第28話 はじまった
はじまった、みえない怪獣の、はじめの一歩がショッピングモールの入り口を踏みつぶす。
傑作になる。
瞬間、ショウは確信した。ああこれは、いままで最も優れた作品になる。すべてが終わる前にわかった。
夕焼けを背景に現れたみえない怪獣を見ていた。夢中になっていた。口もわずかに開き気味になって見上げる。
スタッフや、集まった観客その他も同じだった。そこにいた誰もがみえない怪獣を見ていた。
それは熟練の警備員とて同じだった。最初の一歩目だったから仕方ないともいえた。初弾となる轟音と振動は凄まじいものだった。驚き、見上げるのも無理からぬものだった。みえない怪獣はそこ場にいた人間たちの意識を無差別にもってゆく。
そして、それはほんのわずかとはいえ、警備体制に不備を生んだ時間でもあった。
みえない怪獣を見上げるショウに、何者かが身体ごと絡みついていた。相手はひどく軽かった。不意の衝撃を受け、最初はショウも人とは思わなかった。だが、視線を下げると人だった。
十代後半に差し掛かったと思しき少女がそこにいた。片手でショウの上着の心臓付近を掴んでいる。もう片方の手にはスマートフォンを持っていた。
襲われている。咄嗟にはそう思った。刺されたか、ぼんやりとそう思った。だが、痛くはない。刺されても、痛みはすぐにわからないものかもしれない。一瞬の内部で、そんなことを考えた。
だが、刺されていないと知った。内臓は無事らしい。
なら、なんだろう。ぼんやとしたまま、少女の目元に涙が溜まっていることに気づく。
少女は細く、小さい。腕力もさほどない自分でも払いのけられそうだと判断した。だが、そう判断しただけで、何もしなかった。ふたたびみえない怪獣を見上げ直す。
見ていたい。こんなことより、作品の完成を見届けなければ。現実を無視して、意識をそちらへ差し向けかけた。
「なかにいる」
と、少女がいった。
爆破音のなかで、世界の法則を無視したように、その声だけがはっきりと聞こえた。
ふたたび少女を見返す。
同じ頃、みえない怪獣は二歩目を進めていた。轟音がなり、振動で地面が揺れた。
観客は花火でも見ているように、それっぽい声をあげる。
「あのなかにひとがいるの」
少女は叫んでいたのかもしれない。爆発音の影響で聴覚がうまく機能していなかったのかもしれない。ただ、悲愴な表情を浮かべる少女からは、音声ではなく、その口の動きの方でわかった。
「あいつか」
ショウは口を動かした。
実際に声に出したかどうか、怪獣の音で自分でも把握できなかった。
みえない怪獣を見上げる。三歩目を地面へ踏み下ろし、漠然としたヨーロッパを模した街並みが粉砕され、侵食していた緑が夕陽のなかまではじけ飛んだ。
けど、これは傑作なる。そう思った。
「とめて」
少女がいった。
なかにひとがいる。
あいつがなかにいる。
ショウはみえない怪獣を見上げたままだった。
それから茫然として、ショウはただ「いや」とだけ、いった。
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