第4話

 いけしゃあしゃあと本だけ読んで生きていたい、子供は嫌い、王配になってやってもいいというニュアンスのことは話すのになんと落ち着きのない男なのか。


 しばらくアイラは無言でラモンを観察して、プライドが高く対人恐怖症なのかと勝手に結論付けた。引きこもり気味だったのなら家族と使用人以外には会ったことがないだろう。不審な行動には目を瞑ってもいい。


「ヨナハ地方の奇病の原因がそなたの言う通りであれば、いいだろう」


 アイラは偉そうに、いや実際偉いのだが、重々しく頷いた。ラモンはまた分かりやすく顔を輝かせる。


「では、ヨナハ地方の顔料をお調べください」

「顔料?」

「そこに有毒な物質が含まれているでしょう」

「なぜ分かる。何か本で読んだのか」

「帝国人から昔、聞きました」


 なんなのだ。その出どころの不確かな情報は。そんなことを信じろとでも言うのか。


「そなた、私をからかっているのではあるまいな。医者たちが原因を解明できていないのだぞ」

「陛下、帝国には稀に異世界の記憶を持つ者が現れるのです。その者たちの持つ知識はこの世界の知識を凌駕しており、帝国では画期的な発明もなされています」

「そうだな。それで帝国が発展してきたことは王族ならば知っている」


 市民に知られているのはそれが前世の記憶を持つ者の成果ではなく、帝国の貴族や皇族の成果となっているはずだが。


「帝国の貴族を我が家でもてなした時にその知識の一部を教えてもらいました。その中に奇病を引き起こす顔料の話がありました」

「そのようなことをペラペラと他国に話すものか。かの国はよほどの金を払わなければ教えまい」

「私が子供で、たくさん興味を持って質問したからかもしれません。酒に酔っていた時を狙いました」

「そなたが好奇心旺盛なことは理解したが、それを信じろと?」

「ヨナハ地方の家々には最も緑の顔料が使われており、王都よりもかなり温暖で湿潤な気候です。緑の顔料を使った製品が湿気を帯びたり、温まったりすることで毒が発生することもあるのです。犠牲者の家を調べてください。そして職人も」


 アイラはしばらく考えてから頷いた。聞いた怪しげな話だけではなく、裏も少しは取っているのか。


「分かった。調べさせるが……こう言っては何だが、そなたはおかしな男だ」

「それは心外です」


 ラモンは今日初めて最も大きな反応を見せた。落ち着きがなく不審だった手は止まり、弾かれたようにしっかりとアイラを見る。


「レジェス様は高位貴族なのにフラフラと放浪。ケネス様は殺された兄の婚約者だった陛下の側室に志願する変わり者。ナイル様は命を張るほど陛下に心酔。おかしな男ばかりではありませんか」


 それはラモンがそんなに必死に主張しなければいけないことなのか。アイラは目の前のおかしな男にうんざりした。


「私がおかしな男ばかり集めていると言いたいのか」

「いいえ。私だけおかしな男のような口ぶりだったので心外だと申し上げました」


 ラモンはつんと顎を上げる。やはりプライドがとても高い男のようだ。


「そなた、いつから原因を予想していたのだ?」

「昨日父がグチグチ言いに来て、調べ終わったのは今日です」

「今度からそういう時はハーレムで待たずに私の執務室に来るように」


 ラモンは途端に渋い顔をする。最初はそう思わなかったが、いいこと悪いことも顔にすべて出る男だ。


「知らない人間がたくさんいるところはあまり……」

「では、使いを出すといい。私か私の代わりが来よう。そなたの蓄えた知識は魅力的だ」

「それなら……分かりました」


 知識だけを褒めるのもどうかと思ったが、照れた様子のラモンを見れば正解だったようだ。アイラは軽く笑ってソファに寝っ転がった。


「私は会議づくしで疲れた。寝る」

「へ?」


 ラモンの間の抜けた声が聞こえたが、アイラは本当に疲れていた。予想外にヨナハ地方の件に関して光明も見えたので気が抜けたせいもある。


「あの、陛下」

「なんだ。ここで眠ると邪魔なのか。そなたは大好きな読書の続きをするといい」

「いえ、その……今日は……レジェス様とはしたのに……私とはしないのですか」


 思わず「は?」と言いかけて、アイラは何とか口をつぐんで上半身を起こした。顔を朱に染め上げたラモンが落ち着きなくメガネをいじくって明後日の方向を向いている。アイラは言いたいことが分かって思わず笑いそうになった。


 レジェスと寝てなどいないが、レジェスだってわざわざそれを他の側室に吹聴しない。ハーレムでの事実は、アイラが二晩連続でレジェスの部屋で夜を過ごしたということになるのだ。


「子供は嫌い、読書だけしていたいと望みながらそんなことを言うのか」

「それとこれとは別です。側室になるにあたって一通り本で勉強してきました。私はプラトン公爵家の放蕩息子よりも劣っているのですか?」

「劣るも何も。そなたと私はほとんど初対面だ。それにそなたは離婚しないのだろう? ならば今日急いでする必要はない」


 クッションを抱きしめながらアイラは笑いを堪えた。メガネを落ち着きなくいじっていたのは、これでか。レジェスに対抗意識でもあるのか。ラモンが水をかけたとは考えにくいが、この様子なら侍従は怪しい。


「そんなに怯えなくともいい。私は本当に疲れているから襲い掛かったりしない。昼も仕事をして夜もしゃかりきに仕事をしろと催促しているのか?」

「違います……」


 ラモンの顔がさらに赤くなって、アイラは余計に面白くなった。からかうのはプライドの彼に対して良くないと分かっている。


「私がひどく好色だと思っているのか、それともレジェスに嫉妬しているのか」


 とうとうラモンは首まで赤くなってそっぽを向いた。


「顔が赤いぞ。体調が悪いのか」

「こんな風に……女性と二人きりで長い時間喋ることがなかったのです」


 ラモンはあっちこっち部屋中に視線を移動させながら消え入りそうな声で答えた。よくこんな息子をハーレムに入れたなとアイラは別の意味で伯爵夫妻に感心し、そういえばラモンの妹は異母兄のルキウスに惚れていたと今更どうでもいいウワサを思い出した。


 スペンサー伯爵家は公言していないが、アイラよりもルキウスを支持していたはずだ。それで、わざわざこの長男にしたのか。アイラを困らせたいのか、支持していなかった王族が女王になり側室を設けたことでついでに厄介払いしたかったのか。


「妹と母はもっとヒステリックですぐ怒ったり、話がとんだりするので……陛下のように話が続きません」

「あぁ、なるほど」

「だから……その。実はとても緊張していました」

「別にいい。そなた、私の顔も見たくないほど嫌いだとは思わなかったのだろう? だから離婚しないでくれとまで言った」

「はい」

「ならいい。ヨナハ地方の件が合っていれば、そなたは一生ここで私の男なのだから追々慣れていけば」


 またソファに寝そべろうとして、ベッドの位置が目に入る。ラモンをからかって少し楽しんでいたアイラの気持ちは急速に冷えた。


「陛下?」


 ラモンのいぶかし気な声が頭の中で回るが、アイラの口からはさっきよりも冷たい声が出た。


「ラモン。そなた、ベッドの位置を変える気はないか。いや、明日からすぐに変えろ。窓からもっと離せ」

「は、はぁ」

「分かったな?」

「はい」


 あのベッドの位置。ヒューバートが死んだ時と家具の配置がほぼ同じだった。なぜ窓の側にベッドを置くのか、危ないではないか。侍従は誰も何も言わなかったのか。アイラはイライラしながらクッションを抱えて目を閉じる。


 目を閉じてから、後悔が襲ってきた。なぜベッドの位置を変えろなどと言ってしまったのか。別にいいではないか、ヒューバートではない男がいくら殺されようと害されようと。

 非道な考えが頭の中を歩き回る。いや、アイラはそれでも嫌だったのだ。ヒューバートが死んでいた時の姿はいつでもすぐに思い出せる。また誰かのそんな姿を見るのは嫌なのだ。


 ラモンが困惑した雰囲気を少しの間感じたが、やがて何か布が上にかけられる感触があった。


 人間嫌いで本好きの引きこもり。そんなラモンの表情は読みやすく、必要以上に気を張らなくて良かった。突拍子もないことを言うものの、思いやりをどこかへ置いてきたという訳ではないようだった。

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