第2話

 王に愛など贅沢なものだ。

 アイラはこの国のトップであり、大抵のものはなんでも手に入る。それなのに愛だけは。高貴であればあるほど愛だけは贅沢なものになる。


「陛下」


 ナタリアの気遣う声で我に返った。


「ぼんやりしていた」

「お疲れですか? 休憩にされますか」

「いや、いい。悪かった」


 死にたいと思いながらすぐに死ぬ勇気もない女王なのに、仕事くらいしないでどうするのか。アイラは目の前の書類をつまみあげて取り掛かった。


「山賊の件が一段落したら、休暇を取るとおっしゃっておられましたよね」

「そういえばそうだったな」

「どこぞの馬の骨の男どもを連れて行ってきてください。戦争でも起きない限り、休暇の邪魔は致しません」


 ナタリアにあの日起きたことは説明してある。


「そんなに分かりやすく酷いのか、今の私は」

「城にいては王配を決めろだのなんだの騒がしい輩が多いので。陛下には静かな場所で過ごす時間が必要かと」

「最近、スペンサー伯爵がうるさいな」

「それはおそらく、陛下が三日間半裸のレジェス・プラトンの元に通われたからです」

「それは申し訳ないな。抱き枕にしただけなのだが」

「私だって陛下の抱き枕になれます」


 ナタリアが子供のように口をとがらせるので、アイラは笑った。疲れているが笑顔を見せる元気くらいはある。


「なぁナタリア。ヒューバートは私のことを愛していたのだろうか」


 彼女は神妙な顔で書類を置いて近付いてきて、アイラの手を握った。事情を知る誰も彼もにこんな顔をさせている。そろそろ、やめなければならない。人目のあるところで泣いて可愛げがあるのは五歳までだ。それでも王族として未熟な方だ。


「私から見ても、ヒューバート様は陛下を愛していらっしゃいました」

「私を置いて勝手に死んだのに?」

「それまでのヒューバート様は陛下を困らせることのない優しい方でした。思い出してください。ヒューバート様のすべての優しさが消えたわけではないでしょう?」

「でも、あの出来事はヒューバートの優しさと愛を疑うには十分だった」

「そうまでして陛下の心に残りたい気持ちは分かります。来世では私は絶対に負けませんけれども」


 彼女はヒューバートのことを客観的に見ている。アイラよりもずっと。


「今の陛下に必要なのは、数だけの側室ではありません。信頼できる優秀な秘書官と裏切らない王配と静かな休暇です」

「ナタリアまで王配と言い出すのか」

「決めなければ、ずっとあの手の輩は湧きますから」

「それはそうだ」

「もちろん、五十人側室を入れたとしても私は陛下が好きですが」


 ハーレムの解体は無理だろう。ヒューバートの件を抜きにしても、ハーレムは各派閥のバランスを取るのにいい働きをする。

 仕事のことは平気で事務かつ義務的に考えている自分にまた気付いて、アイラは虚しくなった。死にたくなったり、仕事について考えたり面倒な人間だ。



「陛下は城に籠りすぎているのではないですか」

「引きこもりのラモンに言われるとは心外だ」


 二日にわたって運搬係をさせてしまったラモンのところに洗ったマントと毛布を返しに行った。すると、ラモンはおかしなことを口にする。


「民衆は見えない存在に感謝をしづらいものです」

「どうしたんだ、急に民衆などと言い出して」

「奇病も山賊被害も収束させたのは陛下なのですから、先代国王の葬儀以外でもお姿を見せておくべきです。そうすれば、民衆からの支持も得やすいでしょう」

「奇病も山賊被害もそなたの知恵なしに収束はできなかった」

「私の知恵は陛下に差し出すと申し上げたはずです」


 口を開こうとしたが、その前に本が落ちる音がした。ソファに積んであった本が床に落ちたようだった。


「申し訳ございません」


 ラモンが素早く本を取り上げるが、すでにタイトルが目に入ってしまっていた。


「降霊術に興味があるのか」

「流行っているそうで。興味はなくても流行るには理由がありますから分析のために読んでいます」


 奇妙なほど早口になるラモン。顔も赤い。

 やはり、彼は引きこもりだから嘘が下手だ。息をするように嘘はつけない。


「私がそんなものに頼らなければいけないほど憔悴しているように見えるのか」

「いいえ、違います。私の興味本位です」

「そなたから見たら、今の私は奇妙な人物だろう」

「死をどのように定義するかは、宗教によってさまざまです。死んだ後の生まれ変わりを信じたり、守り神になったり。しかし、宗教の定義と個人の感じ方は違っていいはずです。感情は不安定で定義しづらいものですから」


 小難しいことを真面目な表情で流れるように話す。まるで準備していたようだ。彼なりの慰めだろうか。


「そなたは私がハーレムを解体して離婚するとでも思っているのか? 大丈夫だ、そなたは知恵を差し出したのだから約束はきちんと守る」

「陛下は冷静で国のことをしっかり考えている方なので、そこは心配していません」

「ならばもう降霊術の本は読まなくていい」

「分かりました」

「近々休暇を取って離宮に向かう予定があるが、そなたはついてくるのか? それともここで本を読んでおくのか?」

「ついていきます」

「ついてこないからといって罰することなどしない。王配にふさわしくないなどとも言わない」

「陛下は」


 ラモンは落ち着きなくメガネを外す。いつもメガネをいじくるだけで外したことはなかったのに。


「陛下は何に一番傷ついていらっしゃるのですか」

「何だ?」

「私が陛下を理解できないのは、それが見えないからです。ヒューバート様が隠し事をしたからなのか、自殺したからなのか、ケネス様を巻き込んだからなのか、それとも他か」

「何が言いたい」

「私は陛下の心が見えないので……陛下に何と言っていいかわからないんです」


 ラモンは視線をそらして自信がなさそうだ。

 しかし、素直な言葉だ。先ほどの定義だの宗教だのよりもずっと。


 愛に種類があるのならば、優しさにもたくさんの種類があるのだろう。

 レジェスやナイルとは全く違うラモンの表現に、アイラはほんの少し笑った。傷は時間が癒すというのは嘘だと思っていた。ただ、忘れていくだけだと。


 優しさを感じれば、傷が少しは塞がっただろうか。


「休暇中に王配を決めるようだと伯爵に伝えておけ」

「父がうるさくて申し訳ありません」

「伯爵の言い分は当然のものだ。王配は決めなければならない」


 ラモンは視線を落とすが、膝の上に行儀よく置かれた手に力が入っている。側室らしくない男が側室らしくなったものだ。

 最初は王配の座はくれるなら受け取ってやってもいいという態度だったのに。ハーレムを作って変わったのはアイラだけではないようだった。


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