第5話
二日目はケネスとひたすらゴロゴロ過ごして終わった。
休暇三日目にして、アイラは自分に休暇が向いていないことを悟った。
やることがないとおかしなことばかり考える。もちろん、ヒューバートのことだ。とてもおかしい。だって、彼が死んでからの方が彼のことを考えている。彼が死んだ後の方が、彼を身近に感じる。
ぼんやりとしながら、アイラはナイルと過ごすために離宮の外に出た。今日は遠乗りに行かないかとナイルが誘ってきた。昨日一日ダラダラ過ごしたせいで体がなまっているからちょうどいい。
歩くには遠い距離にある湖まで馬に乗って進む。
「昨日はどうしたのだ、ラモンは馬に乗れないだろう」
「ラモン様は行きは私と一緒に乗って、帰りはレジェス様とご一緒に馬に」
何かを思い出したのか、ナイルは途中から思い出し笑いを始めた。
「なんだ。気になるではないか」
「ラモン様の……プライドに関わります」
腹筋と表情筋を我慢のために総動員しているが、ナイルの顔面はあちこちがぴくぴく震えている。
「それでは明日ラモンに聞いてみよう」
「ぶふっ……はい。ボートから落ちかけた話など聞いてください」
「それは楽しそうだな。さぞ昨日も楽しかったのだろう」
「私とレジェス様だけならばあれほどは……ぶふっ」
「そなたは私といる時よりもラモンとレジェスといる方が楽しそうだな」
「いいえ、昨日はちっとも楽しくありませんでした。陛下といるのが私の至上の喜びです」
急に真面目な顔つきになるナイル。だが、唇はまだぴくぴくとしていた。
「あの湖にボートなどあったか?」
「えぇ、男三人で乗っても大丈夫でしたよ」
「それは絵になるだろうな」
クスクス笑いながら湖に到着してナイルはすぐに馬から下りて、なぜかアイラに向かって両手を伸ばしてきた。馬上のアイラは首をかしげる。
「何をしている」
「夫らしいことをさせてくださいませんか」
アイラは黙って馬に乗れない令嬢のようにナイルに任せた。彼はアイラを抱えて馬から下ろす。
「私は一人で乗馬くらいできる」
「分かっています。やってみたかったのです」
地面に下り立つと、視線の高さにナイルの胸元があった。
ダンスの時しか身長を意識したことはなかったが、彼は側室の中でも背が高い方だ。そのまま彼の顔まで視線を上げる。彼の金髪の毛先の位置がかなり変わっている。
「髪がまた伸びたな」
「伸ばしていますから」
「昨日もここに来たのなら、二日連続ではそなたにとって面白くないのではないか」
「陛下と一緒ならばまた違った風景になります」
ナイルは手早く二頭の馬を木につなぐ。この湖に男三人が昨日いたことを想像してアイラも微かに笑ってしまった。
「昨日は釣りもしました。成果はありませんでしたね。ラモン様がミミズに騒いで……いえ、なんでもありません」
「まるでラモンは小説の中の乙女のようだな」
ナイルにはツボだったらしく、膝に手を当て身をかがめて笑っている。
この男はこんな風に笑うのか。騎士だった頃からいつも真面目な表情だった上に、側室になった後も思いつめたような悲し気な笑い方だったがこんな風に明るく笑うものなのか。
ナイルの笑いが落ち着く前に、アイラはしゃがんで湖に手を浸した。まだまだひんやりと冷たい。
「ボートに乗りますか?」
ナイルは笑いが一旦落ち着いたようで、息を切らしながら聞いてくる。
「ナイルが漕ぐのか?」
「そんなに離れたところまで行きませんよ。水上は冷えますからね」
用意周到なことに彼はブランケットまで用意していた。
「昨日は男三人なら寒くはなかっただろう」
「ラモン様は寒がっていましたよ。レジェス様はいつも通りの格好なのでラモン様が文句を」
ボートを軽々漕ぎながらまた笑いのツボに入ったらしいナイルは思い出し笑いを始めた。
「ラモンは一体、ナイルにどんな魔法をかけたのだ」
「くくっ、レジェス様は初めて外の世界に出たウサギのようだと」
「それは……褒めてはいないな」
ラモンは側室同士のお茶会などにも出ておらず、それほど接点がなかったからだろうか。ナイルはやたらとラモンの言動で笑っている。真逆な二人だからだろうか。
ナイルがクツクツと笑い続けて漕ぐのをやめたので、アイラは静かな湖面を眺めた。風が吹いて一つに高い位置でまとめた毛先が揺れる。
ヒューバートの何にアイラは一番傷ついているのか。
ラモンに問われたことにアイラはまだ答えられていなかった。でも、澄んだ湖を見ていてふと思う。
ヒューバートは私の愛を信じていたのだろうか。
アイラはあまりヒューバートに愛を伝えた覚えがない。王族だからそんな明け透けなことを言っていいと思っていなかった。だが、態度では示してきたはずだ。
もしかして、ヒューバートに愛を伝えなかったことを一番後悔しているのだろうか。そうすればヒューバートはあんな結果にならなかったのに、と。
急にぐいっと腕を引っ張られた。
「なっ!」
ボートが揺れて思わず体が竦む。ナイルの腕に包まれながらアイラは抗議の声を上げた。
「危ないだろう!」
「陛下、今誰のことを考えていらっしゃったのですか」
「仕事のことを考えていた」
「嘘です」
「ナタリアのことだ」
「嘘ですね」
ナイルの腕から逃れようともがいたが「揺れますよ」と言われたので、大人しくした。ぐっと腕の力が強くなってナイルの胸板にますます体が押し付けられる。
「ナイル、何のつもりだ」
「陛下。死なないでください」
「は?」
こんな冷たい湖に身を投げようなんて全く考えていない。それなのにナイルの声は切羽詰まっていた。
「死んだりしない。そもそもナイルは言ったではないか。覚えておいて欲しいと」
「はい。でも陛下はさっきヒューバート様のことを考えていらっしゃいました」
舌打ちしたくなる。レジェスどころかナイルまで心の内を読んでくる。そんなに私は女王なのに分かりやすいのか。
アイラが返事をしないでいると、ナイルはアイラの束ねた髪の毛をそっと払った。そのまま首筋に彼は顔埋める。
「ナイル!」
ちりりとした痛みが首筋に走った。慌ててナイルの体を押すと、今度は簡単に離れた。
「何をした」
「申し訳ございません」
「私が誰のことを考えていようとナイルには関係ないだろう」
「左様でございます。ただ」
「ただ?」
首筋に手を当てながらナイルを睨んだ。
「私は陛下のために死んでもいいほど陛下を愛しています。今すぐにでも死ねます」
「やめろ、そんなことは望んでいない」
「申し訳ございません。昨日ラモン様が、陛下が王配をこの休暇中に決めると話しておられたので」
またもアイラは舌打ちしそうになった。ラモンが他の側室にペラペラ喋るとは思っていなかったのだ。
ナイルの腕が伸びてくるので、体が強張った。ナイルはやや迷う素振りを見せてからアイラの手を握る。
「王配は私ではないでしょう。そのくらいは分かっています。ただ、陛下が死に向かって生き急いでいる気がしました。さっさと後継者を生んで死ぬおつもりではないかと」
さすがのアイラもそこまでは考えていなかったが、無意識では考えていたかもしれない。
「死なないでください、陛下。愛しています。最初に陛下を見た時からずっと」
アイラができないと反省していたことをナイルはこともなげに伝えてくる。さらりと重い。ナイルはいつもこうだ。
ケネスは一緒に死にたいと言い、ナイルはアイラのために死ねると言う。なんだか二人に責められている気がした。
アイラが黙り込んでいると、ナイルはアイラの手のひらに勝手にキスをした。アイラはもう咎めなかった。ナイルの行動は愛の懇願に等しかった。
しばらくしてアイラは重い口を開けた。
「そなたは兄たちのように私を裏切るだろうか」
「私が陛下を裏切らないのは、太陽が東から登るのと同じくらい当たり前のことです。陛下を裏切るくらいなら私は死ぬでしょう」
ケネスの言ったことは本当に正しい。
ヒューバートは確かに優しかった。そしてナイルの目を見ているうちにアイラは直感した。
ヒューバートは私のために死んだのだと。
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