第6話

 休暇四日目にして大してすることがなく、アイラは暇で疲れていた。側室たちとの予定がなければ、本当に何もすることがなかったところだ。


「ここのソファが一番寝心地がいいはずです」


 ラモンは離宮でも相変わらず本に囲まれていた。


「全部に座ったのか」

「はい。ケネス様とレジェス様にも座ってもらいました」


 離宮の本がたくさん所蔵されている部屋で、ラモンに無理矢理ソファに座らされる。湖の次はソファにかわるがわる三人の男たちが座って確認したのかと思うと、笑いそうになった。


「ここでそなたが本を読むのを眺めるのか? それとも、読み聞かせでもしてくれるのか」

「陛下は寝ていてください」


 他の側室たちならまだしも、ラモンが冗談を言う訳がない。顔をしかめて彼を見ていると、ラモンは桶とタオルを持って来た。


「拷問でもするのか」

「マッサージです」

「なぜ?」

「陛下はお疲れでしょうから」

「そなたは気でも狂ったのか。マッサージをするような男だったか?」

「失礼ですね。これを実践します」


 ラモンは一冊の本を掲げた。足ツボだのなんだのと他国の言葉で書いてある。


「これが最も疲れが取れるそうです」


 アイラがソファに座ったままなのに、隣に勝手に座りアイラの靴を脱がせながらラモンはやや得意げな声を出す。仕方がなく、アイラは体の向きを変えてソファに横たわりラモンの膝に足を乗せた。


「休暇であるはずなのに、陛下はきちんと休めていないではないですか。目の下の隈も大して変化がありません。風呂にもちゃんと入ってよく眠っていらっしゃるのですか?」

「そなたは私の母親か乳母のようだ」

「私が陛下の母親だったら、もっと陛下を理解できているでしょう」

「私を理解したいのか」

「女性を理解したいなどとは微塵も考えていないのですが、陛下のことは理解したいです」


 湯に浸したタオルで足を拭き、足裏に勝手に触り始めた。無防備な格好だからか非常に居心地が悪い。


「痛い」

「えーと、ここが痛い場合は便秘かもしれないですね」


 当のラモンにムードもへったくれもないので、居心地の悪さは瞬時に消えた。


「私で人体実験でもするのか」

「先に侍従にやりましたからやり方はすでに心得ています。ご安心ください」

「そなたはこれからも知恵を絞るのだから、こんなことをしなくても離婚を言い渡すことはない」


 クッションに頭を預けて、ラモンの様子をうかがう。いつもアイラよりも本を優先する男が、大真面目に足裏を押している様子はなんだか滑稽に見えた。


「これが私の精一杯です。陛下のハーレムに入らなければ、私はこんなに自分を情けなく思う日なんて来なかったでしょう」

「そなたは情けなくなどない。賢い男だ」

「スペンサー伯爵家は国内有数の資産家ですし、私の外見はそれほど醜くはありませんしなにより普通よりも頭がいい。だから、自分より劣る人間のことなんて考えたこともなかったのです。その辺の石か虫程度だと思っていました。何よりバカと話す気なんてありませんでした」

「自分に自信があるのだな」

「それなのになぜ、ナイル様たちを見てこれほど心がかき乱されるのか分かりません」

「まさか、男色の気があるのか」

「ナイル様なんて私より優れているところなんて武芸しかないではありませんか。武芸など護衛騎士で十分です。それなのになぜ、彼が陛下といるのを見て不快なのでしょう? お気に入りの本のページを開いて小さな虫が歩いているのを見た時くらい不快です」


 答えづらいことを聞いてくる面倒な男だ。アイラは男色などと言って話をそらそうとしたのに。ただ、嫉妬というには弱い気がした。


「最近の私はおかしくありませんか、陛下」

「私に聞かれてもな……私といない時のラモンの様子は分からないから。だが、私の前ではそなたはおかしくなどない」

「なぜ陛下のことばかり考えてしまうのか。なぜ、陛下のためにこんな本まで探して読んでいるのか。他の側室まで巻き込んで陛下のために動いて、どうでもいい湖にまで付いて行きました。あの嫌いな父親とも口をきいて。自分が思うラモン・スペンサーではないようです。私が誰かに合わせて何かを変えるなんて。陛下、これが愛なのですか?」


 ラモンの問いにすぐに答えられたなら、どれだけ良かっただろう。うんともすんともアイラは答えられない。


「私に、愛のことなど聞くでない」

「陛下以外に聞いてもはぐらかされました。ナイル様には笑われましたし。本で調べても愛は与えるものだとか、湧き上がってくるものだとか訳の分からないことが書いてあるのです」


 冗談だろう。まさか、他の側室たちに聞いたのか。だからナイルがあんなおかしなことをしたのか?


「ナイルが笑ったのはそなたが湖に落ちかけたからではないのか」

「ナイル様はそこまで話をされたのですか、酷いですね」

「詳しくは聞いていない」

「ナイル様は私のことを笑いましたし、陛下に言われれば人殺しまでしそうな方ですから嫌いです」


 アイラは今、足裏の痛みよりも驚きが勝っていた。


「そなたは本当に純粋なのだな」

「褒めているのですか?」

「とても褒めている」


 引きこもりの男がまさか最も純粋だとは思わなかった。もっと穿った見方をしているのだとばかり。アイラが驚いている間に、ラモンの指は足裏から足首の方に移動する。


「純粋だと言われたのは初めてです。大抵、頭でっかちだの行動は伴わないだの」

「私はそなたが羨ましい」


 アイラはとうにそんな感覚を捨ててしまった。ヒューバートが死んでからずっと。愛に対する眩しい感覚などなかった。


「私はヒューバートが死ななければそんなことを考えなかった」

「陛下は不思議な方です。いつもは冷静なのに、ヒューバート様のことになると途端に感情的になります」


 ラモンの声は不思議そうで、嫉妬は含んでいない。

 足を揉まれて痛みに顔をしかめると「老廃物が溜まっているようですね」などとさらりと口にしている。


「ヒューバートが死んで、毎日不思議だった。公務が普通に舞い込んできて、なぜヒューバートは死んだのに世界はいつも通り回っているのだろうと思った。鳥が鳴いているのもおかしくて、使用人が厨房で皿を割っているのも不思議だった。なぜ私はこんなに傷ついているのに、世界はこんなにもいつも通りなのかと」

「陛下が亡くなったら、私もそう思うのでしょうか」

「それは分からない。そなたが私より長生きするかも分からない」

「では、私は陛下より先に死ぬことにします」

「縁起でもないことを言うな」

「いえ、そんな思いをするくらいなら先に死んでおきます。陛下は私を看取ってください」

「そなたはどの側室よりもワガママだ。離婚してくれるなと言い、今度は看取れと」

「陛下が最初に死んではあちらで独りぼっちになってしまうではありませんか。死後の世界のことは知りませんが、先に行って待っておきます。本でも読みながら」


 足に上ってくるラモンの指を掴んだ。自分がとうの昔に失った感覚を引き戻すように。


「痛いですか?」

「いいや、足裏の方が痛かった。ラモン、そなたは純粋なままでいるように」

「私を純粋だと表現するのは陛下くらいです」

「本当に待っていてくれるのか」

「そのつもりです。陛下は長生きしてください。それにしても足裏が硬すぎます」


 ケネスとナイルとは全く違う。

 アイラもかつてラモンのような眩しくて切ない感覚を持っていたはずだった、ヒューバートに対しての話だが。


 いつしか醜く変化して、憎しみになってまた戻って来た。

 ラモンの指を握っている力を強めた。ラモンは不思議そうにアイラを見て、すぐに顔を赤らめてそらした。


「なぜ笑うのですか」

「そなたは純粋で可愛いと思った」

「ダンスの時のようにからかわないでください」


 昨日の感覚は間違っていなかった。ヒューバートは間違いなくアイラを愛していて、そしてアイラのために死んだ。

 ラモンに向かって笑いながら、涙を誤魔化した。

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