第8話
アイラは王太女になってから、襲撃者を送って来た異母兄を北の塔の最上階に幽閉した。同じ年に生まれた、たった数カ月早く生まれただけのこの異母兄さえいなければナイル・コールマンは近衛騎士を諦めるほどの怪我をしなかった。
他にも何人か処罰したが、最も重い処罰を下したのはこの異母兄ルキウスだ。
そもそもこいつの母親さえいなければ、母だって苦しむことはなかった。もっとも、一番の元凶は父だ。側室など入れるから。王妃だった母を一番に大切にしないから。そんなことは分かっている。
しかしアイラも側室を入れることにした。父とは全く違う目的で。吐き気がする。
「弱ってきています。最近は食事にも手をつけません」
「そうか」
「そろそろアレを差し入れましょうか」
「そうだな、明日からにしてくれ。私はあのしぶとい奴と少し話したい」
肌寒い廊下を歩いて部屋の前に案内される。
のぞき窓から覗くと、力なく寝っ転がっている異母兄ルキウスが見えた。ガンガンと扉を何度もたたくと、ルキウスが顔を上げる。
「これはこれは。女王陛下」
笑いながらも力なく掠れた声。異母兄ルキウスは気だるげに体を起こした。殺風景な部屋、痩せて骨ばった体、隈の浮かぶ悩ましい顔。令嬢に騒がれていた風貌は幽閉によって見る影もない。それでもほんの少し残っているのが腹立たしい。
「いい眺めだな、ルキウス」
「母を実家に帰して俺を閉じ込めた気分はどうですか、女王陛下」
「最高だよ。お前が死んでくれたらもっといいんだが」
床に座ったまま片足を立てて、ふっと笑うルキウス。みっともなく命乞いでもしてくれれば楽しいものを。こんな図々しい堂々とした態度を見ると、床に座っていても彼が王族らしくて吐き気がする。
「王太女を襲撃しておいて、お前の母親が泣いて縋るから慈悲深い次期女王として処刑はやめておいてやった」
「ヒューバートを失ったばかりのお前を殺すなんて訳ないと思っていたのにな」
「残念だったな。お前と違って人望があって」
「はっ、人望だと? お前なんて見た目だけの女王だろ」
「兄上こそ王になって何をするつもりだったのか。教育も大して受けておらずバカな理想論ばかり。皆平等だって? 夢見がちな母親と頭の出来がよく似ている」
ルキウスは何も答えなかった。代わりにアイラのことを睨んでくる。
「父を誘惑するしか能のないお前の母親のことだ。お前も頭のいい令嬢をたぶらかして仕事でもさせる気だったのか。それならそれでいいな。お前が政治に携わるよりはずっといい」
ルキウスはふらつきながら鍵のかかった扉まで歩いてくると、ガンっと叩いた。
「母はどうしてる」
「お前の母親のことなど知らん。そもそも女王の怒りを買った者を実家に帰して無事でいると思っているなど、兄上の頭の程度が知れるな。その中には花畑でも咲いているのか。何か実がなる花はあるのか」
アイラはポケットに手を入れてのぞき窓の隙間からそれを投げ入れた。異母兄の母が身に着けていた指輪だ。実家の子爵家から送られてきた。
思いのほか、指輪は勢いよく転がって部屋の隅までいった。ルキウスはよろめきながらそれを追いかけ手にする。その情けない様子を眺めて、アイラは溜飲を下げた。
「これは、母の……」
「実家の子爵家から送られてきたぞ」
アイラはケラケラ笑いながらルキウスを見る。アイラの父がルキウスの母に与えた指輪を投げたのだ。ルキウスの母はずっとその指輪を身に着けていた。ほとんど肌身離さず、だ。その指輪がここにあるということは、説明しなくともルキウスは勝手に推測するだろう。
「母をどうした」
「さぁな。私がやったわけじゃない」
ルキウスの母は、アイラの母つまり王妃の侍女だった。父が手をつけて側室にした。あの指輪は側室になった時に渡されたものだ。
「貴様! まさか!」
「言っただろう、兄上。私がやったわけじゃない。あと、忘れているようだが私は今は女王だ。貴様とは不敬だぞ」
再び扉まで這うように近づいて来たルキウスを見てアイラは笑う。
「俺はヒューバートに手出ししなかった! お前が気に入らないからお前を襲撃しただけだ! それなのになぜ! お前は母に手を出すんだ! 俺を! 憎いなら俺を殺せばいいだろう!」
ルキウスは本当におめでたい。小さい頃からこういうおめでたい人間だった。むしろ、ルキウスがヒューバートを殺したのであれば話は簡単だったのに。このように無駄な正義感をふりかざすところがアイラは大嫌いだった。
「私は手出ししていない。兄上。そもそも、お前が始めたことだ。お前が私を襲撃しなければ良かったのに。そうすれば兄上の母親はまだその指輪を大事に温かい指にはめていたはずだ」
ルキウスはこの塔に閉じ込められた時よりも悔しそうな顔をしている。
「よくも……母を……。母だって望んで側室になったわけじゃないのによくこんなことができたな!」
「そうだな。だが、お前の母親は最終的に父を愛した。息子に王位を願うほどに。それと、間違ってもらっては困る。私はお前達親子を憎んでいたが、お前が私に牙をむいたのが先だ。だって私はお前のことなんて憎いだけでライバルだなんて思ってもいなかったんだから」
「お前なんて地獄に落ちろ! あの世でヒューバートに会えるなんて思うなよ!」
「あぁ、兄上。なんと悲しいことか。この期に及んで私を貶める言葉がそれしか出てこないとは。兄上の頭の出来が今本当に心配になった」
笑みを浮かべるアイラに対して、ルキウスは歯を食いしばって扉を叩く。
「ねぇ兄上。可愛い妹の最後の頼みを聞いてください」
アイラはわざと甘ったるい声を出す。忌々しいルキウスの母親のように。アイラは彼女の喋り方が大嫌いだった。あの喋り方に良い顔をする父も大嫌いだった。憎い。憎くてたまらない。反吐が出る。
「うるさい!」
「兄上、あの世でヒューバートに会ったら伝えてください。私はそこに行けないと。でも、ずっと愛していると」
ルキウスは胸の前で腕を組むアイラの言葉を意外に思ったのか、頭を抱えるのをやめて顔を勢いよく上げた。
「アイラ、お前」
「ヒューバートに犯人を聞いたら兄上が化けて出て教えてくれてもいいですよ。枕元に立ってくださいね」
アイラはルキウスに背を向けた。
後ろから叫んでいる声が聞こえるが、足を止めることはない。
「バカなルキウス。なんておめでたい異母兄」
軽く口ずさむ。指輪だけで母親が死んだと思うなんて。痩せさせて指輪が抜け落ちるようにしただけなのに。そして、最後にアイラが情に訴えかけるようなことを口にすれば簡単に動揺するなんて。
この塔の外には花畑が広がっている。幽閉された者が心身を病み、天国だと錯覚して窓から身を投げるように。花畑の中から青い一輪をつみとって香りを嗅いだ。
ヒューバートは今の私を見ても愛してくれるだろうか。
ためらいなく憎い異母兄の背中を死に向かって押す、私のことを。
アイラは大きく腕を広げて塔を見上げた。少し首が痛くなる。
あの塔から身を投げたら、目に映る光景はさぞかし綺麗なのだろう。そう考えてから摘んだ花を空中に投げる。花がひらひら舞う様子は美しかった。
異母兄ルキウスが出された毒を呷って死んだという知らせが届いたのは、それから三日経った日のことだった。
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