第3話
レジェスのところに二日連続で行き、そこから一週間アイラは執務に忙殺されていた。
王都から離れたヨナハ地方でおかしな病が流行っているからだ。
専門家も呼び、大臣たちと会議を重ねたが打開策はない。頭を痛めている問題であるのでハーレムに行く暇はない。
執務室に戻るとナタリアが書類を机に並べながらチラチラ見てくる。何か言いたそうな顔だ。
「結論がまだ出ない」
「それは残念でございました」
残念そうな表情を作って他の秘書官にアイラの前を譲る。案件に対応して目途がついた頃、またナタリアがやって来た。
「どうした」
「本日、レジェス・プラトン様が散歩中に水をかけられたそうです」
「犯人は誰なんだ?」
「それが、頭上からかけられたそうなのですがプラトン様は全く騒ぎ立てずそのまま散歩をして部屋に戻ったそうなので犯人の痕跡もなかったと。プラトン様の侍従が騒いで発覚しました」
「濡れたまま散歩したのか?」
「暑かったからちょうど良かったと」
「それで、レジェスが私に知らせろと言ったのか?」
「いえいえ。ハーレムの警備から上がってきた報告です。レジェス様は終始笑っていらっしゃったと聞いております」
ふぅんとペンをインクに浸しながらアイラは興味がなさそうに返事をした。小さなことで騒ぎ立てないのはいいことだ。王配に向いている。放浪していただけあって図太い。
「行かれなくていいんですか?」
「なぜだ? 私は忙しい」
「ヨナハ地方の件は膠着状態ですし、ハーレムを正しく機能させるためには行っておいた方がいいのでは?」
ふむとアイラは顎に指を当てて考える。ナタリアの言う通りだ。レジェスのところに二日続けて行って、他の側室のところには行っていない。誓約式からレジェス以外を見ていないのだ。
「では、今日はラモン・スペンサーのところに行こう」
「レジェス様のところではないのですか?」
ナタリアは分かっているだろうにわざわざ資料で顔を半分隠しながら聞いてくる。目が楽しそうに笑っているので意味がない。
「気分転換になるし、レジェスの態度を見ていたら犯人にやり返すことはなさそうだ。ラモンのところに行けばまた揉めるかもしれない」
「左様でございますね。彼が犯人でなかったらよりおいしいです」
「今度嫌がらせをされるのはラモンということだな」
執務室にいても名案を閃くことはなさそうだ。気分転換も兼ねて仕事が終わってからラモン・スペンサーの部屋に向かった。
ここは図書館かと思うほど部屋中に本棚があり、すべてにぎっちりと本が差し込まれている。部屋は白で統一されており、余計に本棚の重厚感が際立つ。
「すごい量の本だ」
「伯爵家から持ってきました」
「他国のものもたくさんあるな」
「実家は商売の関係上、つながりが多いのです。帝国の書籍をどこよりも早く取り寄せることも可能です」
また帝国か。帝国と聞くとより気分が重くなる。
アイラにとって、兄とヒューバートと帝国の3つは心を一瞬で暗くできる言葉たちだ。
「陛下?」
部屋の真ん中で本棚を眺めて立ち止まったアイラのことをラモンがいぶかし気に見る。空色の目と視線を合わせないようにしながらアイラは何でもない風にソファに腰掛けた。
「陛下、そういえば私に何か御用でしたか?」
「用がなければ来てはいけないのか」
「気を遣っていただかなくても、私のところには最低限で大丈夫です」
ラモンは座った瞬間にいけしゃあしゃあと話すので、今度はアイラがいぶかし気な顔をする番だった。ラモンはアイラの顔をちらりと見ると、話を続ける。
「陛下だって、こんな気難しい引きこもり気味の男のところに通いたくないでしょう。私は誰にも邪魔されず本が読みたくて側室に志願しました」
「家でも邪魔されないのではないか」
「父と母からの結婚しろ、働け攻撃がすさまじいのです」
端的な会話をする人物だ。余計なことは喋りたくないらしく、一応閉じて置いた本にチラチラ視線がいっている。アイラが来る前まで読んでいたのだろう。
「王配の座は狙っていないのか?」
「王配になるのはいいのですが。私は子供が大嫌いでして。何せ、ここでは側室が子育てをしなければなりません。うるさくて読書の邪魔です。だから王配の座を下さるのは別にいいのですが、子供は他の男と作ってくださいますか」
アイラは思わず呆れた。気分転換どころかより頭痛がしそうだ。
「そなたが生むわけでもあるまいし。誰か雇って世話をさせればいいのではないか」
「そうですね。ですが、やはり誰が育てても子供は苦手で嫌いです。子供がいたらうちの両親にもより干渉されそうですから」
「そんなに本が好きなのか」
「はい。城に自由に出入りできて本が読めるのは最高です」
ラモンの目が輝く。アイラはその分かりやすすぎる反応にさらに呆れた。本ばかり読んでいるからメガネをかけないといけないほど視力が悪いのか。
「スペンサー伯爵夫妻は怒るのではないか」
「でしょうね。しかし、私はもう陛下の夫です。陛下が離婚を宣言されれば別ですが、迎えて早々に追い出されることはないと考えています。それに私の性格が嫌で離婚されても次の結婚を断る口実になります」
「離婚しても再婚できるぞ」
「陛下を忘れられないと言えばいいのです。不妊だと周囲が勝手に判断するかもしれません」
無理矢理再婚させられる可能性も普通にあると思うが。アイラはもう面倒なのでそのツッコミは入れないことにした。
「そんなに本だけ読んで生きていたいのか」
「そうですね。邪魔をされず」
まるでアイラのことも邪魔だとでも言いたげだ。先ほどから彼はメガネをしきりに触っていて落ち着かない。
「側室になったからには参加義務のあるパーティーもある。さすがにすべて欠席されては困る」
「もちろん必須のものは参加します」
「お飾りの側室を税金で養えと?」
「その言葉をおっしゃると予想しておりました」
メガネを触るのをやめてラモンはまっすぐにアイラを見た。視線を逸らす暇もなく、メガネの奥の空色の目がキラキラと輝いてアイラを見つめている。アイラは一瞬、怯んでしまった。
「私の持てるだけの知識を差し出しましょう、陛下。ヨナハ地方の奇病でお困りではないですか」
「知っていたのか。興味がないのかと思っていた」
「父が訪ねてきてグチグチ言っておりました。私は奇病の原因が分かります」
前半は聞き流した。側室を家族が訪ねてくることは可能だ。後半は引っ掛かる。
「分かるのか? 本当に?」
「はい。知識を差し出しますので、離婚は絶対にしないでいただけますか?」
まさか離婚されないように交渉して来るとは思わなかった。アイラとしても離婚する気はない。ルチェラ侯爵に一番近い親戚で側室にできるのは彼だけだ。
しかし、安易に頷くのは癪だった。
アイラは足を組んで尊大に見えるように顎を上げて、ラモンの提案を咀嚼しているフリをした。ラモンは落ち着かないようでメガネがずり落ちているわけでもないのに触っている。
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