第9話
「王配殿下の戴冠式の準備を始めますね」
ナタリアが張り切ったように声をかけてきた。
「そうだな」
「賭けがとても盛り上がってきていますが、どの馬の骨が王配の最有力候補ですか?」
「ケネスか、レジェスだろう」
ナタリアは少し首をかしげてから、納得したように頷いた。
「ラモン様も入るかと思っていました。スペンサー伯爵が騒いでいるのが逆効果でしたね。これでライバルが一人減りました」
「何のライバルだ?」
「私と陛下の仲を来世で邪魔するライバルです。今のうちにどちらが上かしっかりと言い聞かせておきませんと」
「私のナタリアは血気盛んだな」
「そうですよ、ランブリー伯爵家は兄弟で私から陛下を奪おうとするのですから」
ナタリアの言葉にアイラは笑ったが、凝視するような視線を感じてすぐに笑うのをやめる。
「陛下は最近少し変わられました」
「そうか?」
「それがあの馬の骨のどれかのおかげとは思いたくないですが」
「健気で優しい秘書官の献身かもしれないだろう? どんな風に私は変わったのだ」
「陛下はヒューバート様が亡くなってから、いえベアテル元王太子殿下が亡くなってからずっとトゲを纏っておられた気がします。孤高の美しいバラのように」
「私にバラは似合わないはずだが」
「陛下は何でも似合います」
「それは、私が女王らしくなくなったということか?」
「いいえ。陛下はいつも存在するだけで威厳に満ち溢れていらっしゃいます。ただ、背負いすぎて生き急いでいらっしゃるように見えていました。今はそれが和らいでいます」
「そこまで私を見ていてくれるなら、ナタリアを王配にするのが一番いいのだろうな」
「来世でお待ちしております。あぁ、そういえば。帝国の皇太子殿下から知らせが来ています」
ナタリアから受け取った封書を開ける。
「ルドウィン皇太子殿下は何と?」
「例の暗殺者を帝国の国境で無事捕獲したと。感謝すると書かれている」
「こき使いそうですねぇ」
「そうだな」
ラモンのところに労いに行かねばならない。アイラはあの暗殺者を捕らえるのは不可能だと踏んでいたが、結局今回捕らえたのはスペンサー伯爵家の力が大きいのだから。
「あぁ、捕まりましたか。良かったです。逃げられるかと思っていましたが、帝国の特殊部隊ですかね」
訪ねるとラモンは馬の本を隠すように後ろに置いた。しっかり見えてしまい、からかおうかと思ったがやめておいた。こういうところがこの男は素直で憎み切れない。次はナイルに乗馬を習おうとするのではないだろうか。
「スペンサー伯爵の助力に感謝する」
「あぁ、父は大したことをしていませんよ。あの人は私の進言を信じずに文句を言ってケチっただけです」
「ケチった?」
「スペンサー伯爵家でいくら密偵活動をさせる者たちを雇っているといっても、帝国までの追跡にはかなりの金がかかります」
「まさかそれをケチって帝国の皇太子に請求するのか?」
ラモンは眉間に皺を寄せてメガネをずり上げた。何を言っているのかという表情だ。
「父が渋ったので、レジェス様が支払いました。聞いておられませんか? 私はレジェス様の金を使ってスペンサー伯爵家の手の者に指示を出したのです。それなのに父は自分の功績のように私を王配にと騒いでいるのですよ、あの小心者の父は」
「レジェスが? つまり、プラトン公爵家が出したのか? 一体どういうことだ?」
「マンダリンガーネットの指輪をさっさと売っていました。我が家の伝手でかなり高く売れたのでそれを資金源に」
アイラの顔を見て、ラモンは口をつぐんだ。バツが悪そうに視線を一瞬そらし、そしてまたアイラに戻す。
「すみません。レジェス様が話すと言っていたので陛下は聞いているものだとばかり。だからあの後三日レジェス様のところに泊まったのかと」
「……いや、いい。この件は忘れてくれ」
「陛下。わざと黙っていたわけでは」
「分かっている。そなたは父親のように他人の功績を自分のものにするタイプではない」
「ありがとうございます。王配はレジェス様ですか? ケネス様ですか?」
ラモンは父とは違うと言われた時が一番安堵していた。続いた質問にアイラは面食らうことになる。
「なぜそう思う」
「私が陛下の立場に立って考えるなら、その二人で迷います。ヒューバート様の病気が遺伝性のものでなければですが、そんなことは研究が進まないと分かりませんからね」
「自分は入れないのか?」
「王配ですと、陛下の横で頑張って社交をしないといけないではないですか。陛下が王配の座をくださるというのなら……頑張りますが、離婚されないのなら別に何でもいいです」
「側室のままでいいのか?」
「側室生活は意外と楽しいです。それにまだ城の本の三十分の一も読んでいないのです。王配になったら読書時間が絶対減ります」
非常にラモンらしい考え方だった。
そういえば、子供は嫌いだから他の男と作れと最初に言っていたではないか。
「そなたは本当におかしな男だ。私のことを好きなような素振りを見せながら、他の男の存在も許容している。王配の座に執着もしていない」
「ナイル様に嫉妬しているのかと思っていましたが、あれは違いました。私に明らかに劣るナイル様が愛について理解している風なのが許せなかったのです。私はまだ陛下も愛も理解できていないのに」
「……そうか」
側室同士いがみ合いが少ないのはいいことだ。王配を二人以上置くことなどできないし、もうヒューバートの件は片付いたのだから。
アイラが黙ると、ラモンは居心地悪そうにメガネをいじり始めた。それが目障りだったのでメガネを奪ってテーブルの上に置いた。指が触れ合ったからかラモンの顔は真っ赤になる。
アイラはその素直な様子を見て微笑んだ。近付いてラモンの頬に触れると、彼の顔は面白いほどさらに赤くなる。倒れるのではないかというほどだ。
ラモンの顔がゆで上がる前にアイラは離れた。
「読書の邪魔をした」
「……いいえ。また来てください。今日はもう調子が悪いです」
蚊の鳴くような声だ。
思わず笑いそうになったが、傷つけるだろうと察してやめておいた。
それよりも、アイラはレジェスのところに行かなければいけなかった。簡単に母親の形見を売り払った男のところに。胸が苦しくなる。どうしてラモンにもナイルにもケネスにも感じないことをあの男に感じてしまうのか。
女王なのに、あの赤毛の公爵家の次男に振り回されているようでとても不快だ。
アイラはヒューバートに振り回されて疲れたはずだ。あの経験でもう愛に振り回されることなどないはずだったのに。胸が熱いのかそれとも苦しいのかさえ分からない。とても腹立たしい。
一方で冷静な部分では分かってはいた。きっと、よほどのことがない限りレジェスを王配に据えるだろうと。だが、それを認めたくなかった。
ヒューバートの後に愛してしまうかもしれない男を王配にして、また失ったら。アイラはもう生きていけない気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます