第4話

「子爵家の使用人は質が悪いですね。いろいろな方向に簡単に買収されるのですから」


 アイラはあまりに滑稽なので笑った。

 息子を二人亡くし病で倒れた父親が、コソコソと側室だった女と手紙のやりとりをしているなど。まるで今でも愛し合っているようではないか。巷で好まれる真実の愛というものか。愛に真実も何もないだろう。愛は愛だ。他のものを愛と勘違いすると報われない。


「見舞いに時折来ている母には手紙を出すこともなく、あの幽閉された女に手紙を送るなど。あなたは母をどこまでも舐め腐っていらっしゃるようですね。あの女の実家の子爵家はすぐに潰せますよ」

「ベアテルが死んでお前は王太女になった。即位してルキウスも死に、奇病が流行り山賊の被害もあり、子爵家も潰すなんてしない方がいいだろう。今はその外見でもてはやされても呪われた女王と言われる」

「奇病と山賊以外は私の責任ではありません。奇病は解決しましたし、山賊は対策中。二人の兄のことはむしろ親の責任では?」


 アイラは三歩、父のいるベッドに近付いた。

 近付くと父の口元や目尻の皺がより目立つ。父は老いた。だが、そんなことで過去の憎しみが消えることはない。


「ベアテルお兄様はお酒に依存してやらかし、シャーロットお義姉様を残してこの世ではないところへ逃げました。父上がお兄様の症状を隠していなければなんとかなったかもしれません。ルキウスお兄様は愚かにも王位を望みました。父上があの側室を周囲に分かるほど寵愛していたからお兄様は不相応な高望みをしたのです」

「お前の責任でなくとも、王国民はお前の治世になってから不幸な出来事が起きていると言うだろう。王国民などそんなものだ」


 記憶の中よりも小さくなって皺の増えた父が、アイラと同じ紫の目でこちらを眺めてくるからアイラはおかしな気分になった。目だけ、目だけ見れば鏡を見ているようなのに。それでもベッドの住人の父とアイラの間には見えない深い溝がある。


「あの女がもう少し若ければ娼館に売るように指示したのですが。あれほど年がいっては先代国王に寵愛された元側室でも値が付きません」

「即位してからルキウスと一緒に処刑しなかったのだな」

「私の治世が血で始まるのもどうかと思いましたし、お兄様はご自分で虹の向こうに行かれましたけれども。あの女は息子が死んだにも関わらず図太いですね。父上とも手紙のやり取りまで。呆れるほどの図太さです。母を裏切り、息子が亡くなってもこうだとは。女王としてその心の強さは見習わないといけませんね」

「お前はそのようなことをそのような顔で言う子ではなかったはずだ」

「えぇ。兄が死に、ヒューバートも死にましたから。私には失うものはありません。父上の頭の中の私が何歳で止まっているのか知りませんが」

「四人も側室を入れただろう。彼らのことは大切に想っていないのか」

「父上は十人以上ですから負けましたね。父上よりは私は側室を大切にしています。でも、ヒューバートほどではありません」


 心のイスに誰か一人しか座れないのなら。アイラの心に座っているのはヒューバートだった。ずっと。

 父の後ろで侍従が緊張した面持ちで応酬を眺めている。


「私は女王になったのであの女を今すぐ殺すこともできます。私が言えば子爵は家のためにあの女をすぐ殺すでしょう。めでたくあの女はルキウスお兄様とあの世で会えるかもしれません」

「アイラ、何が望みなのか。お前がわざわざそんなことを口にして私を脅すために見舞いに来たわけではなかろう。お前はそんな子ではない」


 父は深く息を吐いた。失望や諦めとは違う、悲しさをにじませたような音がする。


「父上がヒューバートを殺したのですか?」


 アイラは侍従が視界の端でビクリと動くのを気にせずに、父の青白い顔を覗き込んだ。

 さすが先代国王だ。表情は寸分も変わらない。少しばかりアイラと父は見つめ合った。お互いを未知の生物のように眺め合ったという方が正しいかもしれない。

 これほど父に近付いたのは子供の頃以来だ。


「殺していない」

「そうですか。白いバラに心当たりも?」

「お前にずっと届いている白いバラのことか。心当たりなどない。ハーレムにも白いバラはないだろう」

「確かに」


 父はあの女とよくハーレムの庭を散歩していた。ハーレムの庭に白いバラはない。


「もう、このアイラは父のところには来ませんのでご安心ください」

「案ずるな、すぐにくたばる」

「どうせならあの女も連れて行ってください。では安心してお眠りください」


 父との別れにはあんまりな言葉だろう。頭では分かっている。心がついていかない。

 過去の恨みが父を見た瞬間から押し寄せて、アイラの口からはとげとげしい言葉しか出てこなかった。


 ラモンは自分の父親を野心家だの器が少し小さいだの言っていたが、あの言葉にはまだ愛情が含まれていた。そしてレジェス、お前は親を許さなくていい。アイラでさえ許すの最初の文字さえ口から出てこないのだから。


 アイラが廊下に出ると、ケネスが別れの挨拶をすると言ってナイルを残して部屋に入っていく。


「陛下、顔色が悪いです」

「大丈夫だ。病人と話すのは疲れるな」

「気休め程度ですが」


 ナイルはポケットから飴を差し出した。アイラは口角を上げて飴を受け取る。飴をもらったことが嬉しいのではない。ナイルの思いやりが嬉しかったのだ。




「あの子は気付いていないだろうな」

「はい。大丈夫です」

「知ればあの子はもっと傷つくだろう」

「いつかは知ってしまわれるかもしれません。しかし、あなた様の方が傷ついたお顔です」

「私は良い父親ではなかったからな。あの子にとっては一人の側室を寵愛して子育てに失敗した父親だろう」

「さらに陛下に尻ぬぐいを丸投げした父親でいらっしゃいます」

「まさかベアテルがあんなことになるとは思わなかった。私は酷い父親だ。だからそのままでいようと思っている」

「陛下もあなた様も頑固です」

「これでしか私は愛を表現できないのだ。あの子を守っているつもりで余計なお世話かもしれん」

「すべてを陛下が知ってしまった、その時は。私が陛下に怒られます」

「ケネス・ランブリー。君には損な役回りをさせる」

「私が望んでいることです。兄と陛下のために」

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