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