第3話
ケネスはアイラの隣を歩いているが、ナイルは数歩後ろを歩く。
「ナイル、そなたはもう騎士ではないのだから私の横を歩くように」
ナイルはちらりとケネスを見て、アイラにもう一度名を呼ばれると頬を染めてアイラの横にやや肩身が狭そうにしながらも並んだ。
「そなたはすでに私を一度守ってくれた。今は私の夫だろう」
いつまでたってもアイラに跪いたり、数歩後ろを歩いたりと騎士の頃の癖が抜けないナイルの腕を取ると耳まで赤く染め上げる。思わず空いている方の手で耳までつまみたくなった。
「陛下、ナイル様とだけ手をおつなぎになるのですか」
ケネスが面白そうにアイラにさらに身を寄せてくる。
三人で並んで先代国王の臥せる離宮を歩いていると、アイラは本当に自分が四人の側室を持つ好色な女王になったと感じた。一人きりでこの離宮を父に会うために歩いていたら心はこれほど軽くなかっただろうから。
この二人と歩いていれば翌日には寵愛の順位が変わったと側室の実家でうるさくなるだろう。ラモンはなぜついて行かなかったのかとスペンサー伯爵から激昂されるかもしれない。レジェスは今日も公爵夫人の見舞いだ。プラトン公爵の様子から察するに、相当具合が悪いのではないだろうか。
「ケネスも手をつなぎたいのか」
「もちろんです」
「では、つなぐといい」
どうせこれから父と会って不快な思いをするのだ。気を抜くと心はすでに不快になりかけている。子供じみていても普段と違うことをしてみるのもいい。
父の部屋の前にいた騎士は側室二人を侍らせたアイラを見てわずかに目を見開いた。アイラが視線で合図すると表情を戻して扉を開ける。
本当に久しぶりに見る先代国王、アイラの父はベッドに身を起こして本を読んでいた。アイラたちの入室に気付くとかけていたメガネを外して、ケネスに驚いた表情をする。
「……弟のケネス・ランブリーか」
「はい。左様でございます」
「まさか側室とは」
その言葉に続きがあったのかなかったのか、記憶の中よりも数段痩せた父はゴホゴホと咳き込んだ。
「しかも、そちらの顔も見たことがある」
「私の夫たちの名前も父上は知らないのですか。私は父上の側室たちの名前はすべて言えますよ。異母兄弟姉妹の名前もすべて」
アイラの皮肉を含んだ返答にナイルが困惑している気配がする。
こんなに皮肉たっぷりの言葉を父親にかけるとは自分でも思わなかった。病気でやつれた父を前にして、これまでのことを許してしまうかもしれないという危惧があった。そうレジェスに言ったこともある。
しかし、それは杞憂だったようだ。こんなに過去の憎しみが波のように押し寄せて頭が焼けそうなのだから。病で一人先に死ぬなんて、アイラに丸投げして自分はもう大して悩まず苦しまず死ぬなんて許さない。
咳き込み、侍従に水を渡されて喉を潤す父をそんな思いとともに見た。
父は兄が亡くなりめっきり老け込んだ。帝国や国内の貴族たちに兄の不祥事をチクチク刺されていたことも大きいだろう。アイラを王太女に任命し、教育がまだ二割ほど残っているのにある日病で倒れたためアイラの即位は前倒しになった。
「私を命懸けで守ってくれた近衛騎士のナイル・コールマンです」
「コールマン男爵家か」
「えぇ。ところで父上、お加減はいかがですか。先ほどから咳き込んでいらっしゃいますが」
「心配しなくとももうじき迎えが来るだろう」
「ルキウスお兄様がお迎えに来てくれるでしょうか。それともベアテルお兄様でしょうか」
「ヒューバートかもしれんな」
思いもよらない父の言葉にアイラは一瞬で笑みをかき消した。
「即位しても表情豊かな女王陛下だ。そのようなことでは足元をすくわれるぞ」
「父上も死にかけているとはとても思えないほどお元気です。私には不祥事を起こす子供も、役に立たない兄たちもいません」
「私の兄は優しいので、知っている方のお迎えにはすべて行くでしょう」
アイラと父の不毛と皮肉でしかない会話に口を挟んだのはケネスだった。アイラがケネスに視線をやると、この場の空気にそぐわないほど微笑んでいる。
「アイラ女王陛下の治世は我々側室がお支えして、そして陛下を看取ります。絶対に我々は陛下よりも長生きします。そして、兄も迎えに来てくれるでしょう。そうですね、ナイル様?」
「えぇ。ラモン様はか弱そうなので陛下より長生きしない可能性がありますが、レジェス様もケネス様も健康そうですから我々三人は確実です。それに騎士だった時から陛下をお支えしてお守りするのは呼吸と同じくらい当然のことです」
ナイルはラモンを侮辱したいのではなく、心からラモンは病弱そうだと思っているのだろう。あの細さと神経質そうな性格を見れば確かにそうだろうが。
「ではラモン様で看取りの練習をしましょう」
「彼は嫌がりそうですね」
思わずアイラはその様子を想像して笑いそうになった。
アイラがこの部屋に入ってから張りつめた空気が流れていたが、ケネスとナイルの会話でそれが弛緩する。
「側室はまた増やすのか」
「父上ではありませんから同盟国から押し付けられない限りそんなことはしません」
頭が焼けそうなほどの憎しみは一旦引いた。
ケネスとナイルに外で待っているように頼み、部屋から出て行ってもらう。
「まさか四人側室を置くとは」
「王は側室を置くことは認められています。それに私が産めば確実に王族です」
「それはルキウスに対する嫌味なのか」
「ルキウスは父上によく似ていました。王家の証である紫の目を持たなかっただけです」
「お前は国民から人気があった。外見の要素も大いにお前の人気に拍車をかける」
「外見だけのお飾りの女王になれば良かったと?」
「ルキウスは王に向かないのは分かっていた。子供の中でお前が一番、王に向いていた。だからすぐに王配を置くと思っていた。まさか、そこまでヒューバートを想っていたとは」
「こんなことは言いたくありませんが、父上がルキウスの母親を寵愛したのと同じですよ。父上の場合は何人も娶らないと分からなかったのでしょうが、私の場合はヒューバートだけです」
アイラの母である王妃はだからこそ嘆いたのだ。自分の夫の心が完全にあれに持っていかれていると分かっていたから。
「今でもコソコソ手紙のやり取りをしているではないですか。分かっています。見逃しているだけですから」
側に控えている初老の侍従に目をやると、侍従はほんの少し体を震わせた。
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