第7話
アイラが目を覚ますと、目の前にはレジェスのつむじがあった。
彼はアイラの手を握りベッドの傍らに座ったまま眠っていたようだ。
アイラがつむじを眺めていると、レジェスは顔を上げた。
「お目覚めですか、陛下」
「本当にそなたはどこでもどんな体勢でも眠るのだな」
「えぇ、私の数少ない特技でございます」
レジェスはアイラの手をゆっくり離すと、立ち上がってアイラの着替えを持って来た。事前に調達していたようだ。
「朝食は何を召し上がりますか?」
「食べたくない」
「陛下が今日は私のひな鳥になってくださるのですか?」
レジェスによって口に食べ物を突っ込まれる未来が容易に想像できたので、アイラは渋々起き上がった。
「軽く食べられるものを」
「かしこまりました」
アイラが着替え終わり、レジェスの手で髪の毛が整えられた頃に朝食が用意された。食べ物の香りが鼻をくすぐる中、レジェスは前に回ってアイラの前髪を櫛で梳く。
「陛下の髪は本当に綺麗です」
「よく言われる」
「珍しい色です。他国でもこのような色はなかなか見たことがありません」
「それも、よく言われる」
アイラの色気のない返答にさえ、レジェスは何が面白いのかわずかに口角を上げている。
「なぜ、暗殺者を捕らえたのだ。ケネスから何か聞いていたのか」
「いいえ。ナイル様から聞いていました。昨日陛下に起きたこともナイル様からです」
「そうか」
アイラの知らぬ間に側室同士で結託していたようだ。あの時の会話から、ケネスとナイルも協力していたようだった。レジェスとラモンの家の力を使えば暗殺者を捕らえることはできるだろう。捕らえ続けることができるかは分からない。
アイラはあの暗殺者のことなどもうどうでも良かった。だから、捕らえもしなかったのだ。
朝食を食べ始めると、レジェスは親鳥になれずにやや残念そうにしたもののいつもの彼らしくヘラヘラと笑っていた。まるで昨日何もなかったような錯覚に陥りそうだ。
「そなたは母親を許したのか」
「可哀想な人だと思っています。つまり、許していません」
「そうか」
急に話が飛んだにも関わらず、レジェスはへらりと軽く答えた。
それが無性に今のアイラには羨ましかった。ヒューバートへの憎しみは口にできないほどまだ新鮮だったから。父や兄に対する憎しみは、あれは古傷が疼いていたくらいのものだったのだ。ヒューバートがアイラにつけた傷は真新しく、まだ血が噴き出している。
愛が憎しみに変わるのだとアイラは初めて理解した。愛は愛のままだと思っていた。アイラの中でヒューバートへの愛は色褪せず淡い色を放ち続ける希望で生きる糧だったはずなのに。
朝食を食べ終わって、レジェスの部屋から出て行く前に彼の手を握った。
彼に昨夜の礼を言うべきだろうが、言いたくなかった。それを言えばまた傷が悪化しそうだ。
「そなたは温かい」
「体温が高いのです」
なんとなく名残惜しくて、レジェスの手をなかなか離さないでいるとレジェスは耳元で悪戯っぽく囁いた。
「私は温かい、イイ男でしょう?」
言葉で同意しなかったが、ほんの少し頷いた。レジェスの手が温かいのは事実だからだ。
「今夜も私で温まりに来ますか?」
ラモンならば絶対に口にしない言葉だ。悪魔の囁きにも似ているが、それにしてはあまりに軽い。
「私は昨夜冷えたまま眠ったはずだ」
「手は握っておりましたよ。今夜でしたら喜んで陛下の抱き枕になります」
「では、足を乗せて眠りたいからその枕になってくれ」
「私は陛下の男ですから、足枕もできますよ」
きわどく艶めかしいようで、軽々しい会話。
昨夜、ラモンの部屋に泊まったらこれほどアイラの口は滑らかに動いただろうか。昨夜は口を開くのも億劫だった。ナイルならどうだろうか。ケネスにもまた話を聞きに行かねばならない。
アイラの頭はやっと動き始めた。今日やるべき仕事と、昨日の出来事に付随してやらなければならないことはたくさんあった。
「レジェス」
「はい」
「そなたは私を裏切ってはいけない」
気付いたらそう口にしていた。
「何が起きても私のことを裏切ってはいけない」
ヒューバートでさえ最後にアイラを裏切った。
レジェスは身をかがめて、アイラの目線の高さに自身の目を合わせてきた。朝なのに夕焼けを眺めている気分になる色だ。
「私は死ぬまで陛下のものです。陛下にとって1番でも3番でも4番でも」
アイラはその答えに深く安堵した。
はいとも絶対に裏切らないとも言っていないのに、レジェスのコンプレックスとともに紡がれた言葉は真実に近い響きをしていた。その言葉はアイラの心臓の近くに届いていた。
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