第2話

 レジェス・プラトンの口車に乗るのは癪だったが、二日も通えば女王はプラトン公爵令息を気に入っていると噂が立つだろうとアイラは仕事が終わるとレジェスのところへ行った。ナタリアはもちろんうるさかった。


「陛下?」


 昨日あんな思わせぶりなことを言っておいて、レジェスは驚いている。


「私が来たら都合が悪かったのか」

「あ、いえ。てっきりまた先に知らせが来るのかと思っておりまして」

「私の男のところに私が好きな時に来てはいけないのか」


 レジェスはちょっと考える素振りを見せると、なぜか顔を赤らめて扉を開けた。何に顔を赤くしているのかアイラは意味が分からなかった。


「なぜそんな恰好をしている」


 レジェスは昨日と違って異国情緒漂う服を着ていた。通気性が良く布地が少ない、つまり露出が激しい。上半身の素肌が半分以上は見えているのではないか。しかもなぜか肌着を着ていない。


「陛下。実は、私はいつもこんな恰好です。昨日は陛下がいらっしゃると知らせがあったのでこの恰好をしていませんでした」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて話すレジェス。なぜレジェスがそんな露出の激しい格好をしているのに恥ずかしがるのか。恥ずかしがるべきはアイラの方だろう。


 しっかり割れた腹筋を思わず数えそうになってアイラは視線をそらした。


「ご不快でしたら着替えてきます。少しお待ちいただけますか」

「いや、ここはそなたの部屋だ。好きな格好でいるように」

「ありがとうございます。締め付ける服はどうも苦手でして、こうしたゆったりした服になってしまいます」


 明日も来てくれたら話すと言っておきながらアイラが来ると思っていなかったのか。アイラをからかっただけなのか。

 レジェスは照れながらもアイラをテーブルまでエスコートする。


 上半身半裸のレジェスと向かい合って座ってアイラは居心地が悪くなり、同時に腹が立った。昨日は昨日で思わせぶりなことを言い、今日は今日でおかしな服装をしている。プラトン公爵は狸だが、この男はアイラの視線を自分にとどめておくために策略でも練ったのだろうか。


「陛下にはお兄様がいらっしゃいましたよね」

「あぁ。実兄と異母兄がな」


 料理が運ばれてきてまた二人きりになる。アイラは昼食を軽くとる時間しかなく、お腹が空いていたのですぐにフォークを手に取った。


「私にも兄がいます」

「よく、ではないが知っている。何度か会ったこともある」


 先ほどまで恥ずかしがっていた様子はどこへ吹き飛んだのか。ニコニコ笑いながら、レジェスはアイラの皿に料理を取り分けてくれた。視線を落とすと、アイラの好物ばかりが皿に載っている。


「そんなに難しい顔をしないでください。そして私を殺さないでください」


 好物ばかりが載っている皿を見て思わず眉をしかめていたようだ。レジェスのからかうような声に顔を上げる。


「美人が台無しですよ」


 冷めた視線をレジェスに投げると彼は肩をすくめて大げさに手を広げた。


「簡単なことです。陛下の行動を目で追っていれば陛下の好物くらい分かります」

「調べさせたのかと思った」

「父ならするでしょう。でも、父が調べた書類を私がじっくり読むと思いますか?」

「そなたとは昨日が初対面だ。まだ分からない」

「では、今の私は陛下からどう見えますか? 直感と独断と偏見で」


 さっきまで兄の話をしていたのに。どうもこの男のペースに乗せられる。


「その恰好でいつもいるなら書類を読んでいるのは似合わない」


 ついでに言えば王配には向いていない。仕事面で。これは致命的だ。目の前の男はそう思っていないようだが。


「でしょう。だって書類上での陛下を知っても何の意味もありませんから。父が渡してきても読んでいません」


 アイラは嘘ではないかと再び皿に目を落とした。


「誓約式でこういったものを召し上がっていらっしゃったので。それを見ていただけです。あの雰囲気ではガツガツ食べることはできませんよね。となると召し上がるのはお好きな物か消化にいい物」


 言われてみれば、誓約式で目の前のものを食べたような気もする。


「私はこういうことをします。陛下もこういうことをされませんでしたか?」

「こういうこと……か?」

「他人に好かれるために顔色を窺って行動することです。長男に生まれていたらこんなことはしなかったのですが」


 アイラは食べながらぼんやり思い返しかけたが、兄のことは思い出したくもない。


「私は生まれた瞬間から二番で兄の予備でした。生まれた時から兄が公爵家のすべてを継ぐことは決まっていて、ほとんどの愛情と期待は兄のもの。それを噛みしめながら生きていましたが七つ下の弟が生まれたらなぜか私は二番ではなく、三番に転落しました」


 相変わらずヘラヘラ笑うレジェスにアイラは笑わず視線を合わせた。


「末っ子は可愛いです。私も弟は可愛いと思っています。でも三番という現実を受け入れることはできませんでした。だから家を出て放浪したのです。とても子供っぽい理由でしょう? 親のお金でフラフラしているのに、親のことは許せないのです。おかしいでしょう?」

「そなたは兄が嫌いなのか?」

「いいえ、苦手ではありますが。しいて言えば、公爵家の方針が嫌いだったのでしょう。親ですね、そんな風に露骨に区別をする親が嫌いでした」


 レジェスは言葉とは裏腹にヘラヘラ笑っている。感情を言葉の端々と表情に出さないところはとても貴族らしい。彼の表情は口から出る言葉のすべてを裏切っている。

 アイラにはその表情が泣き笑いのように見えた。


「なぜ、そなたは側室になった? 親が嫌いなら言いなりになるのはさぞ嫌だっただろう」

「陛下が兄でも弟でもなく、私がいいとおっしゃってくださったからです」


 レジェスはこの時ばかりは笑っていなかった。目が細くなっていないので、アイラは初めてレジェスの目が濃いオレンジであることに気付いた。書類に描かれた絵よりも美しい色だ。


「誰からも選ばれない余りもの扱いの三番目が選ばれることがどれだけ嬉しいか。そして陛下は昨日、一番に私のところに来てくださいました。てっきり、ケネス様やナイル様のところに行かれると思っていましたから。だから、それだけで私は満たされた気分になるのです」


 あぁ、兄の話を最初に振ったのはこういうことか。

 アイラの場合、王太子の座は最初から兄のもので下手をすれば異母兄がその座を狙っていて。父は寵愛する側室の息子である異母兄を可愛がっていた。つまり、アイラも三番手だ。


 アイラは自分がレジェスを選んだ理由を理解した。自分と同じ香りを嗅ぎ取ったのだろう。そして、初日にレジェスが平気でアイラの心に踏み込めた理由も。


「そなたはとても正直な男だな」

「陛下に感謝しているので嘘はつきたくありません」

「では、そなたを選んだ私を失望させないでくれ」

「もちろんです。お任せください」

「そうやって安請け合いする男は嫌いだ」

「大丈夫です。私はこう見えて重い男ですから。体重も愛も」


 レジェスはまた目を細めて笑った。アイラはなんとなく、彼の目が細くなって濃いオレンジが良く見えないのを残念に思った。

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