第6話
ラモンの部屋から出て、食事を摂ろうと自分の部屋に帰る途中。
ハーレムから出るところでレジェスと侍従にばったり会った。雨が降り出したらしく、傘を持っていなかった二人は濡れていた。
「どうした、レジェス。この世の不幸を背負っているような顔だ」
「陛下。お見舞いお疲れ様です」
レジェスは力なく笑う。プラトン公爵夫人はそんなに悪いのだろうか。レジェスの体は大きいのに、今日ばかりはなぜか雨に打たれた哀れな子犬のように見える。
「疲れていないなら一緒に食事をするか」
侍従の方が先に目を輝かせている。とりあえず、この様子を見るに公爵夫人は生存しているようだ。
「この世の不幸を背負っていそうな私と一緒に食べて胃もたれしませんか?」
「しそうだが、一緒でなければそなたが何も食べなさそうだ」
ただでさえ露出の多い服装なのに、やせてしまったら哀れで目が当てられない。
レジェスの腕を無理矢理取ると、アイラは一緒にレジェスの部屋に向かった。侍従は嬉しそうに後をついてくる。
「お見舞いはどうでしたか」
ラモンは何も聞いてこなかったが、レジェスはタオルで頭を拭きながらすぐに聞いてきた。
「親を許したくないし、早くくたばれと思った」
あまりに明け透けなアイラの物言いにレジェスは笑う。
「陛下は私や他の側室や国民には親切なのに、お父様には辛らつです」
「仕方がない。父が生きているだけでやきもきする。いっそ亡くなったら美化して感謝できるかもしれない」
「私もそう思います」
体が冷えてはいけないのでレジェスを無理矢理風呂に押し込んで、その間に夕食の用意をさせる。ラモンと仕事の話をして踊り、落ち込みきったレジェスを見てアイラの父に対する怒りはやや凪いでいた。
「今日の陛下は世話焼きの母親のようです」
「そうか、では私が死んだらそなたが王位を継ぐといい」
「冗談です」
アイラはパンを一口ちぎってレジェスの口に突っ込んだ。風呂上がりのレジェスはそのままアイラの隣に座る。
「公爵夫人はどうだ?」
「もって一カ月かと」
「それほど悪いのか」
「はい」
「明日から公爵邸に泊まり込んでもいい」
「私はそれが嫌なのです。陛下も先代陛下のところに泊まり込むのはお嫌でしょう?」
「そうだった」
アイラは待っている間にお腹が空いたので食事を続けていたが、レジェスが口を開けているのが横目で見えたのでまたパンを突っ込んだ。
「私は陛下の可愛いひな鳥なので餌を与えてください。できれば次はパン以外で」
パンをまた突っ込もうとしたのがバレてしまった。
「それで、何を落ち込んでいる」
「陛下に会えたのでもう落ち込んでいません」
「世辞はいい」
レジェスはしばらく口の中のものを咀嚼していた。飲み込んでから口を開く。
「陛下は親を許したくないとおっしゃいました。私は許した方がいいと分かっていても許せないのです」
「上辺で許しても苦しいだけだ」
「今日、母に謝られたのです。私は祖母に似ていてどうしても愛せなかったと、申し訳なかったと」
アイラはレジェスの言葉の合間合間で食べ物を口元まで持って行ってやる。それに少しばかり楽しみを覚えているところだった。
「レジェスは何と返答したのだ?」
「何も。何も言えませんでした。許すの『ゆ』の字さえも」
「それの何がいけない。私の夕焼けが今日は土砂降りの雨のようだ」
アイラは父を許せないと感じた。それの何がいけないのか。
会議や外交でアイラは平気で噓をつくが、父との会話で嘘をつく必要はなかった。
「おかしくありませんか」
咀嚼してまた口を開けるレジェスに思わず口角を上げながら、アイラは続きを促しつつ食べ物を突っ込んだ。
「私が十数年悩んで折り合いをつけてきたのに、死ぬ間際の一言の謝罪で許されるのはおかしくありませんか。それで私が二番目だ三番目だと悩んだ期間と記憶が消えるのですか。そして何よりおかしいのは、許すと言わない私を責める父です」
それはキツイとアイラでも思った。家族や他人からの許しの強要が最も辛い。
ケネスとナイルに「嘘でも許して感謝すべきでは?」などと言われたら、アイラでも腹が立つ。
アイラは思わずレジェスを抱きしめたくなった。側室なのだから何の問題もない。
いつもヘラヘラしているレジェスの感情が今日は読みやすい。アイラと会話しているとすぐにおちゃらけるが。
「許したくなければ許す必要はない。心に無理矢理フタをしてしまえば、またどこかで吹き出るだけだ。それか母だけは許して父を思い切り憎め」
「父を?」
「そうだ。プラトン公爵ならまだ健康だろう? そなたの妻が誰か忘れたのか。女王陛下だ。私はこの国で一番偉い」
「はい、その通りです」
レジェスの目に少しだけ夕焼けらしさが戻る。
「会議で公爵を苛め抜いてやってもいいぞ」
レジェスは笑って、手を広げてアイラの腰に抱き着いて来た。思わず震えたが、すぐにアイラは威厳を取り戻す。
「陛下は素晴らしい人です」
「もっと褒めるといい」
「陛下は美しい人です」
「それはよく言われる」
レジェスはごろりとアイラの膝に頭を乗せる。見事な赤髪がアイラの膝の上に散らばった。
「陛下は優しい人です」
「それは久しぶりに言われたな。王女時代は良く言われた。それしか褒める所がなかったのかもしれない」
「そんなことは絶対にありません。陛下は一途で国のためによく働く方です。そして一番この国で偉い方です」
「親が許せなくてもか?」
「私も許していませんから」
見事な赤髪を膝の上でいじる。オレンジの目が細くなった。
「私は陛下の一番になりたいです」
思わず、赤髪をいじる手が止まった。レジェスを見下ろすと、彼はいつものように微笑んでいる。
「ヒューバート様に勝とうなんて思いません。私はヒューバート様を想う陛下も好きなのですから。嫉妬はしますが。生きている者の中で、いつか一番になりたいです」
アイラは返事をしなかった。ヒューバートを殺したかもしれない公爵の息子に返事などできなかった。レジェスもそれ以上を求めなかった。
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