第3話
ラモンは目の前の女性の寝顔を眺めながら、本のページをめくった。しかし、目が滑って内容が全く頭に入ってこない。
一度手に取った手前、最後まで読もうと思っていたが諦めて閉じる。降霊術よりも読心術の本を読んだ方が良かった。
そうすれば、陛下の心を少しでも理解できて気の利いた言葉を捻り出せたはずなのに。
ラモンは人の死で悲しんだことがない。
祖父母の死くらいしか体験していないせいもあるが、まったくといっていいほど悲しくなかった。だから、余計に今の陛下の気持ちが分からない。
「人の心が簡単に理解できればいいのに」
無防備に眠る、精巧な人形のような美貌の陛下を見つめる。どうでもいい話をしている間に彼女はいつの間にか眠ってしまったのだ。無防備すぎる。ラモンが襲ったらどうするつもりなのか。もちろん、犯人が明白な状況でそんなことはしないが。
会った初日から彼女は平気でラモンの前で眠っていた。こちらは意識しているのに、彼女はラモンの何を意識することもなく、くぅくぅと寝息を立てていた。図太い女王だと思った。
なぜ、わざわざこの人のためにあの大嫌いな小物の父に頼ってしまったのだろう。あの父のことだから後でギャーギャー恩着せがましくうるさいことは分かっていたのに。
あの暗殺者を捕らえることができたのは、自信満々で行動パターンが読みやすかったから。最終的に脱獄したあの暗殺者を追跡するのに伯爵家の力を使わなければいけなかった。頭をいくら転がしても、ラモン一人の力では何も成し遂げていない。
陛下に近付いて、髪を一房手に取る。そんなことをしても彼女は起きない。ため息が漏れそうになる。
ピンクのような紫のような珍しい髪を見つめて、そっと口付けた。
ゆっくりとした息遣いが聞こえるから、彼女は生きている。陛下が死んだら……自分は何を思うのだろうか。陛下がこの世からいなくなったら果たして自分は傷つくのだろうか。
陛下がこの世にいなければ、体力のない引きこもりで本の虫である自分を情けなく思うことなどなかったはずなのに。夜に歩くことなんて始めなかったし、他人に積極的に関わろうなんてしなかった。
自分が無理矢理作り変えられるようなこの嫌な感覚。
口付けさえされていない。それなのに、ラモンにダンスの練習をさせて無理矢理陛下は近付いてくるのだ。
宝石よりも輝く美しい紫の目に自分を映してほしいと願うなんて、自分が非常に愚かな男になり下がったようで嫌だった。それでも、ラモンはしばらく陛下の髪を手放せなかった。
***
「三日も陛下がお越しくださるとは。レジェス様は寵愛されていらっしゃいます。公爵様はさぞお喜びでしょう」
喜色をにじませた侍従の言葉で、レジェスは月を見上げてぼんやりしていた思考を引き戻した。
「今日は他の側室のところに行くとおっしゃっていた」
「ラモン様のところのようです。それでも、今まで三日も陛下を独占した側室はいなかったはず」
「それは事実だ」
「これで王配に近付きましたね」
「どうだろうか。陛下は執務面を見ているんじゃないか」
「そういうお顔はなるべく外ではされない方がよろしいかと」
「どんな顔だ?」
「嫉妬を無理矢理心の内にとどめて、平気な振りをしている男の顔でございます」
「嫉妬なんてしてないが。お前は詩人か占い師になれるよ」
「占い師は従兄がもうなっています。わりと当たりますので今度占いでも」
「信じてはいないが、刺激にはいいな」
嫉妬なんてしていない。
レジェスには、ラモンのような頭脳もナイルのような武芸もケネスのように秘密を抱えておく度胸もないのだから。あるのは父の後ろ盾と帝国皇太子とのつながりだけ。
「レジェス様は陛下を愛してしまわれたようですね」
数日前、ナイルにもそれが愛なのかと問われた。その時は否定も肯定もしなかった。愛されたことがないのに、愛など分かるわけがない。以前、愛していると陛下に告げたが彼女は返してくれなかった。
「まさか。兄よりも俺を選んでくれたが……それだけだ。愛だの恋だの、形のないものに振り回されるのはごめんだ」
陛下の一番になりたいとは切実に思う。でも、それは母親と父親でできなかったことを陛下に求めているだけだ。だから、ひな鳥を自称している。これは愛と呼ぶには拙すぎるのではないか。
「では、ますますそのような表情はおやめください。無駄に傷ついた色気が出ています」
「やっぱり、お前は詩人になった方がいいよ」
陛下が他の側室のところに行くのは当たり前のことだ。元婚約者の件で側室全員が関わったのだから。
自身の赤い髪を指先でいじりながら、レジェスは後悔した。いや、後悔してしまった。
三日も陛下が来たから、今日も来るのではないかと無意識に期待していた。他の男のところへ行っても最後は自分のところに来てくれるのではないかと。
しかし、今日は違ったようだ。ラモンの部屋の明かりは消えたらしい。
ハーレムに入らなければ、レジェスは誰かに期待することなんてなかった。迷子のような陛下に「私を裏切ってはいけない」と言われて、温かさを分け合うように抱き合って眠って、卑しく期待してしまった。この人の一番になれると。
ハーレムに入ったことをレジェスはこの日に初めて後悔した。
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