第8話
「レジェス様」
「君に様付けで呼ばれると背中がむずかゆいね」
「使用人なのですから主人を呼ぶのに当たり前のことです」
「でもさ、君って俺が放浪してる間ずっと尾行してただろ」
「お気付きでしたか」
「途中からだけど」
「レジェス様を陰ながらお守りするためです」
明るい陽射しが注ぐ出窓の手前に座って、レジェスは実家から無理矢理つけられた侍従の一人に視線を向けた。放浪していたから料理でも何でも一通りできるのに、父は見栄があるのかレジェスがハーレム入りする際に侍従兼護衛を何人もつけた。
これといって特徴のないこの侍従は、レジェスが旅を始めてからずっと気付かれないように後をつけてきた者の一人だった。初日にこの侍従を見てうんざりした。自由になれたと思った放浪の旅でさえ、すべて父の手のひらの上なのだから。
「それよりもお聞きしたいことがあります。良かったのですか、あの侍従を公爵家に戻してしまって」
「こんなに人数はいらないだろ。落ち着かない」
「他の側室たちを害するのに置いておけばちょうど良かったでしょうに。バレたらあの者の独断だったと適当に処罰すれば良いのです」
「まさに他の人を害そうとしたから戻したんだけど。水くらいで済んでよかった」
「結局、気付いたレジェス様がわざと水を被る羽目になりましたね。私ならもっと下が良く見える場所でやります。そうしたらレジェス様と他の側室を間違うことなどなく嫌がらせができたでしょう」
「他の側室だったら大変だった。そもそも、陛下は手がかからない男が好きだと公言しているんだから嫌がらせをする侍従を手元に置いておくと危険だ」
「陛下のためなのですか?」
「まさか。保身のためだよ」
「しかし、ハーレムとは陛下の寵愛を競う場所です。レジェス様のところにせっかく陛下が二日連続で通ってくださったのですから、もっと頑張ってアピールをしませんと」
「他人の足を引っ張って自分が優れているとアピールをするなんて、それこそ陛下が最も嫌いそうだ」
「それはそうですが。しかし、このまま何もしなければ王配にもなれません。王配に他の者がなったらここから追い出される可能性もあるのですよ。陛下が離婚しなくとも、ずっといじめられるかもしれません」
「そうしたらまた放浪しようか。家の金で」
「レジェス様」
「まぁ、これは冗談だけれど。そもそも陛下は亡くなった婚約者のことを今でも愛しておいでなのだから、誰も寵愛していないんじゃないか」
「真相は分かりませんが、今まさに付け込むべきなのです。傷心していると恋に落ちやすいのですから」
他の侍従が入って来たので、レジェスと彼の会話は中断した。何やら青い顔で耳打ちすると入って来たのにすぐに出て行く。
「情報によると、陛下の即位式の準備担当がケネス様とナイル様のお二人に決まったようです」
「いいんじゃないか? ケネス様は伯爵家の跡取りだったし、陛下とも幼いころから親交がある。何度もパーティーに出席しているだろうし陛下のお好みも熟知しているだろう。ナイル様は騎士だったのだし、パーティーで護衛もしていただろうから彼も内情を良く知っているだろう」
「レジェス様、これはもっと焦るべき事態です。二日通われてレジェス様が最も寵愛されていると持ちきりだったのに、大切な即位式の準備を任されるのが他の身分の低い側室などでは」
「だって、俺はパーティーに子供の頃しか出てないんだから。パーティーをよく知らないのだから仕方ない。堅苦しいし」
レジェスは出窓の側から離れて扉に向かう。
「どちらへ?」
「散歩。ここは広いから探検しがいがある」
「二時間後にケネス様とチェスのお約束があります」
「あぁ、どうなるのかな。彼らは即位式の準備で忙しくなるんじゃないか?」
「それまでには戻るようにしませんと。とにかく、私も行きます」
「君がついてくると、放浪していた頃を思い出すよ」
「くれぐれも放浪はハーレム内だけにしてください。その半裸に近い恰好でハーレム外で女性使用人とでも話していれば陛下に誤解されても仕方がありません。そのように他の側室から嵌められるかもしれません」
「今の関係では、陛下は嫉妬を絶対になさらないだろうからそんなことはしないよ。嫉妬するほど恋愛関係じゃない」
「レジェス様はお顔は奥様譲りで整っていらっしゃいますし、目立つ赤毛もあります。実家に金があるだけの陰鬱な引きこもりや怪我をした身分の低い元騎士、元婚約者に似ているだけの弟よりも絶対に容貌では目立つのですからもっと頑張ってください。仲良しごっこをするのではなく蹴落としませんと」
この侍従はレジェスがラモンを除く他の側室と仲良くすることをあてこすってくる。
「特にあのケネス・ランブリーには気をつけませんと。ニコニコと笑って人当たりはいいですが、あの方は絶対に性格が悪いです。レジェス様の容貌は目立つのですから注意しませんと」
「陛下の方が絶対に目立つ。あの珍しい髪色はどの国でも見たことがない。それに陛下の目の色も珍しいほどに澄んだ紫だ」
「……確かに陛下は大変美しい方でした。誓約式の後で来られた時に精巧な人形が歩いているのかと思いましたから」
「あの容貌を毎日鏡で見ていらっしゃるなら俺くらいの赤毛では何の目新しさもないだろう」
「なぜそういうところだけネガティブなのですか。放浪中はおかしいくらいポジティブでいらっしゃったのに」
「俺はまだ陛下のことを何も知らない」
「二度も夜を過ごして何を仰っているのですか」
「陛下は近付けば近付くほどよく分からない方なんだ」
レジェスはアイラの寝顔を思い出す。レジェスは早寝早起きだ。陽が上る頃に自然と目覚めてアイラの寝顔をずっと見ていた。髪の毛が当たったわけでもないのにくすぐったくておかしな気分だった。
何でも好きにできる女王は威厳たっぷりで父よりも偉そうで無駄なお喋りはしない。でも公平な目を持っている人だ。それでいて近付いてみるとレジェスには大して興味がないようで、死にたそうに傷ついた表情を時折見せるのだ。レジェスが勝手に覗き込んでいるだけかもしれない。無駄に人の感情を読み取ってしまうのは悪い癖だ。
「そういえば、君の名前はなんだっけ」
「初日にご挨拶しましたがジョエルです」
「ジョエルとは旅の頃からだから付き合いが長い。君が他の側室たちに変なことをして公爵家に戻されることがないよう祈っている」
「それがレジェス様のためでも、ですか?」
「公爵家のための間違いだろう。そんな方法で陛下の気を惹けないことは俺が一番分かってる。親に散々やってきたんだから。どんな悪戯でも嫌がらせでも親の目を長く俺にとどめることはできなかった。もう俺はそんな無駄なことをするガキじゃない」
ジョエルの表情を見ずに扉を開けてハーレムの廊下に出て行く。後ろから慌てて追いかけて来る足音が聞こえた。
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