第2話

「陛下、ここが星が一番よく見えます」


 しばらくゆっくり歩いて、レジェスが声を上げる。言われた通りに見上げると、確かに星が良く見えた。


「よく知っているな」

「陛下と見たいと思いまして。ラモン様との散歩中に上ばかり見ていました」

「ラモンは視力が悪いからな」

「えぇ、この星空がはっきり見えないとはもったいないですね」


 並んでベンチに腰掛ける。

 不思議な気分だ。女王になってからは見下ろすばかりだった。謁見でも会議でも。このように空を大きく見上げたのはいつ以来だろうか。


 星空をしばらく眺めていたが、横のレジェスを途中から観察する。これまではそれぞれ側室の部屋で会うくらいだった。訪ねて行くとナイルは外で稽古をしている場合が多いからナイルとは外で会うが。


 母親を亡くしてレジェスは参っていないだろうか。

 アイラは死に慣れきっているが、レジェスは違うだろう。アイラの視線に気づいた彼が星空から視線を移す。


「どうしたのですか、陛下。星空より私が美しいのですか」

「珍しく散歩に誘うから、何か変なことでも考えているのかと心配しているだけだ」

「どうやったら陛下に愛されるかしか考えていませんからそこは大丈夫です」

「そなたはおかしな冗談ばかり言う」


 レジェスの頭の後ろで一つにくくられ、馬の尻尾と表現するにはささやかな、まるでネズミの尻尾のようになっている赤髪を少しばかり引っ張る。


「陛下。実は秘密にしていたことがあります」

「なんだ。実は女だという告白以外なら受け付ける」

「私の本当の誕生日は今日です」

「? 書類には二週間後の日付が書いてあったはずだが。私の勘違いか?」


 アイラは記憶を手繰り寄せながら目を瞬いた。アイラの誕生日は広く周知されているが、人によっては誕生日を間違われるのは嫌だろう。


「いいえ、書類上の誕生日は二週間後です」

「一体、どういうことだ?」

「父が出生の書類を出すのを忘れていて。提出を思い出したのが二週間後でした。それで日付を書き換えて提出したのです。出生に関する書類は生まれて一週間以内に提出しないといけませんでしたからね」

「公爵は熱でもあったのか? 家令に頼まなかったのか」

「さぁ。あの人は次男のことなんてどうでもいいのでしょう。長男が大事で末っ子が可愛いだけですから。あぁ、末っ子はまだ生まれていませんでしたね。確か当時、長男が高熱を出して大変だったと家令から聞いています」


 やや投げやりにレジェスは笑う。

 誕生日について知ってしまった時もレジェスはきっとこのように笑ったのだろう。誰だ、そんなことをレジェスに教えたのは。知らなければ幸せなこともあるだろうに。


「すまない。贈り物は二週間後に届くように手配してあってまだ手元にない」

「陛下のせいではありません。それに、陛下は偶然でも今日私のところに来てくださいました。部屋に戻って陛下がソファで眠っているのを見た時、ここは死んだ後の世界かと思いました」

「勝手に私まで殺すな」

「幻想かと思いました。美しい陛下が私を待っていてくださったのですから。こんなに嬉しいことがあるでしょうか」


 レジェスは膝の上に置いていたアイラの手を取って指にキスをする。振り払うのは簡単だったが、アイラはレジェスのするままにしておいた。


「凄いんですよ。他国で評判の占い師のところに行って書類上の誕生日を言うと、決まって変な顔をされます。それで本当の誕生日を言うとそれなら占えると言われます」

「そうなのか」

「えぇ、彼らには分かるようです。だから陛下、変な占い師かどうかは私が分かります。詐欺占い師に騙されないでください」

「面白いやり方だ」


 レジェスはアイラの手を放さず、つつっと唇を手首まで滑らせた。


「くすぐったい」

「こういうのはお嫌ですか?」


 レジェスはいたずらっぽく笑いながらアイラの指に自身の指を絡めた。嫌ではなかったが調子に乗ることが目に見えているので答えないことにした。


「ちょうどいいではないか。今年から今日は私だけが祝うレジェスの誕生日としよう。二週間後の書類上の誕生日は対外的な誕生日にしておけば良い。今年は父が亡くなっているから何もしないが、側室たちの誕生日パーティーを開くことも有り得る。そうしたらゆっくり二人で祝えないだろう?」


 レジェスはアイラの指に再び口付けようとしていた動きを止めて首を傾げた。


「陛下?」

「嬉しくないのか? レジェスは誕生日が二つあるから片方で私を完全に独占できるぞ。他の側室はそうはいかない。なにせ普通、誕生日は一回しかないのだから」


 レジェスは目を伏せて思案顔だが、喉仏はゆっくり上下した。


「私を独占したくないのか。なら仕方がな」

「したいです」


 手をグイッと引っ張られて上半身もついていきそうになるが踏みとどまり、片方の手でレジェスの鼻をつまんだ。


「本当に嬉しいのか? 無理はしなくていいぞ」


 レジェスは鼻をつままれたまま嬉しそうに頷く。

 鼻から手を放してレジェスの目元を軽く擦る。アイラはレジェスの濃いオレンジの目を気に入っていた。それに、公爵夫人を亡くして少なからず傷ついているだろうレジェスをこれ以上傷つけたくなかった。


「陛下のおかげで私は父を許せそうです。二度、誕生日があるなんて素敵です」

「もっと早く言えばいいものを。そうすれば今日は執務を早く切り上げてもっと早く会いに来たし、贈り物だって早く用意した」

「陛下を煩わすのは好きではありません。それに私も昨日まで慌ただしくしておりましたし誕生日など忘れていました」


 指を絡めたまま、目にほんのり嬉しさを乗せたレジェスと目が合った。


「つい先ほどまで頭の中で母と父を恨むのに忙しかったですし」

「聞き分けが良すぎるな。たまに夫がワガママを言うのは可愛いものだ」


 こういうところは王配向きだ。いや、アイラが煩わす男は嫌いだと会議で言ったからだろうか。演じているのだろうか。


「誕生日おめでとう。レジェス」


 演じていても可愛いか。アイラは疑念を振り払うように祝いを述べた。どうも傷ついているのにヘラヘラして隠そうとするこの男の態度には甘くなる。この男の3番目にしか大切にされない痛みをアイラも経験したことがあるからだろうか。


「私の本当の誕生日を祝ってくれたのは陛下が初めてです」

「嬉しいのか?」

「とても嬉しいです。キスをしてもいいですか?」

「今日はそなたが私を独占するのだろう。私の夕焼けは意外と謙虚なのか」

「では、陛下。贈り物は要らないので今キスをいただけますか」

「せっかく選んだのだから贈り物くらい受け取っておけ。どちらかを選ぶ必要はない」



 ケネスは考え事をするために庭を散歩していた。

 しばらく歩いているうちに聞き覚えのある男女の声がして、思わず隠れた。


 レジェス・プラトンが陛下に口付けをねだっていた。


 ケネスはレジェス・プラトンが嫌いだった。それこそ会って見た瞬間から。ヘラヘラして何を考えているのか分からず、そのくせ傷ついた素振りを見せて妙に可愛げがある。そして機会は逃さない。


 公爵家の次男なのだからもっと偉ぶっていればいいのに、ハーレムの使用人にも積極的に話しかけてすぐに仲良くなっている。恐ろしい。

 側室の中で誰を一番警戒するかといえば、レジェス・プラトンだ。次点でナイル・コールマン。ラモン・スペンサーは知識だけの頭でっかちなので大した警戒はしていない。

 ケネスも社交的ではあるが、訓練した社交性だ。レジェス・プラトンのは性格由来のものだろう。


 陛下が兄ではない他の男と並んで歩く。パーティーではダンスをし、会話をして笑い合い、時には重要な意見を求める。そして今のように口付けもする。それ以上も。


 全部分かっていたことだ。兄が死んだらそうなることくらい。

 兄はとっくにこの世ではない他の場所にいて、見守っているのかどうかさえも分からない。


 全部分かっているのに。頭では理解しているのに。

 それでも、ケネスは陛下が他の男とキスしているのを見たくなかった。そんなことのためにこれまで努力してきたのだと思いたくもなかった。

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