第7話

 気が重いので足取りも一緒に重くなる。

 前日のナイルに引き続き、避け続けていたケネスの部屋に向かっていた。


 避けるのならどうして側室に入れたのかと聞かれそうだ。アイラもいろいろ理由はつけたものの、本当のところはよく分からない。


 ヒューバートには出会った瞬間、何か惹かれるものがあった。他に見目の優れた令息はたくさんいたのにアイラはヒューバートと婚約するのだとその時にふんわりと分かった。婚約してみて、自分には先見の明でもあるかのように考えていたのに。そんなものは一滴たりともなかった。先見の明があったのなら、ヒューバートは死ななかったはずだから。


 アイラは部屋に入って思わず立ちすくんだ。女王なのだから動揺してはいけない。そうやって心構えをしていたはずなのに。紫紺の髪を見た瞬間、灰色の目で違うと分かっているのに足が無意識に止まっていた。


 立って待っていたヒューバートの弟であるケネスは緩く口角を上げた。


「兄は陛下の心を天に連れて行ってしまったようですね」

「……すまない」

「謝らないでください。兄に似ていることを私は誇りに思っています」

「そうか。一瞬見紛うほど似ていた」

「光栄です。私は兄ほど優しい顔だちではないのですが、優しく見えるなら良かったです。だって、優しい男の方がモテるでしょう?」

「私の側室になったのにモテようとするなど。さてはそなた、大変な浮気者だな?」

「男はみんなモテたいのです。その純粋な欲求を浮気だとおっしゃるなんて。陛下は酷い方ですね」


 ケネスは自然な動作でアイラの手を取ると、ソファにエスコートした。

 一瞬の動作もヒューバートとは違う。ヒューバートは何度手をつないでも毎回照れくさそうにしていた。それにケネスは他の側室たちとも違う。王女の時から接点が多かったせいか、他の側室たちよりも初手で距離が近い。

 無意識に比較している自分をアイラは余計に苦々しく感じた。


「陛下?」

「あぁ、すまない。ぼーっとしていた。即位したばかりで仕事に慣れていなくてな」

「私のところになかなか来ていただけないので、忘れられているのかと思っておりました」

「そんなことはない」

「そうでしょうか? レジェス様とラモン様そしてナイル様のところには通われたのに、私のところにはいらっしゃらなかったではないですか」


 仕事が言い訳がましく聞こえただろうかとアイラは一瞬悩んだが、ケネスは言葉のわりに気にしていないようでにこやかに笑っている。


「それは……」

「私が弟だから避けていらっしゃったのですか?」

「いや、そもそも。ケネスはなぜ側室に志願したのだ」


 ソファには座らず、立ったまま向かい合う。窓からは夕暮れが見えた。夕暮れの色が何かと重なった気がしてアイラは落ち着きなく窓とケネスに交互に視線を向ける。あの色は、何の色だっただろうか。


「陛下のことをお慕いしているからです」

「嘘だ」

「そんなにすぐに強く否定されると傷つきます」

「そなたは私のことを好きではないだろう。それは分かっている」


 ナイルのような温度を感じない。窓から無理矢理視線をはがすとケネスはヒューバートそっくりに笑った。嫌でも過去に引き戻されてアイラの胸は締め付けられる。


「兄を殺した犯人を見つけるためです。それに跡継ぎの重圧に疲れたのもあります」

「そうだったのか? そなたならランブリー伯爵家の跡継ぎとして如才なく振舞えると思うが」

「妹の方が優秀ですし、私は王配となる予定だった兄に隠れて大変気ままでしたから」


 ケネスの運命は皮肉だ。最初はアイラがランブリー伯爵家に降嫁する予定だったからヒューバートが跡継ぎだった。しかし、状況は変わりヒューバートは王配になるため跡継ぎはケネスに移った。王家のせいで彼の将来はころころ変わって振り回されている。自分のことばかりでケネスに気を回していなかったことに今更申し訳なくなる。


「すまない。すべては私がふがいないせいだ」

「私がそれを肯定するとお思いなら今すぐおやめください。兄を想い続けてくださるあなたのことをふがいないなどと、この私が思うと?」

「私は現時点で何もかも中途半端だ。政治もヒューバートも側室も」

「陛下が側室を入れると最初に聞いた時にむしろ安堵しました。あなたは大勢の見目のいい男に囲まれて喜ぶ方ではありません」

「そなたからはそう見えるのか」

「陛下がまだ兄を想ってくださっていると分かって安心したのです。しかし、最近はとても悲しかったです。あなたの悲しみを最も理解できて寄り添えるのは私なのに。どうしてそんな私をほったらかしにしたのですか」


 灰色の目がアイラを見つめている。咎める色も欲情している様子もない。いくらでも嘘をつくことがアイラにはできたが、ケネスに嘘をつくのはヒューバートに嘘をついているようなものだった。


「それは、私が弱いからだ」


 価値のある女王にならなければいけない。ヒューバートのために。

 それなのに口から出たのは真逆の情けない言葉だった。


「そなたにも一緒に犯人を探してほしいという思いはある。だが、ヒューバートが死んだことを受け入れるのが私は嫌なのだ。今でも錯覚する。あの中庭にいたら、いつも一緒に過ごしたあの中庭にヒューバートが来てくれるのではないかと」


 ケネスの指がいつの間にか頬に流れた涙をぬぐう。


「だからそなたに会いたくなかった。そなたとヒューバートの話をしたくなかったんだ。現実を突きつけられるから」


 無言のケネスに抱きしめられる。ヒューバートが好んでつけていた控えめな香水の香りがした。

 ケネスの肩のあたりをぎゅっと握りしめる。今日、アイラが自分でも驚くほど弱気なのはこの懐かしい香りのせいだ。絶対にこの香りのせいだ。


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