第2話
「わざわざ一輪のバラだけ届けに来たのか」
アイラは警戒を保ったままバラを受け取らずに聞いた。
「私の最後の仕事をしに来ました」
「なんだ、引退でもするのか。今度は私のことを殺す依頼でも受けたか。城の中まで侵入して私を殺すのなら相当金を積まれたのだろうな」
ケネスの顔をした男はふっと笑う。
「もちろん対価として金はもらいましたよ。ですが陛下を殺すことはありません」
「そなたがヒューバートを殺したのか?」
ざざっと庭に強く風が吹いた。風に飛ばされないように男はバラを胸元に引き寄せる。アイラの長い髪が風にあおられて揺れて乱れた。
「このバラを受け取ってもらえたら答えます」
男はケネスの容貌でケネスとは全く違う表情をする。ここまで変装が上手いのならば彼が殺したに決まっている。かなりの腕の暗殺者だろう。何らかの方法で城の中に入り込み、ケネスに変装してアイラの執務室に来るまでに平気で何人もの使用人と護衛騎士を騙したのだから。
それでも、アイラは目の前の男に聞いてみたかった。
バラを受け取るために一歩踏み出す。手を伸ばそうとした時に突然目の前に割って入って来た何かに阻まれた。
「陛下。お逃げください」
「いやはや物騒ですね」
男は接近を分かっていたのか二歩引いて笑っている。アイラと男の間に割って入ったのは短刀を構えたナイルだった。
「ナイル。私は彼と話がある」
「しかし、彼はケネス様の偽物です」
「分かっている。私が自分の男を見間違えると思っているのか」
「……この男は危険です」
「この男なら、私を殺そうと思えばいつでも殺せた。わざわざ城に侵入してこなくとも私はもう少しすれば離宮に向かう予定だった。殺すのが目的ならばそちらを襲撃した方が良かったはずだ。逃げ切れるのかは分からないがな」
「そうですね。考え方と落ち着きがさすがは女王陛下です」
男が飄々と頷き、ナイルはアイラの斜め前に移動しながら顔を歪める。
「わざわざヒューバートの誕生日に、花をここまで持って来た理由。そして山賊の一味としてなぜ活動していたのか。ヒューバートを殺したのか。私は聞きたい」
「それは、どうしても聞かなければいけないことですか」
「ずっと知りたかった答えが今、私の目の前にある。聞かない選択肢はない」
「さすがナイル・コールマンですね。怪我をして騎士を引退しても陛下を尊重し、そして陛下のために命を懸けるその姿勢」
男のからかいを含んだ声にナイルは唇を引き結ぶ。ナイルの脇を通り過ぎたが彼はもう割って入ることはなかった。そして男の前にアイラは再び立った。
「もう陛下は飽きてしまわれたかもしれません」
「花束で飾っていたら少し、香りが強すぎた。飽きたのではなく……この香りに慣れてしまった」
男は白いバラを恭しく差し出した。アイラは綺麗にトゲが処理された白いバラの茎を掴む。
「ヒューバートの死に慣れたようで慣れないのに、このバラの香りには慣れきってしまった」
受け取って香りを嗅ぐと甘い香りが鼻をくすぐる。
アイラには全く似合わない香りだ。色も何もかも。
「陛下、私の話を聞いていただけますか」
「あぁ」
「陛下!」
無視したかったが、あまりにそれは悲痛な声だった。
「おや、本物が来てしまいましたか。思ったよりも早かったですね」
走って向かってくるのはケネスだ。この場にケネスが二人いることになる。しかし、男は焦る様子もなくむしろ喜ばしいようだ。
「登場人物は多い方が好きでしてね。それに、彼も大いなる関係者でしょう」
「ヒューバートの弟だからな」
「彼にも聞く権利が、いえ聞く義務があるでしょう」
「陛下! その偽物から離れてください!」
「知っている。ケネス、そう騒ぐな」
ナイルと違って、ケネスは必死の形相でアイラの腕を取った。こちらもいつものケネスらしくない。
「陛下。ダメです。お願いです。この者から離れてください。危険です」
「ヒューバートを殺した犯人であることはもちろん分かっている。だが、私はこの男と話がしたい」
護衛騎士もいると思って視線を向けると、やや離れた場所に立たせていた護衛騎士たちはいつの間にか全員草の上に倒れていた。
「少し眠らせただけですよ」
アイラの視線に気づいて男が言う。手にはいつの間にか吹き矢のようなものを握っている。
「そうか。鍛錬が足らないだろうか」
「陛下。お願いです! どうか何も聞かずにこの場から離れてください!」
「ケネス・ランブリー。あなたがどれほど邪魔しようと私は最後の仕事を終えます。今日はいつもより城に入るのが大変でした。騎士の配置もやや変わっていましたし。あなたとナイル・コールマンの仕業ですか」
まるで知り合いであるかのようなケネスとケネスの変装をした男の会話。そして、いつもより城に入るのが大変? この男は何度か城に入り込んだのか。口を挟みたくなるが、黙っておいた。
「お前はやはり……」
「あなたも知らないことが世界にはあるのですよ、ケネス・ランブリー」
「お前を殺しておけば良かった」
「できるものなら。あぁ、人を呼ばない方がいいですよ。そうすると私は二度と話しません。陛下は二度と知ることはないでしょう」
会話の途中でもケネスはアイラの体を引っ張った。
「陛下。どうかあの者の言を信用しないでください」
「ナイル」
アイラがちらりと視線を投げて短く呼ぶと、ナイルはケネスを引きはがした。
「ナイル! お前は裏切るのか!」
「……陛下の望みが私の望みですから」
ナイルはケネスを引きずってアイラから少し距離を取る。男はそんな二人の様子を気の毒そうに眺めてからアイラに視線を向けた。
「私は囚われの姫君でも眠り姫でもない。女王だ。話を聞くかどうかは私が決める」
「あの日、ヒューバート・ランブリーを殺したのはこの私です。それは彼の望みでもありました」
「ヒューバートの望みだと? そんな表現をするつもりか?」
「えぇ」
男はことさら優雅に頷いた。手の震えを感じながらアイラは続きを促した。
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