第29話 にんげはこれまで

 一歩進むたびに、天から巨大な鉄槌でも落とされているかのようだった。

 もしかして恐竜が絶滅したときは、こういう気持ちだったのか。そんなことを思ったが、それはきっと余裕ではなかった。おそらく自らその状況に身を置きながら、現実として捉え切れていない。安全な世界に長く生きた証だった。

 リョウガは噴水の前に立っていた。怪獣が一歩一歩近づくたびに、地面が揺れた。建物各所上下から細かな塵芥が落ちていた。地震とはどこか別種類の揺れ方だった。はじめは空から何かが惑星へ突き刺さってゆくような感覚だったが、しだいに、惑星の内部から何かが、空へ向かって噴き出している感じになった。

 そこに立つ前、リョウガは建物の各所に設置された爆破装置のいくつかを目にした。円形の鉄板からいくつかの色付きの同線が生えていた。素人目にはとても爆弾には見えない代物で、現代アートといわれてしまえばそう思えてさえくる。それがモールの至る場所へ寄生するようにつけられていた。

 みえない怪獣は確実にリョウガへと近づいてくる。音も振動も度を増してゆく。踏みつぶされ、衝撃で破片が飛び、雨、散弾銃、小隕石群の如く周囲へ降り注いでゆく。

 ここで、ひと独りが終わってみせる。それでこの作品はダメになる。パフォーマンスには、それを上回るパフォーマンスを行う。作品を否定するには、それを上回る作品を。

 捨て身か。こんなことしかできないおれは、きっとくだらない。

 あたまのなかでそう吐き捨てる。

 けれど、人間はこれまでこうやっていくつもの怪獣みたいものを倒してきた。いま、自分が延長線上に立っているに過ぎない。

 心は揺らがなかった。

 音と振動は強まってゆく。衝撃で外壁に罅がわれ、次の衝撃で剥がれて地面に落ちた。直撃を受ければ致命傷を受けるに違いない。だんだん真っ直ぐ立ってもいられなくなりかけていた。集中しなければ倒れそうになる。

 理解はできていない。死にたいと思ったことは一度もない人生だった。いつだって、やればなんとなってしまうと思って生きていた。そんな瞬間は幾度もあった。そのたびに怪我を負いつつ、ほら見ろ、やっぱりなんとかなった。と、正体不明の観客に対して、そう話かけてきた。

 今回もなんとなる。そう思っていた。おそらく、いまでも思っている。

 いいや、冗談じゃなかった。こんなの、どうにかなるはずがないだろ。絶望的な揺れと大量の粉塵を混じった爆風を浴びながらも、そんなことを思う妙な冷静さが機能していた。

 きっと、どこかで正常な生命力を失ったんだ。けど、どこでだ。残された時間で探していた。遠い景色のなかを見回す。

 ひとを好きになって、その果てに、いま、こうして怪獣が迫って来るここに立っている、やがて踏みされる場所にいる。ここは想像もしていなかった未来だった。

 これはいったいどういうことなんだろうか。ここはこの世界の奇形部分なのか。

 あたまは許されたわずかな時間で、どうにか世界の正体をみつけ出そうとしていた。それしか方法はないとしているらしい。

 けれど、そんなことより、きちんとコワがれよ。分離した自分のひとりがそう言っていた。だが、組み換えさせるための猶予はあまりにも貧弱だった。

 もしかしたら会えるのかもしれない。ここで終わったあと、会えるのかもしれない。

 希望を捏造する。そういうことがあるのかどうか、本当のことは知らない。ただただ、それが自分で自分を救うための捏造であることはわかっていた、むしろ、願いだった。そして、願いは秒を重ねるごとに祈りになっていった。

 むかし、ひとを好きになった。そのひとはもういない。そのひとがこの世界に残した祈りは金に変えられた。

 いや、金なのか。

 最後の最後で苦笑しそうになった。しかし、もうここまでだと思い、あとは思い出をみることに使うことにした。彼女といて、かつて夢のなかに生きていた。あの日々は夢そのものだった。ただ面白かった。彼女の声が好きだった。ある日突然、消えてしまった。さよならもいえずに会えなくなった人。

 耐え切れなかったか。

 自分へ言う。

 見上げると、怪獣の足の裏がもう見えていた。

 ふと、気配を感じた。

 ごく小さなものだった。轟音と揺れのなかでは、感じるはずのないほどの小ささだった。

 振り返ると、噴水の縁にリスがいた。まだ子供のリスなのか、ひとまわり小さくみえる。リ

 降り注ぐ塵芥のなかでリスはそこにいた。逃げもせずそこにいる。なぜ、逃げないのかはわからない。

 ただ、リョウガは怪獣が目前に迫ったそのなかで、動かない一匹のリスをみつけた。

「なにやってんだよ」

 途端、リョウガは噴水の縁にいたリスへ手を伸ばす。リスはあっさりとリョウガの手に掴まれた。

 リスを掴むとリョウガは全力で走り出す。直後、さっきまで立っていた場所に怪獣の足が落とされた。地面が大きく揺れた。外壁が激しく崩れ、建物を侵食していた木々が割れてメキメキと折れる音が聞こえ、やがて、その大小が次々と落下した。

 リョウガはリスを手にしたまま走った。その後ろを怪獣は次々と踏みつぶしてゆく。頭上からは大量の粉塵と、大小の瓦礫が絶えず落ちた。落下位置の予測は不可能だった。見上げて確認する秒もない。無意識と、自身の出せる最高速度に任せるしかなかった。そのエリアには道は一本しかなく、怪獣は後ろからリョウガを追いかけてきた。意志があるかのように踏みつぶしに来る。進路にあった巨大な瓦礫をかわす。弾丸めいた無数の破片に襲われる。粉塵に覆われ、視界は最悪だった。知っている場所だったため、道は覚えていた。林檎ほどの大きさの瓦礫が何度か身体の各地にぶつかった。痛みを感じる余裕はない。手のなかで小さな心臓が動いているがわかった。尖った紺トリートの破片を踏み、その痛みにもまた付き合っている暇はなかった。身体はただ走るだけと化している。怪獣は背後にある建物を次々に踏みつぶし、尻尾らしきもの、手らしきもので破壊してゆく。振り返らなくとも、不思議とそれがわかる。怪獣は追い掛け来ていた。狙われていた。ショッピンモール内に三つある主力建造物のうち、二つが破壊され、終わっていた。粉塵の濃度が増していた。爆風がそれを纏って、雪崩のような砂の壁になり、すぐ背後まで迫って来ていた。飲み込まれないように走り続けた。手のなかの心臓はまだ動いている。横たわった巨大な瓦礫を飛んで越えた。着地はわずかによろけたが、こけなかった。背後に迫る怪獣の足音は鼓膜ごと破壊しそうだった。

 最後に残された建造物に差し掛かったとき、リスが手のなかからするりと抜け出した。腕を伝い、肩まで来て、飛んだ。それに反応して咄嗟に立ち止まる。それが致命的な行為だとも忘れていた。跳躍したリスは素早く駆けて行ってしまった。リスはすぐに見えなくなり、視線の先にはうっすらと非常階段が見えるだけだった。茫然としかけていた。

 だが、すぐに全身が何かを察知した。その感覚に従い空を見上げる。その一瞬、そこだけ、粉塵の壁が途絶えていた。

 見合上げた先、夕陽のなか、三階建ての建物の最上部に鉄製の装置が仕掛けられているのが見える。

 それはいままで見かけた他のものより、一回り以上大きく、同線の配置も多く、奇形。

 巨大な爆弾だった。

 途端、非常階段を登り出す。階段は三階部分まで続いていた。ベニヤ板で封鎖されていたらしいが、既に破損して遮る役目を果たせていない。勢いを削ぐことなく階段を一挙にかけあがる。階段は三階で途絶えていた。爆弾は建物の天井部分から見切れている。壁には植物の蔦が巻き付いていた。蔦に手ごたえを確認することなく、ほとんど飛びつくように、蔦を掴む。足はなかば、宙にあって、踵はどこにもつく場所がなかった。世界は怪獣によって遠慮なく揺らされていた。蔦を掴んで這いのぼる。下は一度もみなかった。屋上縁に手をかけると、一挙に半身を持ち上げ、上へと転がり込んだ。すぐに立ちあがる。爆弾は同じ視界位置、その直線上に先にあった。怪獣が近づき、揺れは大きくなっていた。屋上には足が挟まりそうなほどの既にいくつも罅が入っている、落ちれば終わる、谷になっていた。走り、それらを飛び越え、設置されていた爆弾へ向かった。そのまま躊躇なく身体をぶつける。

 爆弾の根本は天井から剥がれ、倒れるようにそのまま下界へと落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る