第8話

 ケネスとナイルは何とはなしに並んで歩いていた。

 先代国王の葬儀が終わった後ということもあり、二人とも喪服だ。


 ラモンは普段引きこもっているせいか疲れきった顔で侍従に支えられて先に戻っていき、レジェスは父親であるプラトン公爵に引きずられるように公爵邸へ向かったと推察される。


「先代国王の葬儀を見物というよりも皆、陛下を見たがっていたように思えます」


 ナイルはケネスにそう話しかけた。ケネスは前を向いて歩いていたが、ナイルの方を向いて人好きのする笑みを浮かべる。

 ナイルはこの男をあまり好きになれないと最初から直感的に感じていた。先入観で物も人も見るのはよくない。しかし、大体このような直感は当たるのだ。


「陛下と我々側室が一堂に会しているのは珍しいので皆、見たかったのではないでしょうか。雑誌でしか見たことがないでしょうから実物を見たいでしょう」

「あぁ、だから葬儀なのにやや熱気があったのですね」

「はい。ナイル様は近衛騎士でしたからあまり先代陛下のことを悪く言わないかもしれませんが、ベアテル元王太子殿下のことがありましたからね」

「やはりあの件が原因ですか」

「というよりも帝国に睨まれた方が大きいですね。関税が一度上がりかけて混乱しかけて大変でした。民衆の生活に直結します」


 ナイルは考えたこともない内容だったので、恥ずかしくなって一度俯いた。あまりの自分の浅学さに。


「そういえば、陛下と葬儀の前にお話されていましたね」


 ナイルは葬儀の前にアイラから白いバラに付いていたメッセージカードを受け取っていた。というかポケットにぱっと入れられた。「遅くなった」という言葉とともに。


「私がこうした式典などに不慣れなので気遣ってくださったのです」

「元近衛騎士だったのに、ですか」


 険のある言葉だ。

 ナイルに嫉妬しているのだろうか。陛下から一度も恩恵をもらえていないナイルに。

 そのように陰鬱なことを考えて、そこまでは調べようがないだろうと心の内を黙らせる。だが、一瞬だけ頭にある考えがよぎった。陛下は元婚約者の弟と夜を過ごして何かあったのだろうか、と。


「制服を着て同僚たちと共に決められた場所で決められたことをするのとは違いますから。近衛騎士の顔など誰も見ていません」

「あぁ、先代国王陛下の遺体を乗せた馬車の後ろを長らく歩くのは確かに緊張しましたね。視線もこれまでにないほど浴びました」


 ケネスの部屋の方がハーレムの入り口に近いので、彼の部屋の前で別れる。

 葬儀で緊張したのでハンカチを取り出そうとしてポケットから何かが落ちた。


「あ」


 空中で掴もうとしたが、怪我した方の腕でうまく動かなかった。ナイルの手をすり抜けてひらひらと風にあおられて落ちたカードを拾ったのはケネスだった。


 部屋に入っていなかったのか。

 生まれながらの伯爵令息はカーペットに落ちたものを拾う仕草でさえも優雅だった。


「これをどこで?」

「言えません」


 なぜか笑みを消したケネスに質問されたが答えない。


「ナイル様が最近調べている白いバラの贈り主に関係あるのですか?」

「機密ですし、ケネス様にはケネス様のお仕事があるでしょう」


 政治もハーレムも情報戦だ。

 ナイルは元同僚に頼らなければいけないほど情報に疎かったが、目の前の男は外出が増えたナイルが何をしているか正確に把握しているらしい。


「ついてきてください」


 有無を言わせない勢いで腕を引かれ、ケネスの部屋に入る。そもそもカードを返してもらえていないので従った。


 ケネスは鍵をかけていた引き出しから手紙を取り出して、机に広げてカードも見せてくる。ナイルも仕方なくのぞきこんで、やがて目を見張った。


「私にはこれが兄ヒューバートの字に見えます。私にも無関係だと?」

「……カードを返してください」

「葬儀の前に陛下にこれを渡されたのですか」

「返していただけますか」


 ナイルはうんざりした。

 手がかりを教えてくれたのはありがたいが、死者からのカードだなんてナイルは考えていない。ヒューバート・ランブリーの字をこれほど真似ることができる人は限られている。有力なのは今目の前にいるケネスとか。


「私が陛下から頼まれたのです。陛下のお考えを尊重してください」


 しばしケネスとにらみ合う。ナイルとしては陛下を眺めている方が幸せだ。なぜこんな灰色の目をした腹の底が見えない男とにらみ合わなければいけないのか。


「陛下が今になってそれを私に渡してきたお心を尊重してください」


 くしゃくしゃになったカード。それはアイラの心を表している気がした。アイラだって一目でヒューバートの字に似ているのは分かっただろう。心の折り合いがついたのか、ナイルを信用することにしたのか。


 ケネスは視線を床に落とし、息を吐いてからカードを返してきた。


「兄の字を久しぶりに見て、動揺してしまった。君の邪魔をしてしまってすまない」

「いいえ。月並みなセリフで申し訳ありませんが、お気持ちは分かります」


 ナイルの心には重石がのったようだった。


 ラモンとレジェスは知らないだろうが、目の前のケネスとナイルだけはどれほどアイラが元婚約者と仲睦まじく過ごしていたか知っている。


「遅ればせながら、即位式のパーティー準備の時のことをケネス様に謝罪します」


 ケネスは忘れているらしく怪訝そうな目でナイルを見てくる。


「ケネス様が陛下をお慕いしていないという旨の発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 あぁという表情をケネスはした。


「君も馬鹿馬鹿しいと思うだろうか」

「ケネス様の心はケネス様だけのものです」


 気付きたくなかった。気付かなければ良かったのに。

 目の前の男が己の利益や保身のためだけの人間であったならばもっと嫌いになれたのに。

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