第10話

 病気で死ぬのと突然死は、どちらがいいのだろうか。

 母である公爵夫人は病気だったから覚悟ができた。家族にとっては準備ができるから病気の方がいいのかもしれない。本人にとっては知らない。


 兄と弟、そして父が母に縋って泣いているのをレジェスは何の感慨もなく一人離れて眺める。涙さえ出てこない。

 そんなレジェスを薄情だとでも言うように母付きの侍女が睨んでくるが、それも仕方がない。


 人が死んだら次は葬儀か。

 先代国王陛下の時は盛大な国葬だったが、母ならもっと規模が小さくて気楽なものだろう。そうしたら陛下の元にやっと帰れる。いや、家にやっと帰れる。


 各国を放浪していた時、国によって死生観が違うのが面白かった。

 ある国で仲良くなった老人は「今日これから死んでくる! 今日が俺の命日だ」と言って砂漠に赴き、ただ寝転がって目を閉じて穏やかに死んでいた。死ぬ日は自分で決められるのだとその老人から教わった。

 母はどうだろうか。今日、死にたかったのだろうか。レジェスの誕生日の三日前に。


 葬儀の指示などしなくても長く仕える優秀な家令が動き始めているのを視界の端で確認した。正直、葬儀など待たずに今すぐ帰りたい。あの、ハーレムに。


「レジェス、お前もお別れを言いなさい」


 泣き続ける父がレジェスを無理矢理、亡くなった母の側へと連れて行く。もう母は死んでいるのに何を言えというのだろうか。


 レジェスはぼんやりと母を見下ろした。

 陛下もこんな気持ちだったのだろうか。実兄と元婚約者を亡くした時は突然だったから、もっと取り乱しておられただろう。


 陛下は親を無理に許さなくていいと話してくれた。それで心が楽になった。きっと陛下も無理矢理、親や兄を許そうとしたのではないだろうか。

 レジェスが祖母に似ていたから愛せない。それがどうしたというのだ。


 兄がやってきて無理矢理、母の手を握らせる。

 一体、こんなことに何の意味があるのか。振り払うと面倒なことになるので黙って従っておいた。母の手は異様に細く、まだほんのり温かい。

 ケネスに果物のお礼を言わないと。ジュースにして飲めていたから。


「母さんは祖母を許したんですか?」


 どこにでも嫁姑問題は転がっているのだろうが、母は祖母を許したのだろうか。許していたらレジェスを3番目にしたはずがない。


「祖母を許していたなら俺も今、母さんを許しますけど」


 答えは返ってこないが、場の空気は瞬く間に悪くなった。欠伸をかみ殺すのに苦労した。やれやれとばかりに母の手を元の位置に戻し、後ろで泣いている父に問いかける。


「そういえば、俺の誕生日がいつかおぼえていらっしゃいますか」

「当たり前だ。だが、今そんなことを聞かなくていいだろう」


 そう言って父が告げた俺の誕生日は、確かに公式的にはその日だった。後ろで家令が慌てた様子だから、彼はあの時のことを覚えているのだろう。


 公爵家で適当に葬儀まで過ごし、葬儀が終わったら荷造りしてすぐに城へと戻る。


「坊ちゃま」


 父はどうせ城で会うから兄と弟にだけ簡単な挨拶をして出て行こうとすると、家令が何かを携えてやってきた。


「奥様がこちらを。坊ちゃまの誕生日にと用意していたものです」

「アピールしたいならハーレムに送った方がいいと思う」

「これは奥様がお選びになったものです。ハーレムに送るものは別にあります。坊ちゃまの本当のお誕生日である明日にプレゼントしようとされていたのです」

「母は一応産んだから覚えているのか。多分、使わないから父さんにでもあげたらいいんじゃないか」


 なぜだか家令が傷ついた顔をする。


「ずっと家にいなかった俺の好みを母さんが知ってるわけない。母さんが選んだものなら父さんも喜ぶだろ」

「では……その、もう少しここに滞在されても……旦那様も気落ちされていらっしゃいます」

「俺がいたところで母さんの思い出を語り合えるわけでもない。俺の記憶に母さんはほとんどいない。それに、俺はもうプラトン公爵家の次男じゃなくて、陛下の男だから」


 この家ではずっと底辺の3番目だった。だからこそ思うのだろう。陛下の1番になりたいと。本当に愛されたという実感があるのなら、1番になりたいなんて思うはずがない。


「爵位や後ろ盾でいけばレジェス様の王配の座はほとんど確実です」

「王配なんてどうでもいい」


 自分の口から出た言葉に驚いたが、同時に笑う。家令ももちろん驚いている。


 そう、王配なんて本当にどうでもいい。ただ、あの傷ついて今にも死にたそうな陛下の1番になりたい。



 一週間程度離れていただけなのに、ハーレムが見えてきてレジェスは懐かしい感覚に襲われた。ハーレムにどっぷりいる時は分からなかったが、レジェスは案外ここを気に入っていたらしい。


「坊ちゃま! もうやめましょう」

「嫌だ」

「坊ちゃま、継続が大切ですぞ」


 ハーレムの中庭で揉めるような声が聞こえる。興味本位で近付くと珍しいことにラモンとその侍従がいた。侍従はラモンの腕にしがみついて頑張って引き留めようとしているように見える。


「こんばんは」


 今は夜の9時くらいだろうか。こんな遅くにこの主従は一体何をしているのか。


「もしかして君達って禁断の関係?」

「違う」


 ラモンはこちらにやっと視線を向けて、立っているのがレジェスだと分かるとハッとしてお悔やみの言葉を口にした。あまり部屋から出てこず、交流もほとんどしない人物ではあるが常識までないわけではないらしい。


「そうなんだ、てっきり男同士かと」

「違う。ただ、体力がないから走ろうと」


 ラモンはうっかり口にしてしまったとでもいうように黙り込んだ。レジェスはあぁと納得する。


「もしかして、先代国王陛下の葬儀中にバテていたこと気にして?」


 公爵邸に滞在していたせいで弟に接するように話してしまった。ラモンとは誓約式やパーティーそして側室全員で集まる時など今まで数度しか顔を合わせていないことに気付いてよろしくない態度だったと思い直す。


 ラモンは返事をしないが侍従の困っている様子からきっとそうなのだろう。運動を続けようとするラモンとそれを止める侍従の図だったわけだ。


「ちょっと星を見たいから付き合ってくれませんか?」


 丁寧に口にしてからこれは陛下に言うべきセリフだなと思う。困惑するラモンの横を通り抜けて地面にごろりと横になった。


「なっ。服が汚れる」

「いいではないですか、そんな細かいこと。ほら、月がこんなに綺麗ですよ」


 またもやそんなことを口にしてから、本当に陛下に言うべきだなとしみじみする。ラモンはしばらく困惑していたが、根負けしたように地面に腰を下ろした。寝転がりはしない。


「レジェス様は母親を亡くして落ち込んでいるんですか」

「いいえ、全然」

「実感が湧かないのですか」

「まぁ、あれが母親だったという実感が湧かないですね」


 ラモンはぎょっとした表情でレジェスを見下ろしてくる。この引きこもりの男はそんなことを考えないくらいには愛されて育ったようだ。


「私のことを見つめていないで。ほら、見てください」

「別に見つめてなどいません」


 ブツブツ言いながらもラモンは大人しく空を見上げた。


「ラモン様は陛下がお好きなのですか」

「はっ!?」


 ラモンは勢いよくレジェスに首を向けようとして痛めたらしく、苦悶の声をあげて首をおさえている。


「体力がないから走ろうなどとするタイプには見えなかったので。葬儀であの長距離歩かされるのは普通の貴族の令息ならきついでしょう」

「レジェス様は全く疲れていなかったではありませんか」

「放浪していた私を貴族の令息のくくりにいれてはいけません。私は歩くのは苦ではありませんが、喪服のような堅苦しい服を着なければいけないのが苦でした」

「しかし、他の二人だって」

「ナイル様は元近衛騎士、ケネス様も見た目より体力があるだけでしょう」

「だが……」

「やはり、陛下がお好きなのですね。だってあなたはこの時間に本を読んでいるような方でしょう」


 普段から引きこもりで葬儀に参加してバテてしまったといっても、この男はそんなことは気にせずさっさと忘れて自分の好きなことだけしているタイプのはずだ。なのに、なぜこうして夜に走り込みなどしようとしているのか。

 ハーレムに入って他の側室と自分を比較したから。では、なぜ気にするのか。それは、絶対に陛下だ。


「別に。自分が情けなくなっただけです」

「比較などしてはいけませんよ。比較は不幸の始まりです。三人兄弟の私が言うのですから間違いありません」

「分かっています」


 レジェスはラモンをちらりと横目で見る。知的で線の細い男は首をおさえて足の間に顔をうずめていた。


「いきなり走り込むよりも軽いウォーキングから始めませんか。付き合いますよ、これから見舞いもなくて暇ですし」

「邪魔しないならいいですけど」


 素直なのか素直ではないのか。ラモンは顔を恥ずかしさで赤く染めていた。

 レジェスはつくづく思う。なぜ陛下とこういうことを自分はしないのだろうか。今度は散歩にでも誘ってみようか。


 そんなことを考えながら自然と口角が上がる。やはり、公爵邸にいるよりもハーレムにいる時の方が楽しい。

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