第5話

「ナイル様」


 ナイルが外出届を出して出かけようとハーレムの外に出た瞬間に声をかけられた。聞き覚えのある、陛下ではない女性の声。


 栗色の髪の毛を揺らして近付いてきたのは陛下の最側近といわれるナタリアだった。


「どうしましたか。ナタリア様」

「陛下は山賊と白いバラの贈り主に関係があるのではないかとお考えです。これが壊滅前の山賊集団から逃げ出した重要参考人の人相画です。これを花屋で見せて聞き込みをしてください」


 折りたたまれた紙を広げると、特徴があるとは言い難い男の人相画が現れた。


「分かりました」

「よろしくお願いします」


 ハーレムに異性は入ることができない。つまり、女性は入れない。使用人も侍従もすべて側室と同性の男ばかり。だからナタリアはここで声をかけてきたのだ。


 ナタリアとナイルは顔見知りではあるが、大して話をしたことがなかった。ナイルはもともと喋る方ではなく、近衛騎士として無駄口を叩くこともなかった。この前の即位のパーティー準備の時に初めてまともに喋ったといえるだろう。


「ナイル様は陛下に信頼されていらっしゃいますね」


 なぜだろう。誉め言葉に聞こえるがそこはかとない嫌味が隠れているような。


「そうでしょうか。私が元近衛騎士ですし、皆さん山賊対策でお忙しいから私にこれを任されたのでしょう」

「陛下のためなら私がいくらでもやったのに」

「ナタリア様は陛下の最側近ですから」

「えぇ、ぽっと出の側室には負けません」


 後ろで元同僚で侍従のドレイクがナタリア相手に殺気立っているが、大人しくさせた方がいいだろうか。


「誰もナタリア様に勝負を挑んでいませんし、最側近であるナタリア様に勝てはしません」

「秘書官の間では誰が王配になるかで持ちきりです。ナイル様は誰だと思いますか?」

「順当にいけばレジェス様かラモン様でしょうか」

「ナイル様は王配の座に興味はないのですか?」

「私では荷が重いでしょう。私は陛下が笑ってくだされば幸せなのです」


 こんなことを聞かれるのはナイルにとってどうということはないのだが、後ろのドレイクの方が気にしている。最近陛下がナイルの元を訪ねてもすぐ帰ってしまうから、敏感になっていると言うべきか。他の側室の侍従たちとの間でも神経戦があるのだろう。申し訳なくなってくる。

 ナイルとしては回りくどく聞かれるよりもこうやってストレートに聞かれる方が気が楽だ。


「ナタリア様、何をそんなに苛立っていらっしゃるんですか。陛下に何かあったのですか」


 それにしても珍しい。秘書官ナタリア・エベルシュタインといえば陛下にしか興味がない女性のはずだ。男だったら絶対に陛下の結婚相手の座を狙っていただろう。

 なぜそんな彼女がこれほどナイルにつっかかってくるのか。パーティー準備の時には出来の悪いネズミでも見るような目をしていたのに。ネズミ相手ならつっかからなくていいだろう。王配の件だって陛下と話すだろうに。


「その男」


 渡された人相画をナタリアは示す。


「その男、山賊の参謀的存在なのですが。ヒューバートと名乗っていたそうです」


 ナイルは思わず立ち止まった。後ろのドレイクも慌てて立ち止まる気配がする。


「もちろん、山賊たちは学のない者も多いのでそいつは『ヒュー』と呼ばれていたそうですが」


 その男からそいつになった。こっちが本音だろう。


「これを陛下に報告しなければならなかったので、イラついています」

「心中お察しします」


 どれほど陛下はこれを聞いて傷つかれただろう。ナタリアでも苛立つわけだ。

 ヒューバートという名前はあるにはあるものの、元婚約者であるヒューバート様を貶めるような、こんなやり方は。


「これを聞いて陛下がどれほど傷つかれたか」

「……もし、この男が山賊の参謀として陛下の治世を乱しながら陛下に白いバラを贈り、あえてヒューバートと名乗る人物なら捕まえなくてはいけません」

「しかもその男が加入したのは、ヒューバート様が殺されて少ししてからだそうです」

「この男がヒューバート様を殺したと? ではかなり腕利きかもしれません」

「殺した犯人本人ではないにしろ、何らかのつながりはあるでしょうね。気を付けてください」


 お願いしますねと言ってナタリアは歩き始めようとしてすぐにやめた。


「ナイル様は陛下をこれ以上傷つけないでください」

「私は、陛下を傷つけたことはないつもりです。この命に代えても」

「ええ、それは分かっています。陛下はこれまでで十分傷つきましたから。もし陛下をこれ以上傷つけるなら私があなたを殺します」

「それは、陛下への熱烈な愛の告白のようですね。ナタリア様」

「私はそこらへんのどこの馬の骨とも分からない側室の誰よりも陛下を愛している自信がありますから」


 今度こそナタリアは去っていった。陛下のように背筋を伸ばして、だが大股で颯爽と歩いて行く。陛下はもっと気品がある。


「おっかねぇ女だ」

「ドレイク、言ってはいけない。男性優位の社会で陛下の最側近であり続けるには相当な努力が要るのだから」

「だからってナイルにあれほど言って良いわけじゃないだろ」

「彼女に期待されているということだろう。怒られて牽制されるうちが華だ」

「あー、奥さんに何も言われなくなったら終わりで離婚ってやつか」


 人相画にもう一度目を落としてから、ナイルはそれをポケットにしまった。

 陛下がこれ以上傷つく結果にならないように祈りながら。


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