第5話

 ヨナハ地方の件はラモンの言った通りだった。


 会議でなぜ分かったのか聞かれ、ラモンのおかげだと答えるとプラトン公爵は少し悔しそうにしていた。その代わりスペンサー伯爵とルチェラ侯爵は得意げだ。

 アイラよりもルキウスをこっそり支持していたのに調子のいいことだ。


 緑の顔料が使われた製品の回収、病人への支援など処理を行ってまた一週間ほどハーレムから足が遠ざかっていた。


「陛下。血の涙を流しながらナタリアが申し上げます。どこぞの馬の骨の集まりのところに行ってください……」

「血の涙など出ていないではないか」

「心の中で盛大に流しています。もはや滝のようでございます」

「ハーレムに行けということか?」

「左様でございます。お忙しいのは分かりますが、最近ではハーレムにおもしろ、いえ不穏な動きがありません。ケネス様などはナイル様とレジェス様と仲良くなり始めている始末。まぁこれはこれでおもしろ……いえ何でもありません。即位式の準備を誰にさせるかもそろそろ決めませんと。といってももうできる準備はさっさとしていますが、先代国王陛下のお加減が良くならないのもなかなか」

「分かった、分かった。ハーレムに行って餌を投げ込んで来いということか」

「ついでにそろそろどこぞの馬の骨たちにお仕事を振りましょう。陛下が忙しすぎます」

「ナタリアは本当に容赦がないな」


 そして今。アイラは跪くナイルを眺めている。

 この男はいつまで経っても騎士だった頃の癖が抜けない。


「そなたは私の騎士なのか、それとも夫なのか」

「私は陛下の……夫です」

「では跪くのをやめろ。そんなに騎士に戻りたいのか」


 ナイルは顔を赤らめながら立ち上がる。その初々しい様子を見て、アイラは面映ゆくなった。重鎮たちとの腹の探り合いの日々だったのでナイルのその様子はとても新鮮だ。


 アイラはうっかり、初心な女を好む男の心境を理解しそうになりかけて自分が一瞬嫌になった。


「陛下? 私に御用でしょうか」

「夕食を一緒にどうかと思って仕事が終わってからすぐに来たが、そなたは忙しいようだな」

「いえ、全く忙しくありません。暇でございます」

「今も稽古をしていたではないか」


 ナイルの足元にはアイラに気付いて慌てて投げ捨てた練習用の剣が転がっている。


「つい先ほど終わりました。今は大変暇です」

「では私と夕食を共にする時間はあると?」

「はい、ぜひともそうしたいと思っております」

「では服を着て湯を使って戻ってくるといい。私は先にそなたの部屋で待っておく」

「それでは陛下をお待たせしてしまいます」

「私が急に来たのだからいい。安心しろ、緊急の件がない限り勝手にいなくなりはしない。あぁ、少し気になることがあるからレジェスのところに行って戻って来る」


 水をかけられた件でレジェスを案ずるのをすっかり忘れていた。結局、誰が犯人だったのか報告がない……はずだ。あれから目立つ嫌がらせは起きていないようだが少し気になる。

 ナイルは一瞬傷ついたような表情をしたが、すぐに上着をぎゅっと握ると礼をして足早に去っていった。


 アイラはその背中を見送ってレジェスの部屋に向かいながら反省した。さすがにこの行動はあまりにナイルに対して無神経だった。仕事のことを考えながらふと水をかけられた事件を思い出して、時間があるなら近いのだからついでにと考えてしまったのだ。レジェスを寵愛しているフリをしなければいけない。


 この無神経さ。まさにアイラの父である先代国王のようだ。自分がされて嫌だったのに、うっかりナイルにやってしまった。ナイルが騎士だった頃の癖が抜けないのではなく、アイラが彼のことを夫とみなしていないのかもしれない。


 見下しているのだろうか、彼を。そんなことはないはずだ。ただ、無意識に騎士だった頃のナイルとして接してしまっているのかもしれない。


 ナイルの部屋に戻って来てからソファに深く座ってぼんやりする。ナイルはまだ現れない。気分を害して閉じこもるような男ではないはずだが、アイラが先に無神経な行動をしたのでそうなったら仕方がない。


 ナイルの部屋の内装は薄い紫だった。見慣れていて落ち着くのはアイラの目も紫だからだろうか。本がびっしりとあるわけでもなく、物がなさすぎるわけでもなく、適度に落ち着く部屋だ。そういえば、レジェスの部屋では微かに香りがした。何か焚いていたのだろうか。ラモンの部屋は図書室のような香りがした。ナイルの部屋はあまり香りがない。


 ヨナハ地方の件は片付きそうだから、あとは山賊を早く何とかしなければ。なぜ、騎士団を送って壊滅させたはずなのに数カ月たってまた被害が出始めるのか。頭が痛い。


「陛下。お待たせしました」


 あとはレジェスが水をかけられた件だ。レジェスはヘラヘラ笑いながら大したことがなかったし、自分で犯人を見つけると言っていた。煩わせるつもりはないなどと言われると、手間がかからない男が好きだと公言した手前なにも言えなかった。


「陛下」


 いつの間にか押さえていた目頭から手を放すと、ナイルが心配そうに覗き込んでいた。


「あぁ、戻っていたのか。すまない」

「お疲れですか?」

「いや、考え事をしていた。さぁ夕食にしよう」


 アイラが明るく振舞うと、ナイルは心配そうな表情のまま頷いて向かいに座った。


「最近は何をして過ごしているんだ?」

「稽古をしたり、本を読んだり、あとはレジェス様やケネス様が誘ってくださるので三人で集まってチェスやお話などを」

「ラモンはどうした?」

「それが、毎回声をかけてもいらっしゃらないので……」


 そういえば、ラモンはそういうタイプだ。ラモンが他の側室たちとチェスや話をしている場面を想像しようとして、どうしても無理だったためアイラは諦めた。


「集まるのは楽しいのか?」

「レジェス様はさまざまな国を旅されていたのでお話が面白いのです。ケネス様も博識でいらっしゃいます。知らないことばかりでとても勉強になります。私は騎士団の話くらいしかできませんから」

「そうか。仲が良いのはいいことだ」


 アイラにとっては仲良くなってもらっては困るが、こういう情報は欲しい。ぽつぽつと会話をしながら食事を終える。

 食事を終えて紅茶を飲みながらアイラがまたぼんやりしていると、何か言いたそうにしているナイルと目が合った。

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