第2話
「はい。帝国の気候は温暖でとても過ごしやすいです」
「妃殿下は大変な寒がりですから。ブライトエントの寒い時期でも霜焼けができていましたね」
「ふふ、帝国ではそのようなことはございせんよ」
皇太子との時とは違って和やかに会話が進む。
皇太子はやや離れた隣でレジェスと手を取り合っていて、その異様な様子に会場中の貴族たちの視線を集めている。
「陛下、ヒューバート様のこと……心からお悔やみ申し上げます」
「妃殿下に気にかけていただけてヒューバートも喜ぶことでしょう」
胸が痛む。シャーロットを目の前にすると、兄が生きていた頃の記憶がそこかしこから蘇るから。そして記憶の中には必ずヒューバートもいる。シャーロットも思い出しているのか視線を伏せている。
背中に心配するような視線を感じた。ナタリア……ではない。ナイルか、事情を知っているのかも怪しいラモンあたりだろう。
「妃殿下。幸せになって下さい」
アイラはずっと言いたかった言葉をとうとう口にした。
兄の不始末なのだからアイラか他の王女が代わりに嫁ぐと主張したが、ルドウィン皇太子はシャーロットでなければならないと譲らなかった。だから、アイラは何もできなかった。シャーロットは兄の死を受け入れる間もなく、帝国へと向かわなければいけなかったのだから。
「肝心なところであなたを置いて逃げた兄のことなど忘れて、帝国で幸せになってください。これは私の勝手な願いです」
シャーロットと兄の婚約は政略的に結ばれたものだったが、愛はなくとも愛情はあった。そうでなければシャーロットはあれほど悩まなかっただろう。今でも憂いを含んだ悩ましい表情をしていないだろうに。なぜ兄はこの人に一言も相談せず、何も遺すことなく逃げるように死んだのだろうか。兄がもっとマシな最期を迎えていれば、シャーロットの未来に暗い影を落とすこともなかった。
感情面など一切抜いて考えたら、シャーロットが帝国に嫁いでくれたからこそブライトエント王国は必要以上に睨まれなかったのだ。アイラはシャーロットに感謝しており、シャーロットになら恨まれてもいいと考えているが、彼女はそんなことはしない人だ。
二人が並んでアイラのところに歩いてきたのを見た時から分かっていた。シャーロットの心だって皇太子に大きく傾いている。
「陛下。私は……」
「シャーロット妃殿下が兄のことでも私のことでもご自身を責める必要は全くありません。どうか、自分はもう幸せになっていいと許しを出してください」
後ろから感じる視線はやはり、ナタリアではない。ナタリアならアイラのこの行動を理解してくれるから、このような視線は送ってこない。
「陛下は、どうされるおつもりですか?」
「どういう意味でしょうか」
「私は……私は幼いころから知っている陛下の幸せを願っています。ベアテル様を亡くして王位に就くことになり、先代陛下は病床に伏し……ヒューバート様をも亡くした陛下は……私の分まで背負うつもりなのでしょうか?」
シャーロットの視線は自然とアイラの後ろの側室たちに向かった。
「私はそこまで背負えるほど大きな人間ではありません」
「陛下の幸せと帝国とブライトエントとの明るい未来を私も願っております。陛下が心から安寧と安心を感じることができる方が、この中にいらっしゃいますように」
皇太子とレジェスの会話が終わったのを見て、シャーロットはアイラとの会話をまとめて切り上げたようだ。アイラが頷くと、二人は後ろに下がる。
「レジェス」
楽団の音楽が始まったので、レジェスに声をかける。ナタリアが言ったように、側室とダンスを踊らなければいけない。
レジェスはいつもの笑みを浮かべてアイラを中央にエスコートした。
「それで? 私に何か言うことはないのか?」
「陛下、どうしてそんなにお怒りなのですか」
「怒ってなどいない」
「それにしては厳しいお顔です。私が大して寵愛されていないと貴族たちが勘違いします」
曲が始まっていたが、何とかレジェスの足を踏むのを堪えた。彼がヘラヘラと笑うのはいつものことなのに、覚悟はしていたもののシャーロットと皇太子に会ってしまったせいで心がささくれていて癪に障る。彼の笑みがまるでアイラをあざ笑っているように見えた。
アイラはわざと挑戦的に笑って見上げる。
レジェスはいつも無造作に垂らしている赤毛を一つにくくって、珍しく首の詰まった臙脂の礼服を着ていた。
「まさかルドウィン皇太子と旧知の仲だったとはな。即位祝賀パーティーで私を驚かせてさぞ楽しかったことだろう」
「本当に驚きました。だって私が出会った頃の彼はしがない第四皇子でしたから」
「私はそなたに失望した」
自分の口から皮肉が飛び出る。
レジェスはアイラを裏切っていない。だが、アイラの真新しい傷をうずかせるには十分だった。
兄は二人ともアイラを裏切った。自殺と襲撃という形で。
ヒューバートはアイラを置いていった。彼が悪いわけではないが。
アイラは自分でも分かっていなかった。側室の一人のたった一つの行動でこんなに神経を逆撫でされて傷がうずくなんて知らなかった。
「陛下。お気に障ったのならば後でいくらでも謝ります」
レジェスが頭上で何か言っているが、彼とのダンス中はそのすべてを無視した。
先ほど自分の口で言った通りになってしまった。「それほど大きな人間ではない」と。
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