第7話
毎日届く白いバラに気が滅入り始めたアイラは行動を起こした。
秘書官に調べさせると、贈り主はアイラが訪れたことのある領地の貴族だったり、慰問に行った孤児院だったりするのだが本人たちに確認を取ると贈っていないと言う。
「ナイル。そなたに頼みがある」
ハーレムには人工池がある。その近くでナイルは木剣を振って稽古をしていた。
人通りが少なく緑が多く美しい場所ではあるが、忘れてはいけない。ここはハーレムである。歴代国王の側室たちがこの池のほとりで女の闘いを繰り広げてきたのは、容易に想像できるだろう。
アイラが幼少の頃も側室が池に突き落とされた話は何度かあった。幸い頭を打って死んだだの、溺れ死んだなどの話はない。
アイラはナイルが稽古を終えるまで待つつもりだったが、観察し始めて数分でナイルが気配に気付いて振り向いた。
「陛下」
「さすが私の元騎士だな」
「何なりとお申し付けください」
稽古をして暑がっているはずのナイルよりもレジェスの方が露出が多いのはどういうことだろうか。
アイラは拒絶したレジェスのことを一瞬思い出したが、すぐに頭の中から追い払った。
「即位のパーティーが終わってから毎日白いバラが届いて困っている」
「陛下が花をお好きではないからですか」
「それもあるが、そういうことに金を使うなら他に使って欲しいと思ってな。贈り主を調べて欲しい」
白いバラは毎回同じ花屋が配達してくる。
花屋の店主が言うには、特徴のない男がやって来て「陛下の即位を祝いたい。陛下に恩のある方々からの依頼を取りまとめたから毎日白いバラを届けて欲しい」と代金を前払いして行ったそうなのだ。
あまりに特徴のない男で店主は外見を説明ができないようだった。
「そんなことがあるのですか」
「あぁ、取りまとめたと言われ贈り主の名前もすべて書いてあるのに本人たちは贈っていないと言う」
「嘘をついている可能性はありませんか」
「なら贈ったと嘘をつく方がいいだろう。金も他人が払ってくれているのだから」
「陛下が喜んでいらっしゃらないなら、贈っていても嘘をつくかもしれません」
「とりあえず、調べてくれるか」
汗が顎まで伝ったのを見て、アイラはハンカチを差し出す。
「陛下のハンカチを汚すわけにはまいりません」
「良い。そなたは私の騎士ではなく夫なのだから」
ナイルは迷う素振りを見せながらアイラのハンカチを受け取って、汗を拭かずに胸の前でぎゅっと握りしめている。
「返さずともいいから汗を拭け」
「よろしいのですか」
アイラが頷くと、ナイルは目を輝かせて壊れ物でも扱うようにハンカチを頬に当てた。大の男が乙女のように振舞うのを見てアイラは笑いをなんとか堪える。
「調べるには外出が多くなるかと思います」
「分かっている。そなたの外出届は優先的に処理する」
「陛下」
おずおずとナイルが近づいてきて、アイラの手を取って跪く。
「この件を調べたら、私に恩恵をくださいますか」
なんだ。ナイルもラモンのように駆け引きをしてくるのか。いや、これは報酬を要求しているのか。アイラの表情と雰囲気が一瞬で冷えたのが分かったのだろう。ナイルは顔を上げて微笑んだ。
「私は陛下のお側にいたくて、陛下に少しでも会いたくて側室になりました。陛下が微笑んでくださるだけでいいと本気で思っていました。それでも、陛下が他の男と笑っていると嫉妬します。なぜ、私の願いは満たされたはずなのにこのように醜く嫉妬してしまうのでしょう」
ナイルは田舎の男爵令息だからこのようなことを言い出すとは予想していなかった。直球すぎる言葉はラモンのおかしな駆け引きよりもアイラの心の近くに響く。
少し自分に腹が立つ。この素直な男のようにヒューバートに振舞えていれば、こんなに後悔せずに済んだだろうか。
ナイルがアイラの手の甲にゆっくりキスを落とす。アイラは避けなかったし、手も引き抜かなかった。夕陽が人工池の水面に反射して視界の端で瞬く。
「王配など関係なく、陛下の本当の夫にして欲しいと願ってはいけませんか」
ヒューバートの件がなかったら絆されただろう。それほどナイルの目の熱は雄弁で、言葉は素直な刃だった。そもそも願うだけなら何の問題もない。
アイラは手を引き抜いてナイルの唇をなぞる。そして身をかがめて彼の額にキスをした。
「調べてくれるか」
「陛下は狡い方です。たったこれだけで私がどれほど喜ぶのか、ご存知なのですか」
ナイルは額に軽く手を当てて笑って立ち上がると、アイラの後ろに視線を向けた。
「どうした?」
「先ほどまでそこにレジェス様がいらっしゃいました。散策でしょうか」
「今は見えないようだ」
「もう気配がありません。あの方と喧嘩をされたのですか? 最近レジェス様に会っておられないでしょう。私の耳にもそのようにウワサが入ってきます」
「喧嘩をするほどお互いを知っていない」
アイラの無愛想な答えにまた笑って、ナイルはアイラの両手を軽く握りしめた。
「今日は夕食をともにしてくださいますか」
「今日のナイルはやけに積極的だ」
「パーティーでのラモン様に嫉妬をして陛下に愛を乞う男はお嫌いですか」
「嫌いではない。さぁ冷えてくるから部屋に戻ろう。私は寒い中放置されるのは嫌いだ」
白いバラが届き始めてから、執務室はあの花の香りでむせかえっていた。慣れてきたが、こういう場所に来ると分かる。土と緑の香りとほんのり漂うナイルの汗の香り。バラのせいで鼻がおかしくなっていたようだ。
ナイルに手を握られながら、彼の部屋に向かう。軽い視線を感じたがそちらには顔を向けなかった。
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