第8話

「陛下。お手をどうぞ」


 休暇は今日で終わりだ。

 離宮からの帰り道、アイラが馬車から下りて馬で移動する区間になった。もちろん、警備の問題だ。


 馬上のケネスに手を差し出されて掴んで、そのまま彼と一緒に馬に乗る。その様子をわざわざ出て来て見ていた民衆からひと際歓声が上がった。


 さっきまで馬車に一緒に乗っていたラモンを探すと、ナイルが押し上げてレジェスの乗る馬に乗せられていた。レジェスもナイルも笑っている。


「私がどの馬に乗るかは、皆で相談したのか」

「えぇ、ラモン様を抜いて熾烈なじゃんけんが行われましたね」

「そなたは見事に勝ったのか」

「そうです。私は乗馬も上手くじゃんけんも強いのですから」


 ヒューバートは乗馬があまり得意ではなかった。病気のせいもあったのかもしれないが、ラモンを可愛く思えたのはこういうことがあるせいかもしれない。


「まるでラモン様の方がお姫様のような乗り方でしたね」

「そう言ってやるな」

「陛下、お体は大丈夫ですか」

「大丈夫だ、休暇でなまってはいない」

「いつもよりほんの少し歩き方に気を付けてください。私以外が昨夜の名残に気付いてしまうかもしれません」


 馬上で少しばかり首を傾けてケネスを振り返る。彼の笑顔はいつも通りだった。察しのいい男はレジェス以外にもいたのだ。

 昨夜の出来事を思い出して唇をかむ。首まで覆う服を着ていてもやっぱり、アイラは後悔した。すべての重圧を脇に置いて、キャンドルの炎のようなオレンジの温かさに溺れてしまった。


「陛下は兄とよく似ています」

「ヒューバートは好色ではないはずだ」

「陛下だって好色ではありません」

「四人も側室がいるのに?」

「それでしたら歴代の国王はもれなく全員とんでもない好色です。愛人のいる貴族も金持ちも」


 アイラはしっかり前を向いているので、ケネスが耳元で囁く。


「そうだな」

「兄は間違いなく陛下を愛していました。陛下だってそうでしょう。あの死に方は兄の覚悟です」


 ケネスの囁く様子が親密そうに見えるのか、また民衆から歓声が上がった。アイラは手を振ってこたえる。手を下ろそうとして、ケネスに握られた。そのまま彼はアイラの手を口元まで持って行って口付けをする。


「ナイル様に視線だけで殺されそうですね」

「そなた、わざとか」

「美しい陛下を側室たちが取り合う姿は、外野から見ればこれほど面白いことはないのです。新聞はこれで持ちきりですよ」

「そなたは策士だな」

「えぇ、王配向きでしょう。とても」


 アイラの手を握ったままクスクスとケネスは笑う。


「兄は最期に何と言ったと思いますか?」

「……そなたは知っているのか」

「ずっと忘れていました。思い出さないようにしていたのかもしれません。確かに、兄は最期に私にこう言いました。『アイラを幸せにできなくてすまない』と」


 アイラはもう片手で民衆に手を振りながら、奥歯を噛みしめる。

 ケネスは私を試しているのだろうか。こんなところでこんな話をするなんて。私を泣かせてどうにかするつもりだろうか。


 ヒューバートは私のために死んだ。

 病気で苦しむ様子を見せることなく、アイラが執務を放り出すようにすることもなく。ヒューバートが死ななければ、アイラは自分の愛に大して悩むことも考えることもなかった。


「ヒューバートは、私に愛とは何かを教えたのだろう」


 アイラでも鋭い視線を反対側から感じた。そちらに首を向けると、ナイルが長くなった髪を揺らしてすでに前を向いたところだった。

 ナイルを通り越して、乗馬に慣れずガチガチのラモンを前にして一緒に馬に乗っているレジェスと目が合う。彼はアイラに向かって笑って目を少し細めた。


 アイラの心臓が嫌な音を立てたので、すぐに視線をはがした。


「だが、ヒューバートは私と一緒に生きてはくれなかった」


 警備の区間が終わったので、アイラは馬から下りた。ケネスはそのまま馬上に残る。


「私はどんな状態でも一緒に生きてくれるのが愛だと思っていた」

「だからこそ、陛下は私に死ぬことを禁じたのですね」

「私は同じ道を同じ方向を見て歩んでくれる男を欲する、期間は一生だ」


 アイラはわざといつもよりも大股で歩いて馬車へと戻る。

 ナイルが笑うのを我慢しながら、ラモンを助けて馬から下ろしていた。レジェスはいつも通り笑っている。


 ラモンが馬車の中に戻って来るまでの少しの時間に、アイラはヒューバートの名前を呟いた。これまで最も幸せな瞬間にも最も不幸な瞬間にもヒューバートがいた。


「乗馬は……二度としたくありません」


 馬車に顔を赤らめたラモンが乗り込んできた。彼の姿を見てアイラは思わず笑顔になったが、心臓は嫌な音を立てなかった。

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