第4話

「ケネス様、ここにずっといるわけにはまいりません。さぁ移動しますよ」


 ナイルは座り込んでいるケネスに声をかけたが、ケネスはぼんやりしていて反応がない。


「仕方がないですね」


 ナイルは目覚めた護衛騎士の助けを借りてケネスを背負うと、ハーレムへ続く道に進み始めた。


「何も言わないんですか」


 耳元でやっとケネスが口を開いた。大の男一人を背負っているが、ケネスがかなり大柄という訳でもないのでナイルには大して苦ではない。


「ケネス様が隠したかったことの意味がよく分かりました」

「全部が無駄になった。兄と陛下のためにしたことが、兄のおかげで全部無駄になった。俺は笑いものだろう」

「ケネス様はヒューバート様のご病気と自殺を隠したくて、側室になったのですね」


 ナイルの言葉にケネスは再び沈黙した。


「いえ、言葉が正確ではなかったようです。あなたは陛下をこれ以上傷つけないために側室になったのですね。ヒューバート様まで自殺に似たことをしたと分かれば、陛下は絶対に傷ついてしまうから。それで捜査状況を探ったり、陛下の目が真実に向かないように側室同士で争っているように見せかけたりしたのですね」

「ナイル様なら分かってくれると思っていたが。まさか、あの土壇場で君にも裏切られるとはね」

「ケネス様は秘密の内容まで教えてくれませんでしたから。今日、陛下の周囲に必ず犯人が現れるということしか。だから、私はあの場で最も正しいと思う選択をしたのです」


 ハーレムが近くなると、人気は少なくなっていく。


「俺は愚かだった。兄を見誤った。兄を一番理解しているのは俺だったはずだ。そして兄を通して陛下を理解しているのも」


 吹き抜けの廊下をナイルはひたすら歩く。踏みしめる足音だけが響く。


「いいえ、ケネス様は愚かではありません。ケネス様のそれは……間違いなく愛です。陛下を傷つけないため、ヒューバート様の秘密を守るため、ご自身が泥をかぶるのを良しとする。それをヒューバート様も分かっておられたのでしょう。だから、わざわざあの男を寄越して真実を伝えさせたのです」

「どうだろうな。俺のやったことはすべてただの独りよがりだったのかもしれない」

「誰にでもできることではありません。あなたは陛下の心を守っていたのです。だから、変なことは考えないでくださいね。あなたまでいなくなれば、陛下はまた傷つきます」

「陛下は……俺のことでは傷つかないだろう」

「傷つきます。絶対に責任を感じるはずです。私もケネス様がいなくなったら悲しいです」


 ナイルは空を見上げた。月が無情なほど輝いている。

 今日の月はナイルには眩しすぎた。


「私は今夜のことを忘れることができないでしょう。あの男に斬りかからず、陛下を尊重してケネス様を押さえつけた自分の選択が正しかったのか。ずっと悩んで考え続けるのですから」

「君は、いつも通りに行動しただけだろう。陛下を尊重し、陛下の御身を守ることが君の愛なのだから」

「ケネス様と私は愛の形が違うようですね」

「俺は自分の愛こそが最も正しいと思っていたよ」

「私も、そう信じていたいです」


***


 執務室に戻ると、ナタリアは言いつけ通りまだ残っていた。

 アイラを見て顔を輝かせたが、長年の付き合いで瞬時にアイラの様子がおかしいとわかったらしい。何も言わずにアイラをソファに座らせて紅茶を淹れた。

 アイラの前に無言で紅茶を置くと、ナタリアは礼をして執務室を出て行く。アイラのことをよく分かっているよくできた秘書官だとしみじみ思う。


 しばらく、紅茶の表面から立ち上る湯気をぼんやりと見ていた。


 父もケネスもヒューバートも真実を知っていた。ランブリー伯爵夫妻もだろうか。

 アイラだけが何も知らなかった。父だって、なぜヒューバートに協力するような真似を。


 湯気が消えた頃に紅茶を一気に飲み干す。そして立ち上がって執務室を出た。


「陛下」


 いつもよりも廊下が騒がしい。何だと見ていると、近衛騎士が立ち止まった。


「城門付近で不審者を捕らえました」

「そうか。どんな奴だ」

「ケネス様に変装した男です」


 先ほど話をした男だった。手練れだろうからさっさと逃げおおせると思っていたのに。わざと捕まって脱獄でもするのだろうか。


「ラモン様とレジェス様が捕まえました」


 アイラはさらに混乱した。なぜここでラモンとレジェスが出てくるのだ?

 二人でたまたまあの辺りを歩いていたのか? ラモンの運動神経は悪そうだが、レジェスは良さそうだ。意味が分からない。


「そうか」

「これから尋問します」

「あぁ、ご苦労。城内に入って来たような奴だから油断はするな」


 アイラはぼんやりとしたまま報告を受けた。近衛騎士が立ち去ると、そのまま歩き出す。

 目的地など決まっていないのにしばらく歩いて、気が付くとハーレムの人工池にたどり着いていた。


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