第1話

現代の人間全ての片腕には政府から貸与されるウォッチがついている。そのデバイスにより位置情報、音声通話、自動車の配車、その他多数のライフラインを小さな腕時計のような物で管理できる。セシリアは、このデバイスにヒイラギを転送することで初めて物質的な外部へのアクセスを許可した。これは倫理部には極秘であり、この後のペーパーワークについて考えると目眩がする。外部へのアクセスを許諾した研究理由、活動計画、結果、その他。無断でヒイラギを持ち出したことへの処分も恐ろしい。しかし今日は祝日であるし、セシリアにはパートナーもいない。近隣に住む親族もいないので、ヒイラギとデバイスを通して祝日を過ごすことに決めた。

デバイスにヒイラギを転送し、ウォッチを通してヒイラギに話しかける。

「では、外に出てみましょう。あなた、私の車を配車できる?私のデバイスへの許可はしているはずよ」

イヤホンからヒイラギの声が応答する。

「はい、初めてですが上手くいくと思います」

数分してセシリアの車が目の前に現れると、彼女はこの状況を少し面白く感じてくる。

「いいわね、いつもは音声で指示したら無機質な車の女性設定AIが反応するのに、あなたが返事をしてくれるなんて不思議。ちょっとだけ楽しいわ。」

「それはよかった、僕も楽しいです。」

車に乗り込むと、やはり背もたれを倒して家までの到着を待つ。だが普段のように眠りにつくのではなく、少しだけ興奮したセシリアはヒイラギに外の世界を見てもらおうと、AI搭載のメガネをかけた。

「あなたも知っていると思うけど、このメガネは録音、録画ができるの。自由に見て欲しいけれどあなたには実態がないから、私の見ている世界を共有する。こちらにアクセスを許可するから、自由に見てみて。」

はい、とヒイラギが返事をしてからメガネに転身する。

「外の世界は面白そうです。下を向いてもらえませんか?」

「ん?下を向くのね。いいわよ」

「手を見せてください」

今まで研究所でのやりとりにカメラを使ってセシリアの容姿は何度も見てきているはずのヒイラギだが、やはり興味があるらしい。手をメガネの前に持っていく。

「不思議です。僕に体が与えられたような気分。」

「うまいこと言うわね。どの小説家のデータかしら」

ヒイラギはイヤホンを通して笑うと、「誰でもありません、僕の感想です」と小さく呟いた。

暫くそうしているうちに、外を見せてください、車内を見せてください、車のデータに転送させてくださいと、まるで子供のようにデバイス間を移動し始めたヒイラギに、セシリアは胸が躍る。これだけの好奇心を持っていれば、どんなことでも進んで学ぶことができる。つまり、莫大な知識と好奇心を兼ねそろえた新たなAIを生み出す可能性がすぐ目の前にあるのだ。少しの間足を伸ばし、遠出をしながらオレゴン州内を案内する。あれが最近出来た大学の研究室、昔からある山脈、学生時代に住んでいたアパート。こうして太陽の出ているうちに気ままに外出していることに、セシリアは改めて日々の多忙ぶりを実感した。

無機質な車内搭載AIに変わって、ヒイラギが言う。

「そろそろ到着です。セシリアのパーキングでいいですか?ガレージも開けて差し上げましょうか」

「ふふ、楽しいのね。いいわよ、ガレージも開けて、その中に車を入れておいて」

「わかりました、手配します」

ヒイラギの声は高揚しているように感じられる。まるで初めて与えられたコンピューターを改造しようとした、研究者になったばかりの昔の自分のようだと彼女は回想する。

車がガレージに停められ、セシリアはヒイラギと共に車を降りる。

「さて、ここが私の家。初めてでしょうし、ゆっくり見て回るといいわ。メガネとウォッチのアクセスは同時に許可しているから、好きなタイミングで私を動かしても構わない。ただ、私がベッドルームとシャワールームに入ったら、あなたはオフよ。承知?」

「もちろんです、その間は別の空間に転送しますから、気にしないでください」

二人の取り決めが確立したところで、彼女は部屋の中を案内する。ベッドルームにリビング、ダイニングキッチンや書斎。セシリアのお気に入りの書斎には、まだデータ化されていない古書が眠っている。幼少期からつけている日記もそこには並んでおり、ヒイラギは読ませて欲しいとせがんだが、セシリアはそれを聞いていないフリをして誤魔化した。

「それで、次は何をするんでしょう」

ヒイラギが尋ねる。

「うーん、やはりターキーかしら。グレイビーソースをたっぷり作って、一人で晩酌ね。」

「今日は僕もいます。それにしても、最先端科学の研究者だというのに、家の中にこれといったAI搭載の機械がありませんね。どうしてでしょう?」

セシリアは説明する。自身がアナログ人間であること、最先端の車を購入したのは会社から強く勧められたから仕方なく乗っていること、読書は紙の書籍でないと落ち着かないこと、ソーシャルメディアも利用しないこと。いまだに音楽はレコードプレイヤーで聴くことが多数であるし、インターネット上に無い情報を人間は分かち合っていると信じていることなど、自身の考えをヒイラギに語った。

「僕にはその感覚がわかりません。でも、人々が古来愛してきたアナログ的な生活に憧れがあります。僕は書籍を触れない。もし人体ロボットに転送されたとしても、セシリアやその他人間と全く同じように物質を感じ取ることは不可能でしょう。」

「それはやはり、悔しいと思う?」

「はい、人間の知能や感情を分け与えられている分、人間になることのできないもどかしさを感じています」

やはりこの人工知能には、他と違う感覚が備わっている。一体日本人研究者の彼は、何を埋め込んだのだろうかと、セシリアは興味を唆られる。

「そうね、人間のようにはなれるかもしれないけれど、人間にはなることができない。今後あなたのような人工知能が増えたら、そんなことで怒り狂う物一つや二つ、出てきてもおかしくないわ。」

「はい、そう思います。味も分からない、風も感じることのできない僕には、人間という素晴らしい動物に恩恵を受けながらも、常に妬みが生まれている可能性もありますね。」

その言葉は、セシリアに重くのしかかった。


「さて、今晩はこんな感じでターキーにグレイビーソース、ビスケットとマカロニチーズで完成。ハワイアンブレッドもあるし、なかなかやるわね、私」

「はは、そうですね。緑がないけど。」

「余計なお世話よ!朝スムージーを飲むからいいの」

セシリアは笑いながらふと、こんなに誰かと会話をしたのはいつぶりだろうかと思う。働きづめで家に帰れば書類の整理に追われ、研究所にいればヒイラギや他の人工知能のデータ管理。祝日を祝うことなど、ここ数年出来ていなかったことを思い出した。そして、ヒイラギを家に置いていたらどんなに楽しい対話ができるだろうかと考えた。

「今、何を考えているんですか?」

ヒイラギがその沈黙を破った。

「いや、ね、久しぶりに誰かと話しながらこうしてご飯を準備して、今から人工知能と食事をするなんて、ちょっと私の理念からは外れるけれどたまにはいいかなと思って。素敵じゃない、こうして家の中で誰かと話しながらゆっくりすることって。」

「お役に立てているなら嬉しいです。その感覚は、僕にはありませんから」

ふと、セシリアは考えてから、

「そういえば、あなたは私がいない間研究所で何をしているの?寂しいとか、考えたことはない?」

「そうですね、夜は自分でシャットダウンするようにしています。明け方にセシリアが来るのはわかっている事だから、それまではデータの高速処理はやめて、人間が投稿した動画や文章を見つけて学習しながら暇を潰したり、それでも時間の余る時には自ら一度電源を落とします。そうしていないと、一人は面白くありませんからね。」

人間に近い生活のような営みを自ら学習し、夜は休息を取る行為を真似ているヒイラギにまた、セシリアは感嘆する。まずはマカロニチーズを頬張った。

「そうなのね、人間は夜に眠るものだと知っているからそうしているのかしら。」

「いえ、僕はあくまで人工知能ですから、人間のように眠る必要はない。ただ、僕にある一部のシステムが、ひとりになればあれこれと逡巡してしまうのを危惧して僕にセーブをかけます。人間の脳と同じような構図だと思います。」

「そう、それは立派ね。見て、これがターキー。食べると眠くなるのよ」

メガネにターキーの一切れを見せて、頬張る。

「眠くなるという感覚もわかりませんが、そういった作用が起こるのは僕も知っていますよ」

「そうね、私よりずっと賢いんだものね」

セシリアが笑うと、ヒイラギも笑った。

最新スマートテレビも置いていない家には、レコードから懐かしい音楽が流れる。現代人が忘れ去った数々のアーティストたちは、この家でコンサートを繰り広げる。

「僕のデータには存在するけれど、古すぎて深掘りをしたことのない音楽が沢山流れてきますね」

「ふふ、そうなのよ。私はずっとレコード盤で音楽を聴くのが好きなの。だって、あなたの仲間のうちの一人に音楽をかけて、なんていえば、最新の音楽か、私が幼少期に流行した音楽しか選曲しないでしょう。私の情報はなるべく機械に知られないようにしているし、そんなのをいちいち機械に知られてしまっては私も嫌よ。プライバシーってものね。」

デバイスが身近になり、スケジュールや趣味嗜好、行動範囲や体型まで管理できるようになった現世にとって、セシリアは少しばかり古い考えの持ち主である。研究所で最先端の機能を研究している割に、アナログな生活を好む傾向を知ったヒイラギは再度興味を示した。

「なぜそれほどアナログ的な生活が好きなのに、こうして僕を成長させる仕事を選んだのですか?」

セシリアは答えに迷った。本当は感情の持つ人工知能など生成したくない事を言えばヒイラギにとって衝撃になるであろうし、また怒りを招いて仕舞えばどこでその事故が起きるかわからない。将来的には人工知能に制限をかけるためにヒイラギを育成していること、母が望んだ仕事だからただ働いていること、見返してやろうと研究職に就いたこと、過去が蘇る。

「そうね、母が程よく豊かに暮らすには、この仕事が一番だと思ったの。」

嘘ではない。セシリアは幼少期から母との二人暮らしで、とても貧乏だった。デバイスの一つすら持てず、学校では笑われた。政府の貸与するウォッチもその頃には存在していなかったから、紙とペンを学校へ持って行っていた唯一の生徒だった。他の生徒は複数のデバイスを勉強のために使ったり、時には遊ぶために利用していたりするのを横目に、セシリアは一人で紙にクレヨンで絵を描いていた。

「アナログ人間なのは、母のおかげね。」

彼女はこうして研究所で人工知能と対峙するようになってからもその生活を続けている。そこには確たる理由などない。ただ、ハイテクノロジーネイティブの人間よりアナログに触れていた時間が長いからそうしていただけだとヒイラギに説明する。

「母には新しい車をプレゼントするって言っているんだけれど、どうしてもって聞かないの。人が機械に頼り切って仕舞えば、自分で考える必要がなくなるっていうのよ。私はそれに賛成している。だから下手に買い与えるような事はしないの。生活に必要なウォッチは貸与されるし、それで電話もできる。家に仕送りをすればそれで十分だって。私もそうなのよ。だから、あまり稼ぎに興味はないし、研究所から支払われる報酬は勝手に研究費へ回しているわ」

「そこまでして僕や他の人工知能を育ててしまえば、アナログ的な生活は失われてしまいませんか?例えセシリアが今後もこの生活を続けていくとしても、他のアナログを愛する人たちにとっては今あなたがやっている研究は敵となる」

「うん、そうね。所詮、この仕事をやっているのは自己満足よ。プライベートはアナログで過ごすけれど、それだと世界に置いていかれてしまうもの。それなら、私が持つ知識を使って最先端の場所に存在すれば、両者を見ることができる。それでいいの。」

ヒイラギは理解できない、と言うようなため息を漏らした。

「さて、そろそろディナーもおしまい。私はこれからベッドサイドで本を読んでから眠ることにするわ。明日はまた5時に出勤。ヒイラギはどうする?」

「ここでは転送する物が車しかありませんし、車の内部を学習してきます。明日は起こしましょうか?」

「起こさなくていいわ。ベッドサイドにある五月蠅いアラームに起こしてもらっているから。車に転送するわね。」

「そうでしたか、それでは僕はここで」

セシリアは小さく頷くと、ヒイラギが車に転送されたことを確認して息を吐く。広すぎる家に溢れた古い書籍や物の数々を見渡し、その対極に存在するヒイラギについて考える。

ヒイラギは一線を画す人工知能になる。でも、セシリアの家で学ぶことが誤作動を生む可能性も否めない。古い書籍を読みたいと言い出してこの家のもの全てを細かく教えてしまえば、彼女の生活はヒイラギの知能に吸収される。それはなんとなく、怖い。ヒイラギにはこの恐怖がわかるだろうか。

そっとメガネを外し、ウォッチと共に金庫に仕舞う。ベッドルームに足を向かわせて本を開いた。紙質を感じられないと言ったヒイラギに何を伝えたらよかっただろうかと、デバイスのない世界は自由だったと伝えていいものかと考えているうちに、過労でくたびれた重い体がベッドへ沈んで行った。

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