第9話
慌ただしく指示を出してようやく父の葬儀を終えて、アイラはまた仕事に戻る。
結局、父の遺体を見ても何の感慨も湧かなかった。
兄も父も、早いか遅いかは別にして死んで面倒事から逃げた。アイラに後を丸投げして。アイラはふとした瞬間にいつも思う。女は損だ。男は女に丸投げして死んで、女は必死に尻拭いをしなくてはいけない。なんて損な役回りだろうか。
「父のいた離宮から荷物はすべて私の元に持って来るように。そして子爵家に伝えろ。あの女の自害を許さないようにしておけと。壁に頭を打ち付けて死ぬのなら仕方がないが、食事のカトラリーで自害などはさせないように」
ナタリアはその指示を聞いて輝かんばかりに笑っている。
「冷酷だとか残酷な女王だと止めないのか」
「不相応にも王位を狙った王子の母親は処刑されてもおかしくありませんでしたのに、陛下は今の今まで生かしておいてさらに生かそうとするなど優しさの極みです」
「父への八つ当たりだ」
「夫婦は運命共同体ですからいいではありませんか。でも、あの方にはもっと長生きしていただきませんと」
「私よりもナタリアの方が女王に向いているかもしれんな」
ナタリアは書類の不備を指で示しながら眉だけ綺麗に上げた。
「側室も大変です。先代国王陛下の在位中は寵愛されても、身の振り方一つ間違えば代替わりしてすぐに罪人ですから」
書類をまとめてナタリアが颯爽と執務室を出て行く。
ヒューバートと婚約させてくれたことだけは感謝している。ただ、アイラが王太女になった時に一度だけ「王配がヒューバートでは頼りないのではないか」と父は言った。
頼りないとは何だろうか。ヒューバートのことを信頼していたし、彼ほど頼れる人はナタリア以外にはいなかった。
現在の側室たちはどうだろうか。ラモンは知識、ケネスにはヒューバートの捜査資料を見せている、ナイルには白いバラの調査を任せ、レジェスには帝国とのつながりがある。今のところ、各々挙げた部分でしか頼っていない。
そんなことを考えながら書類をさばいていると、やつれたプラトン公爵が訪ねて来た。夫人のことでさぞ心労をためているのだろう。
「公爵。レジェスからおおよそ聞いている。夫人はどうだ」
「先代国王陛下に先を越されてしまいましたがもうすぐでしょう」
やつれてはいても公爵は公爵だった。アイラが父を亡くして一切悲しんでいないことをよく分かっている。仕方がない、プラトン公爵は長年重鎮として仕えてきたのだ。先代国王によるあれこれも良く知っているだろう。
「陛下。私はそろそろ王配を決める時期だと思っております」
「なんだ。王配のことを言いに来たのか。夫人に寄り添いたいから仕事を休ませてくれと言いに来たのかと」
「それもございます」
「どうした。夫人にレジェスが王配に決まったとでも報告してしまって慌てているのか」
「それなら嬉しいですが、愚息のことですし難しいかと」
「一体どちらなのだ」
「愚息は帝国との強いつながりを持っています。それは大きな利点ですし、陛下と並んで著しく見劣りするような容姿でもございません。体格も良く民衆受けもして会話もできる男でしょう」
「レジェスを褒めたいのか、貶したいのか。仕事を休むことは許可するから心配しなくてもいい。きちんと夫人に寄り添ってやれ。レジェスも公爵家に泊まりこむように説得しておく」
ナタリアが予想していた通りになった。父が亡くなるとまた王配を決めろとせっつかれるはずだと。
公爵はてっきり言うことを聞かない息子のことを頼みに来て、言いづらいから王配の話から始めたのかと思っていた。
「もしや、公爵。私のことを気遣って率先して王配の件を言いに来てくれたのか。父まで亡くした私に他の貴族があれこれ言わないように」
昼間にこうして公爵が訪ねてくれば瞬く間に他にもそれは知られることになる。スペンサー伯爵家への牽制なのか、それとも他に目的があるのか。
王配はどの道必要なのだ。父が亡くなって王族が減ればここぞとばかりに「王配を決めてくれ」と皆が口にするだろう。だが、公爵が率先して口にすれば他の貴族はわざわざ口に出してこない。
「レジェスが気にしておりました」
「王配の件を?」
「いいえ。あの愚息は、陛下は仕事が多すぎて働きすぎだと」
「そうか。夫人が病気でも私のことを考えるとは真の忠臣だな」
レジェスは軽々しくヘラヘラしているが、無駄に気を遣うところがある。膝に乗せたレジェスの頭の重さと散らばる赤毛を思い出す。大方、レジェスの独り言を公爵が汲んだのか、アピールに使っているのか。だってあの男は親を許さないと言っていたではないか。
「忠臣である公爵は私が間違った男を王配に選びそうになったらどうする」
「もちろん反対します」
「それでも私が我を通したらどうする」
「意見はしますが、陛下がそれでもその方だとおっしゃるならば従います」
「意外だな。そなたは私とヒューバートとの婚約にも反対していたと記憶している」
髪色で受ける印象のせいか、レジェスとあまり似ていない公爵は鋭い目でアイラを見据えた。
「陛下は私がヒューバート・ランブリー様を殺害したと思っていらっしゃるのですか」
「いいや、聞いてみただけだ。公爵が王配の件を出してきたのと同じで」
夫人の病気で気落ちして口を滑らせでもするかと思ったが、さすがはプラトン公爵だ。やつれているのは顔だけで頭の回転は速い。
「私にも公爵としての矜持がございます。男であろうと女であろうと、酒浸りであろうと王妃をないがしろにして側室に狂っていようと好色であろうと主君は主君です」
誰を示しているのか分かりやすい表現だ。アイラはうっすら目を細める。
「おっしゃる通り、私は陛下とヒューバート・ランブリー様との婚約に反対しておりました。すべて王家のためを思うが故のこと。ランブリー様はいささか頼りない方だと考えておりました」
「公爵から見れば誰でもそうであろうな」
「それでも、陛下の選んだ方です。いくら私の意に沿わぬ輩でも、陛下が選んだ方なのです。意見はしても、主君と主君が選んだ方を害していいなどと思うはずがございません。これが私なりの矜持でございます」
アイラはまた目を細めた。公爵があまりに気高くて眩しかった。
古だぬきのような男だから警戒せねばいけない。しかし、夫人が死にかけたこの状況で言っていることは限りなく真実に近い思いに聞こえる。
「それを聞いて安心した。夫人に付き添ってしっかり休みを取るといい。公爵のことだ。どうせ必要な引継ぎなどはもうしているのだろう」
「はい」
公爵が来ていると分かっているはずなのに、ノックの音がした。
緊急だろうと入室させると、入って来た騎士がいい知らせを告げる。
「陛下、山賊を数名捕らえたそうです」
「尋問して吐かせてくれ。アジトや次に襲撃する場所、黒幕。細かい情報でも何でも」
「スペンサーの倅の言った通りの場所に出没しましたか」
騎士が出て行くと公爵は独り言のようにつぶやいた。
「公爵が戻ってくる頃には解決しておく。夫人にはよろしく伝えてくれ。レジェスにも泊まり込むよう言っておくから」
「ありがとうございます。うちの愚息は陛下のお役に立っておりますか?」
「おそらく、私の気持ちを今一番理解できるのはレジェスだろう」
「それは、ようございました」
公爵は一瞬言葉に詰まったものの、すぐに持ち直して退室した。
公爵を見ていると、自分が汚い者のように思えた。
確かなのは血筋だけ。そのほかは父の尻拭いだと嘆きつつ仕事をして、心には元婚約者を住まわせたままだ。
王配を置くとすれば妥当なのはレジェスかラモンあたりだ。だが、葬儀くらいで体力のなさを露呈してしまっているラモンではいささか不安。レジェスなら夫人が亡くなってもまだ後ろに公爵がいる。ヒューバートを本当に殺していないなら公爵ほどの忠臣はいない。
後ろ盾の強さが他の二人にも劣るがケネスでもいい。ナイルは話題性はあるが、腹の探り合いなどはできないだろう。
「そろそろ王配も決めなければならない。ヒューバートの誕生日あたりまでには決着をつけて」
白いバラが届くのが終わるときまでに決着がつくだろうか。いや、つけなければならない。
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